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※この話は絵本[あらしのよるに]シリーズを元にして書いています

 


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心許ない弁論ながらも徐々に真犯人を追い詰めていく成歩堂の弁護。
その勢いのまま、状況を完全に逆転してしまうのかと思われた。
が、ついにあるひとつの壁が立ちはだかった。

「ぼかぁ……盗聴器を仕掛けるため綾里法律事務所に行ったんだ!その時にあの電気スタンドを見たんだよ!」

とても会社社長には見えない取り乱した様子で小中大は声を張り上げた。
法廷にいる人々の視線を全て集中させた、証人席という場所で。
私はわめき続ける小中氏から弁護人へと素早く視線を滑らせた。
成歩堂は驚きの表情のまま動きを止めていた。目を見開いたまま、小中氏を見つめている。

成歩堂の主張はこうだった。
小中氏は殺人現場にガラスのスタンドがあるのを知っていた。
彼がそのスタンドを見ることができたのは殺人事件が起こった瞬間しかなかった。
だから、小中氏が犯人である。
しかし。
事件が起こるずっと以前に小中氏は現場に行ったと言い出したのだ。
盗聴器を仕掛けるために、綾里法律事務所に潜入したのだと。
その時にガラスのスタンドを見ていた。だから、知っていた。

「ふむう……」

裁判長が納得したように唸った。確かにそう考えれば辻褄は合う。
小中氏が綾里千尋殺害時に、初めて事務所に侵入した───そのようなことをどうやって証明すればいい?
成歩堂の推理は完全に崩れてしまった。
私は検事席で唇を噛んだ。成歩堂は動きを止めたままだ。
大きな声で異議を唱える気配も、人差し指を突きつける様子もない。
もう、攻めようがない……まるで彼の心の声が聞こえてくるようだ。
私の頭脳をもってしても小中氏の証言を突き崩す矛盾点が見つからなかった。

「……弁護人。もう、あきらめますか?」

裁判長が厳かな声で彼に問う。その先には、終焉が見える。

「…………」

成歩堂は答えない。
しかし、答えなくとも敗北は目に明らかだった。
ゆっくりと時間が過ぎる。それは確実に、彼が有罪だという結末へと流れていた。
沈黙の時間は成歩堂を説き伏せる。絶望に瞳が沈んでいく。沈んで、もう戻れなくなる。

「…は、はい……」
「異議あり!!」

成歩堂の声を掻き消すようにして私は叫んでいた。
確かに捉えていた暗い結末の影を、この法廷から追い払うように。
全てが、こんなにあっけなく終わるというのか?そんなことは絶対にさせない。

「しかし、小中氏が事件以前に事務所を訪れたという証拠もないはずだ!」

人々の視線が私へと集中した。
時が止まったかのように静まっていた傍聴席が、少しだけざわめき始める。

「証拠が不十分なまま判決を下すことは出来ない。もう一度、調査し直す時間をくれないだろうか」

声の勢いを衰えさせることなく堂々と意見する私に裁判長は目を丸くした。
そして怪訝そうに首を傾げる。判決を遅らせようとする私の発言に疑問を感じたらしい。

「しかし、御剣検事……まるで弁護人のような口ぶりですな。検察側の人間がする行動とは思えません」

裁判長の独り言にいち早く反応したのは、成歩堂でも私でもなく小中大だった。
自信を取り戻したのか嫌らしい笑いを再び顔面に貼り付け、私を見る。
下品な顔が自分の方向を向き、こちらの出方を探るように観察されるのは本当に気分が悪かった。
思わず聞こえる音で舌打ちしそうになる。
しかしそれよりも先に小中氏が誇らしげにこう呟く。

「裏取引でもしてるんじゃないのかい?」

私を貶めようとする意図で吐き出された台詞は、見事にその役割を果たしてみせた。
小中氏はそれに大満足したらしい。
傍聴人たちが驚いた顔を見せたのを誇らしげに見た後、最後に私へと視線を戻した。
私に視線が集まり始める。
いや、視線だけではない。 非難の声、疑心、不信感。様々なものに取り囲まれたことに私は気付く。
今までに受け持った裁判で非情に振舞った報いなのだろうか。
証言操作、証拠品の捏造など、常に黒い疑惑で包まれていた私は胡散臭い男の軽い発言ひとつで、
いとも簡単に人々の信頼を失った。
疑惑が確信へと変化していくのを、自分を遠くから見つめる人たちの表情で感じ取った。

向かいには、無罪への道を完全に閉ざされ青ざめる成歩堂。
対する私は法廷中の人々の心象を最悪のものとした。

針のむしろに座らされているかのような感覚。有罪、有罪、と聞きなれた単語が人々の口をついて出てくる。
いつもは強く望み求めていたその言葉に私は畏怖した。
必死に遠ざけたはずの終焉が再び近付いてきている。もう逃れる間もないほどに、とても近くに。
それとは反対に、裁判長の鳴らす木槌の音がとても遠くで聞こえる。
私は思わず目を閉じた。
もう、どこにも道が用意されていないのだと悟る。

もともと逃げ道など、この裁判に───いや。私と彼に用意されていなかったのだろうか?



















成歩堂の瞳が見えなかった。
彼は先程と同じ控え室のソファーに座り、俯いて絶望している。
裁判長は審理を延期するのか、今すぐに判決を下すのかを悩んだ後───結局、一時中断を選んだ。
短い休憩時間の中、成歩堂はずっと絶望していた。
両手で自分の顔を覆いつつ深い息を吐き出す。彼の瞳には今、何があるのだろう?
見えなくとも想像はついた。
諦め。絶望。失意に無念。

「もう……」

吐き出される声はとても弱い。全てを諦めた声。

「尋問しようがない……無理だ」

何の証拠もない手がかりもない、そんな絶望が彼を支配しているのだろうか。
全てを諦める道へと成歩堂は歩み出そうとしている。
私は狼狽して彼の腕を掴んだ。
そんなことをしても彼の堕ちていく心を止めることなどできないのに。
それでも私は彼を腕を強く掴む。
そして、必死に訴えた。

「成歩堂。……諦めないでくれ。お願いだ」

私は、君と共に未来を目指すと決めたのだ。頼むから、私を一人にしないでくれ。
私の言葉に彼はようやく顔を上げた。私の、彼の二の腕を強く握る力に痛みを感じただけかもしれないが。
二人の視線が合わさった。成歩堂の瞳はやはり失意で翳っていた。
やがて、それは見つめる内に。

「……御剣」

消えかけていた成歩堂の瞳が徐々に光を取り戻す。何かをきっかけに?
そう考えたすぐ後に、私はその理由を知る。
しかし私はその理由をすぐには認めたくなかった。
彼の中に閃いたのはきっとこの状況を打破するものに違いない。
そうには違いないが、それは私の望むべきものではないと本能的に感じ取ったからだ。

「成歩堂、何を……」
「御剣検事」

普段、法廷でしか呼ばない呼び名。それだけで私は逃げ出したくなった。
彼は、成歩堂は、一体何を考え付いたのだ?
成歩堂は立ち上がると私を正面から見据える。 その瞳は焦点を合わせ俄かに輝き始めた。
彼が見ているものは正面に立つ私の目のはずなのに、なぜかそうは思えない。
私の存在のそのまたずっとずっと先にある、架空の未来を見ているように思えた。
青いスーツの上を私の力を無くした腕が滑り落ちていく。
今度は成歩堂が私の赤いスーツの袖を掴み私の顔を見上げ、迷いのない声でこう告げた。

「ぼくを、有罪にしてくれ」



 










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