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※この話は絵本[あらしのよるに]シリーズを元にして書いています

 


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「まさか、検事だったなんて」

持っていた鞄を置き、その横に腰を降ろした。そして人懐っこい表情で笑う。

「考えてみれば、別におかしいことではないな」

自分も隣に腰を降ろすと、彼の胸に光るバッジと彼の顔とを見比べる。
昨夜は何の疑いもせず検事だと思い込んでしまった。
裁判所にいて、バッジをつけているのは検事だけじゃなく───

「弁護士の成歩堂龍一です」

言葉は丁寧だが、軽い感じで差し出された名刺を片手で受け取る。
その代わりに自分の名刺を差し出すと、彼は受け取りそれをじっと見つめた。

「検事……みつるぎ、って…え!?」

小さな紙に書かれた文字を目で追った後、成歩堂の表情が瞬時に変わる。
私の顔を上目遣いで観察した後、居心地の悪そうな様子で名刺を胸ポケットに仕舞い込んだ。
彼のかもし出す妙な緊張感に気付き私は笑う。

「いかにも鬼検事で有名な御剣だが……別に君をとって食うわけじゃない」
「そ、そうだよね」

そういうと成歩堂はほっとした風に顔を崩した。

検事になって四年間、私はただひたすらに有罪を目指し法廷に立っている。
被告の罪を立証するために強引な方法を使ったことも少なからず、ある。
彼の耳にもその噂は届いているのだろう。
有罪判決を獲得するためにはなんでもする血も涙もない鬼のような検事、という私の評判が。

成歩堂はちらりと私の表情を窺う。緩やかに笑みを返すと、明らかなほどに表情に浮かんでいた
警戒心はぱっと拡散してしまう。そして自分もにっこりと微笑んだ。
自分と同い年といっていたが……くるくる変わる表情と大きく光る黒目を見ていると、実年齢よりも幼く見える。
目が合うと成歩堂は何かを思い出したようにぷっと吹き出した。眉をしかめて問い掛ける。

「何だ?」
「さっき会ったときの、君の顔……」
「それはお互い様だろう」

───あらしのよるに、と合言葉だけを決めて再会を果たした私たちだが。
明るい太陽の下で顔を合わせた瞬間、お互いの胸に光るバッジを目にして思わず絶句してしまったのだ。
仕事の間柄では相対する敵ということになるが、これはプライベートでの付き合いになるし、
そんなに気にすることではない。

「でも同じ事件を扱ったらこうやって顔合わせづらいかな」

買ってきたパンを口にほおばり、成歩堂は首を傾げた。
裁判所内でも食堂は設置されているが、このバッジがある限りこの二人で行動するとどうしても
他人の注目を集めてしまう。 人気のない場所を探すあまり、裁判所の外の公園で食事を取る形となったのだ。

「君、公判は何度経験した?」
「え……一回、だけど」

私の質問に成歩堂は何気なく答える。私は口角を両端に吊り上げ、優雅な微笑みを作る。

「申し訳ないが私は一応、天才検事と称される身だ。間違っても新人弁護士である君と法廷で
  会うことはないだろう。心配する必要はない」

失礼ながらも的確な意見と私の完璧な笑顔に成歩堂は言葉を詰まらせた。

「ぼ、ぼくだってこの次はすごい事件を扱う予定なんだからな」

そう言うと成歩堂は残りのパンを口にくわえたまま、手元にあった鞄を探り始めた。

「所長がすごい人で、そのうちぼくも…」
「綾里法律事務所?」

彼が取り出した封筒に印字されている名前に目が付いた。
私の視線が一ヵ所に止まっている事に気がついた成歩堂は誇らしげに胸を張る。

「そう!知ってるのか?」
「知ってるも何も……」

綾里千尋───
若いながらも見事な手腕を持ち、美しい容姿とその振る舞いで法曹界でも一目を置かれている女性弁護士だ。
成歩堂は封筒を指差して、嬉しそうににこにこと笑う。

「今日はこれを千尋さんに届けに来たんだ」
「ほう………」

目を細め、私は小さく呟いた。
彼女が担当する事件ならさぞかし大きいものだろう。そして綾里弁護士は優秀だ。
対する検事は苦戦を強いられるだろう。

その事件に関する資料が今、目の前にある。

「御剣?」

問い掛けられ、はっと我に返る。

(何を考えているんだ、私は……)

私は検事だ。しかし今は成歩堂の友人だ。───弁護士である、成歩堂龍一の。

「変な奴だな。まだお腹減ってるのか?」

私の様子に全く気がつかないで成歩堂は笑う。

「食べたら眠くなっちゃったな…まだ時間あるし…」

そう呟きつつ大きく伸びを一回して、成歩堂は芝生の上に横になった。
封筒は無防備に、彼の横に置かれたままだ。あたたかい気候に促され彼は容易に眠りの世界へと落ちていった。
私という人間を全く疑わずに。

(有罪判決を獲得するためにはなんでもする血も涙もない鬼のような検事…)

それが検事・御剣怜侍だ。

手を伸ばす。彼に気付かれないように、そっと封筒に触れた。
気付かれなければいい。軽く目を通すだけだ。彼を裏切ることにはならない。

「………み、つるぎ?」

緊張で震えてた私の指の気配に気付いたのだろうか?
成歩堂は意識を半分以上夢の中に落としたまま、ゆっくりと私を呼んだ。
たどたどしく囁かれた名前がなぜかとてもいとおしく耳に響いて。

「どうしたの?」

成歩堂は一回、二回と瞬きを繰り返した。
彼の身体に覆いかぶさるように上半身を傾けていた私を黒い瞳で見つめる。
そして穏やかな笑みを浮かべ、私を見上げ問い掛けてきた。

「いや……なんでもない。起こして悪かった」
「君も寝たらいいのに」

優しく微笑み、成歩堂は再び目を閉じた。
何の疑いを持たない言葉と微笑みに胸が痛んだ。
こんな彼を裏切ることができるのか。私は彼を友達と認めたのではないか。

「………私、は」

唇を動かして、一体何を言おうとしたのか。

ざっと風が吹き太陽が雲に隠れ、はっと我に返る。
顔を上げ空を窺うと、素早い動きで雨雲が日の光を遮った所だった。
夕立の気配を感じ、慌てて成歩堂の頬を叩く。

「成歩堂、起きろ。雨が降るぞ」
「え……」

少し寝ぼけつつ、成歩堂は身体を起こす。
彼が身を立たせるより早く、ぽつりと小さな水滴が頬に落ちてきた。
成歩堂は状況を瞬時に理解し、昼食のゴミを慌てて掴んで鞄を持って走り出そうとした。
その彼の背中を、大声で引きとめた。

「成歩堂!封筒、忘れてるぞ」

振り返った彼は、笑顔でそれを受け取る。

「ありがとう、御剣」







どしゃぶりになった雨から二人、木陰に身を隠す。

「夕立だからすぐに止むだろう」

私は空を見上げた後、隣に立つ成歩堂へと視線を向ける。
成歩堂は俯き、封筒を素早く鞄に仕舞いこんだ。私の視線に気がつくと一瞬、怯えた表情を見せる。

(……この男は勘がいいことを忘れていたな)

私がどういう男か…どういう行いをしている検事なのか。それをやっと思い出したのだろう。
ふっと笑みをこぼして、成歩堂を見つめた。
今目の前にいるのは友人ではない。私の敵である弁護士なのだ。
犯罪を弁護して罪人を助ける、憎むべき存在。
成歩堂は確かに怯えの表情を見せつつも、私から逃げることも目を逸らすこともしなかった。

しばらく二人、無言で見詰め合うこと数分間。

私は口を閉ざしたまま、ゆっくりと手を伸ばす。
彼と、彼が大事そうに胸に抱える鞄に向かって。

「御剣!!」

成歩堂の悲鳴が雨の振る音とともにあたりに響いた。







夕立は駆け足で空を通り過ぎ、その次は夕闇がうっすらと広がる。
地面に映る人影はふたつ。私と、特徴のあるギザギザの髪の毛の。

「本当に君はそそっかしいな」
「うう……ごめん」

重そうな鞄を代わりに持ち、私は彼を振り返った。彼の様子に思わず噴き出してしまった。
成歩堂は青いスーツを濃紺に染め、しゅんと肩を落とす。

「だから場所を移動しろと忠告しただろう」

きちんとした屋根のあるところで雨宿りをしていなかったため、木の葉に溜まっていた大量の雨粒を
成歩堂は頭から見事にかぶってしまったのだった。何度思い出しても笑える光景だ。
しつこく笑いをこぼす私を成歩堂は不機嫌そうに睨んだ。

「笑うな」
「すまない」

二人並んで歩いているうちに裁判所の入り口へと付いてしまった。
私は振り返り、声を掛ける。

「風邪を引かないようにな」

あの封筒の入った鞄を彼に返そうとして、ほんの少しだけ考える。
綾里弁護士が担当する事件の資料───

(……このまま、彼を帰していいのか?)

心の中をひとつの疑問が駆け巡る。

「うん。ありがとう、御剣」

両手で鞄を受け取り成歩堂はにっこりと笑った。
喉まででかかった言葉は彼の笑顔で押し戻されてしまった。
そしてそのまま、手を振って彼は歩き出す。裁判所の中へと。私とは正反対の道へ。







足を進めるのをやめ、私はその場に立ち止まった。
追いかけようと振り向きかけて、やめる。視線を裁判所内に転じようとしかけて…やめる。
あきらめ、歩き出そうとするが……私の足はなかなか動こうとしなかった。
意気地のない自分に腹が立ってしょうがない。
私は俯き、先程のことを思い返していた。 ───成歩堂龍一、弁護士、その彼が持つ資料。

(やはり……やはり、このまま別れるわけにはいかない)

くるりと踵を返し、裁判所内に足を踏み入れた。
足音が廊下に大きく響き渡るのも構わずに、足早に彼の背中を追いかけた。
見慣れた青いスーツの背中が視界に映った瞬間、心臓がどきりと高鳴る。

「成歩堂!!」

声を張り上げ名前を呼んだ私に成歩堂が振り返る。
そして私の姿を認めると、ぎょっとして顔を強張らせた。
私は足を止めることなく、そのままの勢いで彼に問い掛ける。


「今度はいつ、会えるのか?」

 

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・.

 





 










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