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※この話は絵本[あらしのよるに]シリーズを元にして書いています

 


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私は大きく目を見開いた。成歩堂の表情はその時だけ、わずかに揺れる。
でもそれだけだった。
彼の瞳はすぐに意思を取り戻し、強い口調のまま言葉を続ける。

「それしか方法がない。……ぼくは大丈夫だから」

何が大丈夫だと言うのだ?
無言の問い掛けに彼は顔を伏せる。わかりやすい嘘をついたことを詫びる様に。
しかし顔はすぐに私の方向へと戻ってきた。

「ぼくはもう無罪にはなれない。証拠品もないし、不可能なんだ。でも、君は違う」

絶望的な事実を言葉にして成歩堂はさらりと言う。
私は自分が、ほぼ無意識のうちに首を横に振っていることに気が付いた。
そしてそれが嘘の仕草ということにも気が付いた。
確かにもう成歩堂の無実を証明するものがない。
論ずる手がかりもないのに、これからの裁判は一体何を議論すればよいというのか。
私の裁判を延期する申し出もただの引き伸ばしに過ぎない。
最も、強く疑惑を持たれている私が仕切り直された裁判で再度新しい証拠品を提出したとしても
それは全く真実味のない、捏造のものとしか判断されないのかもしれないが。
私が何も言い返さない間を成歩堂は納得したものと解釈したらしい。
俯いてしまった私の耳元で説き伏せるように優しく囁く。

「君はいつも通りの仕事をすればいいと命令されているんだろ?じゃあ、そうすればいい」

私は常に命令を受けて動いていた。この裁判が始まる前にも、検事局長から直々に命令を受けていた。
私の仕事とは被告人を有罪にすること。犯罪にはそれ相応の刑罰を。
それが私が常に誇りに思い、生き甲斐にしていた検事の仕事。

「君は検事として生きていってくれ。どうか、君だけは」

顔を上げる。そこには成歩堂が。いや、被告人が。

「わかるだろ?ぼくは被告人だよ」

私の心を読み取ったように成歩堂はその唇を歪めて見せた。違う、違う。
私は首を激しく振ってその考えを追い出そうとした。
その仕草を封じる様に成歩堂の手に更なる力がこもった。
腕を掴まれ私は仕方なく彼の顔を見返した。

「こうなったことに後悔はないんだ。ぼくは、君と出会えて幸せだと思っているんだよ」

自分の命をかけてもいいと思える友達に出会えて。
悲しみなど全く見えない彼の言葉に私は何も言い返せなかった。
このような時でも成歩堂は微笑んでいた。自信に満ち溢れた不敵な顔。
弁護人席でよく見たそれに私は何故だか泣きそうになる。
───
笑わないでくれ。頼む、笑うな、成歩堂。
私がそんなことをすれば、君はもうこの世にいることができなくなるのに。
そして私はその笑顔をもう二度と見ることができなくなるのに。

「御剣は自分の仕事をするべきだよ。天才検事だろ?」

にっと笑いかけられても、やはり私は何も返せない。
天才。完璧。有罪判決を獲得するためには手段を選ばない血も涙もない鬼のような検事。
それが私であり、御剣怜侍である。そう生きてきた。
成歩堂は私に私の仕事をしろという。すなわちそれは、被告人の有罪を確定させること。
被告人・成歩堂龍一に有罪判決を与えること。
犯した罪に見合う刑罰を与えるよう裁判長に訴えかけること。
被告に罰を。
成歩堂に死刑を。

「……そのようなことは」
「君がやるんだよ、御剣」

掠れ過ぎた私の言葉を遮って成歩堂が畳み掛ける。
私は震えてしまう唇を動かして何故だ、と自問を繰り返していた。何故、どうしてこのようなことになるのだ?
一体どこで間違えたのだろう?何故、成歩堂はこのようなことを私に願うのだろうか?ああ、何故。
何故。
どうして。
どうして私は成歩堂を救うことができないのだ。
救うどころか、その命を奪うことになるのか?

「御剣」

成歩堂が私を呼ぶ。検事の私の名を。
私が、私が、検事の私が、彼を、成歩堂を、弁護士を、被告人の成歩堂を───

「無理だ、私には」
「御剣!君にしかできないんだよ」

私の両腕を掴み、成歩堂は怒鳴った。
嫌だ、出来ない、したくない。成歩堂の言葉を拒絶する感情が自分の内部で暴れまわる。
強く掴んで離さない彼の腕を振り払い、また頭を振る。もう検事という仕事などどうでもよい。
そんなものが何になる。
しかし、この私に法廷で出来ることと言えば、それ以外にないのだ。
成歩堂に有罪を。被告人を全て有罪を。
気付けば自分の胸を思い切り掴んでいた。首元で揺れていた白いタイが無様に歪む。
そのまま掻き毟って破り捨てたいくらいだった。自分に対する憎悪と無力さに叫び出したい。
ああ──ああどうして。 何故なのだ、何故……

何故、私は検事なのだ───

血の色が無くなるまでに力がこもり、白くなっている私の手を成歩堂が掴んだ。
手がしびれるほどに強く握られてその痛みに眉が歪む。思わず睨み付けてしまった。
成歩堂は、微かに震えていた私の手を見て不愉快そうに睨み返してくる。
振りほどこうと思っても彼の力は想像以上に強い。まるで彼の覚悟を表しているように。
私の考える未来と、彼の行こうとしている未来は全くの別のものなのだと私に悟らせるように。
今、完全に私たちの世界は分岐しようとしている。生と死という永遠に相容れないふたつの世界に。
その幕引きを私に任せようとしているのか?
真実を、諦めないと言ったのに。

「御剣、頼むから……」

成歩堂の言葉は引き止めてはくれない。
残酷だ。
抗いようのない現実に手の力も抜ける。
成歩堂はゆっくりと、自身のタイを握り締める私の手をそこから引き離した。
彼の手に連れられて私の手が首元から離れる。はらりと皺になった白い布が零れた。
その時、目の前の成歩堂がとても小さな囁きを落とした。一瞬すぎて聞き取ることが出来なかった。
瞠目して彼を見返す。 俯いた彼はもう一度唇を動かした。
たのむから、と同じ台詞を零した後に続いた言葉に私はさらに目を見開く。
責めるなよ。
成歩堂の唇がそう小さく動く。頼むからお前を。自分自身を。
御剣を───責めるなよ。
激しい痛みに胸を突かれた。
身勝手で言っているのではない。諦めではない。
彼は私の身を一番に案じるからこそこの決断を選んだのだ。
共に倒れる必要など無い。自分が無理ならば、どうか彼だけでも生き延びてほしい。
その決断を私もほんの少し前にした。それは彼に諭され実現しないものとなったが。
今度は成歩堂がその道を選ぶこととなった。
私の手の震えを止めるようにして掴んでいる彼の手。それは逆に、自分の震えを止めるためなのかもしれない。
自分が冤罪を被らなければならない状況を選ばざるを得ない、そして選ばせざるを得ない私に対して
彼がどれほどの絶望を感じているのか……
無力さを嘆いているのは彼も同じなのだ。
しばらくして、成歩堂は顔を上げ静かな声で問う。ほぼ同じ高さから自分を見つめる瞳。

「もしぼくと初めて会ったのが法廷だったら……君はどうしてた?」
「………被告を、有罪にしていた」

するりと答えは口から落ちる。悩むまでもない質問だった。
成歩堂は私の答えに満足げに笑う。

「御剣、それでいいんだ。もう一度やり直そう。初めて会った日の前から……」

泣きそうな───それでも有無を言わさない表情で成歩堂がそう宣言した。
そんな彼の哀願に私はついに頷いた。唇を噛み締めたまま、ただ頷くことしか出来なかった。

「御剣」

ふと瞳を緩め、彼は私の名を呼んだ。

「そんな顔するなよ」

無言のまま首を振った私の頬に指を触れさせ、成歩堂は笑う。

「決まりだな。………それじゃあ、元気で」

さよなら、と小さく動いた彼の唇に自分の唇を触れさせた。



















私と入れ替わりに刑事たちが数人、控え室の中へと消えていく。
一度も振り返らずに私はまた法廷へと足を踏み入れた。休憩の時間はもうほとんどない。
裁判長も証人も、傍聴人たちもほぼ揃って席についていた。
席に戻る私の姿を好奇心と不信感の入り混じった表情でじっと観察していた。
一番最後に、成歩堂が現れた。先に弁護人席へといた綾里真宵と目を合わせるとその横に並んで立つ。
それを見届けた後、裁判長がおもむろに木槌を手に取った。

「それでは、審理を再開します」

私は前を向く。成歩堂も前を向く。しかし二人の視線は合わない。

成歩堂は自分を有罪にしろと言った。自分たちに残された道はもうそれしかないと判断したのだ。
私は先程のやり取りを思い返し、わずかに唇を歪めさせた。
本当に、弁護士という者は愚かだ。今更そんなことができるわけがないだろう?
私は目を細めて法廷内を見回した。
小中大は短い休憩時間中にまた体勢を立て直したのか、自信有り気な様子で座っている。
愚か過ぎて、自分が真犯人であるということも忘れてしまったのかもしれない。
思わず笑みが浮かんだ。嘲笑と言う名の薄い笑みが。
裁判長はそんな私に険しい表情を向けてきた。
裁判長どころか、この場所にいる全員が私を疑心の目で見つめている。成歩堂を除いた全員が。
立ち向かうべき敵はあと一体どれくらいいるのだろう。検事局長、そしてその下に仕える者達……
まぁ、数などもはや関係がないのだが。不正を行い、真実を隠蔽した大罪を償うがいい。

あるひとつの企みが私の中で生まれ、成長していくのを感じていた。

それはまだ誰も知らない。唯一心を許した成歩堂さえも、まだ。

(自分の命をかけられる相手、か)

─── それも悪くないな。

私は微かに笑うと真正面を見据える。そこには彼がいる。
そして私は、弁護人席に立つたった一人のために口を開く。

 










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