「あなたがもし板東ホテルにいたのなら、倒れる前のスタンドは見ることはできなかった!」
成歩堂の弁論は今日も最高の出来だった。
二回目の法廷とは思えない程の働きに私は内心感心していた。
朗々と声は法廷に響き、その迫力に圧倒されて法廷は静まり返る。その沈黙は、証人の返答を待つための。
小中氏は成歩堂の尋問に対し、言葉ではなく行動で答えた。忙しなく視線を泳がし、額からは汗をこぼす。
しどろもどろになっていく様は情けないとしか言いようがない。
私は検察側から冷ややかな視線を投げかけていた。
成歩堂との事を抜きにしても嘘で証言を固める小中氏の姿は無様なものだった。
新しい言葉を吐き出す度に、矛盾が生まれて増え続ける証言。
この状態で一体、どうやって成歩堂を告発するつもりだったのか───
追い詰められていく感覚に焦れて、小中氏は私を振り返る。
私は腕を組んだまま悠然と視線を返した。
この状況で何と発言すればよいのか、私自身もわからなかったからだ。
これ以上何かを言って墓穴を掘ることもない。
しかし小中大は諦めなかった。私をじっと睨み、情けない顔で助言を求める仕草を続ける。
表情に出ないよう心の中だけで嘆息した後、私は裁判長に向かって声を張り上げた。
「証人の記憶は混乱している。ここで十分の休憩を申し入れたい!」
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法廷を出ると、自分の前を避けるようにしてさっと人の波が引いた。
視線を周囲に泳がすと、目が合った数人の刑事は怯えたように目をすぐに逸らす。
それとは逆に軽蔑した視線を返してくる者も数人いた。
きっと、昨日成歩堂と共に留置所を出たことに対して何らかの噂されているに違いない。
当たらずとも遠からずの噂を。
自分の周りに人が寄り付かないのはいつものこと。何かが変わったわけではない。
私は遠巻きに自分を観察する人々から目を離し、近くの控え室へと足を向けた。
壁際においてあるソファーに腰を掛ける。俯くように背を曲げ、膝に置かれた自分の手を見た。
あと少しだ。あと少しで真実は明らかになる。事件に、真実への道が導き出されるのはあと少しだ。
そうすれば、私と彼は───
「御剣検事」
ふっと足元がかげる。私は自分の手から視線を外して顔を上げる。
糸鋸刑事がいた。みんな私の周りには寄ってこようとしないのに、どうしてこの男は私の元に来るのだろうか。
嫌味のひとつでもくれてやろうと口を開きかけて、やめた。代わりに短い眉を思い切り歪ませた。
「エクスキューズミー、ミスタ・ケンジ」
英語と呼ぶのもおこがましいでたらめな発音。
海外生活の長い私にとってその言葉は不愉快以外の何物でもない。小中大は唇を吊り上げて笑った。
糸鋸刑事を横に従え、何をしに来たのか。
私は自分の中にある嫌悪感を隠そうともせずに小中氏を睨みつけた。
この休憩時間中に証人と打ち合わせをするのが常ではあるが、嘘の証言ばかりするこの男と
何を打ち合わせすればよいと言うのだろう。裁判の始まる前に行った簡単な確認だけで十分だ。
「何だ」
私は小中氏ではなく糸鋸刑事に問い掛けた。
しかし、それより先に小中氏が口を開く。
「検事のチェンジ、交代をお願いしたいと思ってね」
予想もしない出来事に不意をつかれ、私は驚愕して小中氏を見つめた。
ピンクのスーツを着た男はそれによく似合う下品な笑みを浮かべて私を見返した。
「ミスタ・ケンジとあの弁護士は裏取引をしているとぼかぁ聞いたんでね」
瞬間的に見開いてしまった目を隠そうと、私は俯き掛ける。
しかし寸前で思い止まった。そんなことをすればそれを事実として認める事となる。
私は真っ直ぐに相手を見つめた。自分の中で暴れ回る怒りの、そして理不尽の感情を最大に込めて。
この視線を受ければ大抵の者は怯む。
何が取引だ。
それをしているのは貴様の方ではないか。
検事局長や裁判長を使い、成歩堂がしてもいないことをしたと認めさせる気なのではないか。
私と成歩堂は取引などしていない。
私と彼が共有しているのは情報や駆け引きなどではない。真実を暴くというその心ひとつだけ。
(馬鹿らしい───)
怒りとは裏腹に私の心はすっと冷えていく。
くだらないものは見下すべき。愚かなものに掛ける時間や精神など持ち合わせていないのだ。
「交代は必要ない」
心と同様に、冷えた台詞が唇から発せられた。
私は立ち上がる。急激に近付いた距離に一瞬だけ小中氏の表情が強張る。
「私と成歩堂弁護士が共に出掛けたのは、調査のためだ。それ以外の目的であるわけがないだろう」
私は自分の腕を持ち上げ、目を細めて笑ってみせた。
自分の表情で出来る最高の嘲笑を浮かべるつもりで。こういう相手には嘲りが一番相応しい。
「ご心配なく。私は一度受け持った裁判を途中で投げ出すことなどしない……
完璧に立証してみせようではないか。貴方は証人として裁判を傍聴していればよい」
笑みを唇に残したまま優しい声で、相手をなだめるように言葉をかける。そして。
「もっとも、成歩堂弁護士が本当に殺人を犯していればの話だが」
最後に付け加えた言葉を最後に、私は顔中から表情を捨てる。
小中氏は私の迫力に気圧されたのか何も答えなかった。おどおどとした様子で視線を私から外した。
彼が指やスーツにつけている、無駄に光る宝石類だけが蛍光灯の下で輝いていた。
いくら高価な物をつけていても、持ち主に見合う物でなければそれらは一気に価値を下げてしまうものだ。
アンバランスさが際立って余計下品に見えるだけの男を置いて私はその場を離れようとした。
休憩時間はまだあるが、この男と会話を続けるくらいならばさっさと去ったほうがいい。
「……あの弁護士がどうなってもいいのかい?」
投げ付けられた一言にぴくりと眉が反応した。しかし振り返ることなく私は歩き出した。
ただの負け惜しみだろう。
何も出来ない男が苦し紛れに発した言葉。その一言で片付けようとして、私は失敗した。
嫌な予感が胸を浸し始める。
警察、検察、その他全ての人々を情報で縛る会社。
日本の司法界を裏で操る男。
知りすぎた綾里弁護士は殺害された。
あの男を敵にまわせば、成歩堂は一体どうなるのだろうか?
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