top> 嵐の夜に_1234> 土砂降りの日に
※この話は絵本[あらしのよるに]シリーズを元にして書いています

 


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運転する車の中は無音の空間だった。
私はひたすら車を走らせていた。行く先はひとつ、コカナルチャー。
いや、違う、コナカルチャーに向かっている成歩堂の背中だ。
雷の音だろうか?時折、空が不安定に音を降らす。それは、近い時間に到来する嵐を予感させていた。
目の前に広がる暗い雲から逃れるようにしてハンドルを切る。
赤い車は流れるような動きで交差点を通り抜けた。
早く。
自分の中で、自分が自分に命令しているのがわかった。
早く成歩堂を捕まえなくてはならない。早く成歩堂を捕まえてこの赤い檻の中に閉じ込めなくてはならない。 
それは法廷で成歩堂に指摘された通り、男の存在を隠すため?友人である成歩堂の身を案じるため?
自分でもわからなかった。
しかし私は踏み込むアクセルを緩めることができなかった。

「!」

捕らえた色に私の足は素早く反応した。
アクセルからブレーキへと移動し、それに伴い赤い車は動きを停める。
急激な停止にブレーキが軽く軋む音が車内に響いた。そしてそれは車外にも響いたらしい。
歩道を歩いていた成歩堂が足を止めて振り返った。
窓を開け、驚いた表情で固まる彼に私は言葉をぞんざいに投げつけた。

「人目につく。早く乗れ」

事情もろくに言わずに命令する私に成歩堂は無言で従った。









彼を乗せてから車の速度は通常のものとなった。しかし、車内には相変わらず静かだった。
二人の声は何ひとつ発せられることはなく代わりにエンジン音が静かに響く。
先程よりは穏やかな、ゆったりとした音。
普段ならば、同じ裁判を受け持つ者同士の弁護士と検事が法廷外で言葉を交わすことなど滅多にない。
ましてや自らの運転する車に弁護士を同乗させるなどと。
成歩堂もその状況はよくわかっているらしい。
拉致と言ってもいい私の行動に異議を唱えることはしなかった。
助手席にその身を滑り込ませた後、私の顔ではなく狭い車内をゆっくりと見渡して。

「これ御剣の車?……余計目立ってるよ」

そう言って小さく笑った。それだけだった。
赤い車のなか私と成歩堂は一度も視線を合わさずいる。
私は運転席に、彼は助手席にいる。視線が合わないのは当然のことだ。
当然のことに何故か胸が微かに痛んだ。
この空間にはたった二人しか存在していないのに何かが邪魔をしているようで、
そしてその何かはきっともう二人の間から消えることはない気がした。
それは気のせいでしかないが、私の中には漠然とした不安になって残り、
確実な予感として胸を重たくさせていた。

このまま辿り着かなければいい。─── しかし、そんな願いは叶うはずもなく。

お互いがお互いを見ない内に景色は流れ、やがて目的地であるビルの前へと車は滑り込む。

「ありがとう、御剣」

溜息を吐くように成歩堂は言った。
私は車を完全に停止させてからようやく顔の向く位置を変える。
成歩堂もまた顔を私の方に向けていた。二人の視線が、裁判終了後に初めて合う瞬間。

──行くのか」

言葉がうまく使えなかった。私が発したのは独り言にも似た、短すぎる質問だけだった。
今言うべき言葉はもっとたくさんあるはずだ。
勝ち目の全くない裁判に一人挑もうとする弁護士に向ける忠告。
自ら危険な場所に飛び込もうとする友人を諌める言葉。
そのどちらも選ぶことができなくて私は再び口を閉じる。
カチャ、とシートベルトの外れる軽い音。成歩堂の身体が動いて、シートと彼のスーツの擦れる音がする。
成歩堂の動作には戸惑いがなかった。わかっていたことなのに失望している自分がいた。

「成歩堂」

私の呼び掛けは彼の動きを止めるには力が足りなかった。
彼は私の呼び掛けを無視すると靴音を鳴らして地面へと降り立った。
車外と車内。私と彼の世界はたちまち違うものになってしまう。
成歩堂はそこで足を止め、ゆっくりと振り返った。口元には先程とは少し異なる笑みが浮かんでいた。

「真実を明らかにするだけだよ、ぼくは。御剣も手伝ってくれるだろ?」

とても静かな声で成歩堂は私に問い掛けてきた。驚くほど親しげな声で。
それは検事の私ではなく、御剣怜侍に向けられた言葉。

「うム……」

私は少しだけ、視線を落として頷いた。歯切れの悪さに気付いてほしくなかった。
そんな単純で当たり前のことを、私は許されていない。
気配が遠ざかる。成歩堂が、私の車から、私から遠ざかる。
成歩堂はやはり一度も足を止めることなく歩いていった。事件の黒幕とされている小中大のいるビルへと。
鮮やかな青が建物に消えていく様を私はずっと見守っていた。
守ることなどもうできないのに。
せめて、彼の身に災いが降りかからないようにと祈ることだけは許して欲しい。
許しを請う相手は検察局の上司なのか、尊敬する師なのか、それとも自分自身なのか。
───それはわからなかったけれど。

私は彼の背中が見えなくなっても、ずっとその場にい続けた。祈っていた。必死だった。
その姿を他の誰かに見られているなど、気付く訳もなかった。


















警察署に戻ると、糸鋸刑事をはじめとする刑事たちが待ち構えていた。
車を運転しながら考えた指示を彼らに与えると、刑事たちはその指示通りに動き出し、方々へと散らばっていく。
しかし、その中で一人だけ私の命令に動かない者がいた。

「どこ行ってたッスか?」
「貴様には関係がないだろう。それに答える義務が私にあるのかね?」

刺々しい言葉、口調、そして視線。
糸鋸刑事はそれら全てを向けられても私の前から動こうとしない。
どうやら何か言いたいことがあるらしい。私とて裁判を明日に控える身。決して暇ではない。
面倒になった私は顎だけを使って会話の続行を許可した。
糸鋸刑事はすまねぇッス、と小声で謝罪して私を見つめた。
厳つい身体を縮め、意を決したように口を開いた。

「御剣検事、あの弁護士……成歩堂弁護士のことッスけど」

この状況で彼の名が出てくるとは思わなかった。私は思わず目を瞠ってしまった。
思えば糸鋸刑事は私の一番近くで常に仕事をする人間だ。
私と成歩堂の間に友情が存在することに気が付く機会もあったのかもしれない。

「……彼は信用のおける人間だ」

少しばかり声が掠れた。
親しい間柄の刑事とはいえ、弁護士との付き合いを認めるのはやはり気が憚る。

「おかしいッス」

しかし糸鋸刑事は私のその言葉を一蹴してしまった。
私は視線を彼に向け、あからさまに眉をしかめてみせた。糸鋸刑事は困惑したように言葉を続けた。

「さっき部下から、御剣検事があの弁護士と会っていたという報告を聞いたッス」

ふっと寒気が背筋を走った。
あの時の私と彼の姿を見られていたというのか。車という密室の中に存在する、検事と弁護士の姿を。
沈黙した私にその報告が事実なのだと糸鋸刑事は確信したようだった。意見する口調を強めた。

「らしくねぇッス、御剣検事。前の御剣検事ならそう簡単に信用したりしなかったッス。
 ましてや原告側の弁護士なんて……」
「弁護士であるということが何の関係があるのだ?」

私の迫力に怯んで糸鋸刑事は一度口を結ぶ。彼に構わず、私は畳み掛けた。

「お互いの立場など知らずに私と彼は知り合ったのだ。立場など関係なく、私は彼を信用している」

自分の考えを言葉にするにつれて感情が高ぶっていくのがわかる。
言う必要のないことだ。そんなことはわかっていた。
しかし、一度口に出してしまった感情は歯止めがきかない。

私と彼との関係がおかしい?私達の一体何が悪いのだ?
咎められるような事はひとつもしていない。

糸鋸刑事は黙っていた。私に圧倒され言葉を失ったのかと思ったが、そうではないようだった。
どうやら口を挟むタイミングを計っていたらしい。私が息を継いだわずかな時間に彼は口を開いた。

「でも今は違うッス。お互いの立場はわかってるはずッス」

再び一蹴され不覚にも私は言葉を失う。
この愚鈍な、常に下に見ていた部下から噛み付かれるとは。
激しい屈辱の中にそれを否定する呟きが浮かんでくる。
いや、それは違う───
彼は私にたてついているのではない。
糸鋸刑事は極めて正常な、普通の者ならばすぐに気が付く事をただ言葉にしているだけなのだ。

「友人として近づいて、検察側の情報を聞きだすつもりかもしれないッス」
「……!」

激しい怒りを込めた目で睨みつける。糸鋸刑事はそれを当然のものとして受け止めた。

「自分の立場をわかってほしいッス……御剣検事は優秀な検事ッス。
 それを利用する者がいてもおかしくないッス」

彼の口調は一度も乱れることがなく、慎重かつ重みのあるものだった。
それは、彼が思い付きではなく真剣に私の身を案じているからこそ進言しているのだという事を物語っていた。

「可能性はないとも言い切れないッス。検事、自分でもわかって……」
「口を慎みたまえ」

すまねぇッス、と糸鋸刑事はまた小さく謝る。しかし視線は落とさないまま。
低い声でもう一度私に呼び掛けた。

「御剣検事。もう一度、ちゃんと考えてみてほしいッス」

跳ね除ければよいのに、私はそれが出来なかった。こみ上げる悔しさに思い切り唇を噛み締める。
そして無言で視線を下に落とした。床を睨みつける私に糸鋸刑事の言葉が重く圧し掛かってくる。
私を利用する……?検事を、弁護士が?彼が、私を?

その時、糸鋸刑事の携帯電話が激しく鳴り始めた。

立ち尽くしたまま動こうとしない私を少し気に掛けた後、ポケットから取り出した携帯電話を耳に当てる。
私はその場から去ろうとした。それは糸鋸刑事の真摯な訴えを取り下げたことになる。
そうだ、最初から取り合うべきではなかったのだ。愚かな部下の言うことなど。
私が成歩堂を。友人を疑うなどするわけがない。 ……そんなわけがないと強く思っているのに。
何故私の足はうまく動いてくれない?何故、思考はうまく働いてくれない?

───
何故、私の心は成歩堂を疑おうとし始めるのだ?

「御剣検事!」

離れて行く私の背中に向かって糸鋸刑事は怒鳴る。この男、まだ何か意見するつもりか。
鬱陶しげな表情を作り、私はわざと時間を掛けて振り返った。

「御剣検事……」

その呼び掛けを最後に、何も言わずぱくぱくと口だけを動かす姿に本気で腹が立った。
遠慮なく思い切り睨み付けた後、目を伏せてわざとらしく溜息を吐き出す。
しかし。次の糸鋸刑事の報告に私は驚愕することとなる。

「被告人が……変更になったッス。成歩堂龍一弁護士ッス」

 










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