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※この話は絵本[あらしのよるに]シリーズを元にして書いています

 


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面会室に入ると見慣れない顔、服装の少女がぼくを待っていた。
現在の状況に麻痺してしまった頭でぼんやりと考える。
短い時間のうちに様々なことが起こりすぎて、ぼくの思考はかなり混乱してしまっているようだ。
思い出すのに少し時間がかかった。
黒い髪。意志を感じさせる大きな瞳。どこか、あの人に似た雰囲気。

「真宵ちゃん……よかったね。出してもらえたんだ、留置所」
「はい、さっき。でも……どうしてですか!なんで、弁護士さんが!」

透明の壁越しに彼女は声を張り上げる。逆になっちゃったね、と冗談めかして言うと彼女は力なく笑う。
ぼくはひどく情けない顔をしていたのだろう。
見るのも気の毒なくらいに泣きはらした目は、裁判中に比べると幾分ましになったみたいだ。
この状況で安眠できるわけがないけれど、留置所から出れただけでも安堵したに違いない。
ぼくはこれまでのことを簡単に彼女に話した。
現場を目撃していたという男の存在を松竹梅世から聞きだしたこと。
コナカルチャーという会社で出会った男のこと、星影センセイのこと、そして彼女のお母さんのこと。
全ての元凶である小中大を問い詰めたぼくが、なぜか逆に逮捕されてしまったこと。
最初は泣きそうな顔で聞いていた真宵ちゃんだったけれど、ぼくの話が進むに連れて
激しい怒りの感情が生まれてきたようだ。
ついには眉を吊り上げてぼくの代わりに怒り出した。拳を作ってぼくに訴えかけてくる。

「許せない!弁護士さん、あたしに……何かできること、ないですか!」

今までは口数も少なく、死んだような目でぼくを見つめ返していた真宵ちゃんだけれど、
目の前にいる彼女はまるで別人のようだった。
きっと本来の真宵ちゃんはこのような雰囲気なのだろう。
千尋さんの妹という事実だけで、ぼくはこの女の子に対していくらかの親近感を抱くことができた。
怒りの表情を、今度は少し心配そうに変えて真宵ちゃんはぼくに問い掛ける。

「弁護士さん……さっき来た他の弁護士さん、断っちゃったんですか?」
「うん。自分の弁護は自分でするからね」

あっさりとした様子で頷いたぼくに、真宵ちゃんは目を丸くした。
彼女が驚くのも無理ないと思う。
まさに追い詰められた、逃げ場のない崖っぷちの状態にもかかわらずぼくには余裕があった。
今自分が置かれている被告人という立場と千尋さんを亡くした感情に、心はもう飽和状態になっているのに。
唯一、明日の裁判に関しては冷静でいることができた。
ぼくが有罪になるわけがない。
それだけはどんなに絶望しようとも、揺るぎようのない確信として自分の胸の中にあった。
それはもちろん、ぼく自身が千尋さんを殺していないのだという真実があったからだろうけれど。

「大丈夫だよ、真宵ちゃん」

ぼくはゆっくりとそう言い、彼女に笑いかける。ピンチの時ほどふてぶてしく。
もういない千尋さんの教え通りに、うまく笑えていたらいい。

「確かに警察や検察側は小中の仲間かもしれない。でも、ぼくに味方してくれる奴もいるんだ」
「誰、ですか?」

それでもまだ不安げな真宵ちゃんの問い掛けに、ぼくは自信を持って答えた。

「御剣検事だよ」

真宵ちゃんの目が大きく見開く。
御剣。御剣怜侍が検事だから。
最後に会った時のことを思い出した。自分の車でコナカルチャーまで送り届けてくれた。
ぼくの身を案じ、ぼく自身よりもぼくを気に掛けてくれていた。
大切な友人であるぼくを有罪にするはずがない。そんなことができる男じゃないんだ、彼は。
だってぼくの友人なんだから。

「弁護士さん……あの、ミツルギってあたしの裁判の時の検事さんですよね?」

ふと、弱々しい声がぼくを呼んだ。
顔を上げると両手を胸の前で合わせ、ぼくを見上げる真宵ちゃんがいた。
先程までの勢いは消え去り、ただただ不安げな感情だけが彼女の瞳の中で揺れていた。
ぼくは驚いてまじまじと彼女の黒い瞳を見つめた。ぼくと目が合った途端、視線を辺りにさ迷わせる。
そして戸惑いがちに口を開いた。

「味方……なんですか?検事なのに?」
「うん。御剣はぼくの友達なんだ。きっと……ぼくを助けてくれるよ。いや、絶対」

最後の言葉にぼくは力を込める。
微かな希望と望みを彼に託して。大丈夫、と自分に言い聞かせるために。
真宵ちゃんはぼくの言葉に一瞬だけ大きく目を見開く。丸い瞳がぼくを見た。けれどもすぐに逸らされてしまう。

「そんな……だって、あの人は検事なのに」
「真宵ちゃん?」

彼女はそう呟きながら両手を膝の上に下ろした。
小さな肩が震えていることに気付き、ぼくは驚いて声を掛ける。

「あたしは信用できません。あの人のこと」

弱々しい口調を一変させ、真宵ちゃんはそう言い放った。
自分の言葉を正面から否定されてぼくは掛ける言葉を失ってしまった。
真宵ちゃんは自分自身を勇気付けようとしているのか、震える手を持ち上げると胸の前で止める。
そして作った拳をもう片方の手のひらで包んだ。
震えを止めようと必死に唇を噛むその姿がとても痛々しい。

「……どうしてあの人が味方だ何て思えるんですか?じゃあ、どうしてこんなことになるの?」

拳だけでなく声までも震わせて真宵ちゃんはそう言った。
涙が混じり、震える声。

「もし弁護士さんがいなかったらあたしが犯人にされてたんだよ?」
「それは……」

反論しかけて、ぼくは口をつぐむ。
───忘れたわけじゃない。検事席に立って被告人を酷薄な瞳で見つめる御剣の姿を。

「すごく、怖かった……何言っても信じてくれないの。あたしが、犯人だって、全部決め付けて」

それが御剣の仕事なんだから。
言おうとした言葉は喉に張り付いて声にできず、嫌な感覚だけが口内に残った。
確かに御剣は真宵ちゃんを犯人と主張していた。
第三者の存在を知りながらも、ぼくが指摘するまでそれを隠そうとしていた。

「いろんな嘘ついて、あたしがお姉ちゃんを殺したことにするなんて……ひどい」

そこまで言って真宵ちゃんは言葉を涙で詰まらせる。微かに震える黒髪と小さな肩に胸が痛んだ。
慰めようと伸ばしたぼくの手は透明の仕切りに遮られ、彼女の元には届かない。
真宵ちゃんは顔を上げた。 潤んだ黒い瞳はぼくを真っ直ぐに捕らえる。
その迷いのない澄んだ瞳はどこか千尋さんを思い出させた。
真宵ちゃんは瞬きもせずにじっと見上げてくる。そしてとても静かな声でぼくに問い掛けた。

「弁護士さん。───本当にあの検事さんは信用できるの?」

沈黙がその後に続いた。
面会の時間が打ち切られるまでそれは続いた。真宵ちゃんが去ってから、ぼくは気が付いた。




彼女を諭すべきだったんだ、ぼくは。反論して全部跳ね除ければよかったんだ。
御剣のことを味方と言い切るのなら、最後まで庇って主張するべきだったんだ。


でもぼくはそれができなかった。


できないということは、ぼくは、御剣を───


 










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