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※この話は絵本[あらしのよるに]シリーズを元にして書いています

 


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「裁判長!……再開する前に私から報告したいことがある」

突然、投げ込まれた声。重苦しい法廷内の空気がさらに硬化したことをぼくは肌で感じた。
それはこの場にいる誰もが感じ得たことだろう。
隣にいる真宵ちゃんが小さく息を吐いて自分で自分の身を抱きしめたのに気が付いた。
そうなったのは、ある一人の男が原因であることもぼくは気付いていた。
とても冷たい空気が刃もなく肌を切り裂くような、そんな雰囲気がぼくの真向かいに立つ御剣から放たれていた。

「何ですかな?御剣検事」

裁判長は進行を邪魔され、少し不満のようだった。いつも穏やかな表情を途端に曇らせる。
それもそのはずだ、もうこの法廷において議論することなどないのだから。
後は検察が論告求刑し、裁判長が判決を下せばいい。
弁護人は……ぼくはもう、無罪の主張をするつもりはないのだから。
それが悩み抜いて出した答えだった。御剣もその考えに頷いてくれたはずだ。
確かに頷いたはずなのに、今の御剣の表情にはさっきとはまた別の覚悟が見えている気がする。
それがどのようなものなのか、ぼくはわからなくなって混乱した。
御剣は一度も怯むことなく背中を真っ直ぐに伸ばし、裁判長を見据える。
しんとした時間。人々は何事かと息を詰めて検事席の御剣へと視線を注ぐ。

───
ぼくはその時。なぜだかわからないけれど。

自分の心臓が激しく音を立てているのを知った。
気持ちの悪いくらいに暴れ回る心臓に困惑し、なぜか遠くの御剣に助けを求めた。
御剣はぼくを見てはいなかった。しかしぼくは直感で感じた。御剣の心臓がぼくに影響を与えているのだと。

「私にかかる、黒い疑惑の件だ」

御剣は静かに口を開いた。
いつものように堂々とした淀みのない声と言葉。

「小中氏が先程指摘した裏取引のことだが……あれには大きな間違いがある」

ふっとそこで御剣は表情を緩めた。顎を引き、挑戦的な目でコナカを睨みつける。
けれども口元には笑みを浮かべたままだ。人差し指を立てて自分のこめかみあたりを軽く叩く。

「私が取引していたのは弁護士ではない。私は証人の小中大氏と取引を行っていたのだ」
「なっ……」

引きつった声を上げたのはコナカだった。ざわざわと傍聴人席がざわめき始めた。
ぼくは机に手を突き身を前に乗り出して、御剣を見た。
言葉を発するのも忘れてしまうくらいの動揺が身体を駆け抜ける。
御剣は、何を、何をしようと。
不安を感じたぼくは彼の口を閉じさせようと弁護人席側から首を振る。
御剣がぼくの方を全く見ようとしないことに失望しながら、何度も何度も。

「私だけではない。……私は検事局長からある通告を受けていたのだ」

御剣はぼくを無視して話し続けた。

「今日の証人、小中氏が語ることは絶対だといわれた。弁護人がいくら異議を唱えようと無駄だと。
 彼の証言に対してどんな攻撃をしようと、私が異議を唱えれば裁判長は必ず聞き入れるだろう、と」

それは、以前にも御剣から聞いた驚きの事実。
しかし法廷にいた人々のほとんどは初めて耳にした情報だった。
一際大きくなったざわめきを沈下させるように動いた人影があった。
それはその事実を事前に知っていた検察と警察関係者たちだろう。

「シャラァァァップ!!」
「な、な、な、なにを言っているんですか、御剣検事!!」

動揺する人々の中で御剣だけが冷静だった。
わけのわからない言葉を叫ぶコナカにも、裁判長の制止の声にも。
そして視線で発言の中止を訴えかけるぼくに対しても。
何も反応を返さなかった。
最初に進言したものと全く変わらぬ口調で続ける。

「検察側が何もしなくてもこの裁判の判決ははじめから決まっているのだ。
 つまり、この裁判は八百長というわけだ」

そう言い切ると御剣は一旦口を閉じた。
そして無言のまま、人々に順々に視線を与えていく。

「裁判長」

いきなり名指しをされ、裁判長が飛び上がる。

「証人」

証言台で立ち尽くしたまま動けないコナカが御剣を睨みつけた。

「そして、私」

最後に御剣は自分の片手を下げ、優雅に頭を下げた。

「全ては、憎むべき犯罪の為にしたことだ……」

こうして彼の告白は幕を閉じた。ざわめいていた法廷内がしんと静まり返る。
ぼくは何も言えず、微かに笑みを浮かべる御剣をただ見つめているだけだった。

「御剣検事…なんてことを……係官!彼を退廷させなさい!!」

我に返った裁判長が声を荒げた。それを合図にして、法廷中は時間を取り戻す。
そして騒然となる。
二人の係官が御剣の肩を掴み、彼は退廷していった。
それでもぼくは何も言えず、ただただ遠ざかっていく彼の背中を見つめているだけだった。

検事が不在のまま、その裁判に判決が下された。
コナカの証言は全て取り消しされ、再捜査されることとなった。
新たに見つかった一枚の領収書。
それが決め手となって、言い逃れの出来なくなったコナカはついに認めた。
自分が千尋さんの命を奪ったのだと。


そして、ぼくは無実となった。


 










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