top> 嵐の夜に_12雲の切れ間に

 


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「御剣……」

彼は廊下の窓の側に立っていた。外を眺めているため、その表情は見えない。
ゆっくりと足を運び彼の横に並ぶ。御剣の顔を見るのが少し怖かった。
自分がひどいことを言ったと再認識するのもつらいけれど、それ以上に。
……正直、検事としての彼は怖い。
ぼくは自分の気持ちを誤魔化すように俯いたまま口を開いた。

「千尋さんはとても真っ直ぐな人だから。……つい、言いすぎちゃったんだと思う」

ぼくの言葉に御剣は微かに頷く。
何かフォローの言葉を続けようと、息を吸い込んだとき。

「やはり……君たち弁護士にとって私という存在は憎々しいだけなのだろうな」

御剣は顔はそのままで、空に向かって呟いた。
否定しようと口を開きかけたけど、ぼくはまた口を閉じてしまった。
彼のことをわかっていると思うのは心の中だけで、それを口に出すことのできない自分が
どうしようもなく醜く思えた。ぼくは御剣の言葉に答えずきつく唇を噛む。
ぼくを見ていない御剣はそれに全く気がつかない。正面を向いたまま言葉を続ける。

「綾里千尋弁護士……とても優秀な弁護士だと聞いている」
「……ああ。千尋さんはすごく尊敬できる人だよ」
「いい師を持ったな」

とてもやわらかい御剣の口調に驚いた。
さっきは無能と言い放った御剣が、こんなにあっさりと彼女を認めるとは。
あんな風に言われたにもかかわらず御剣は千尋さんのことを悪く言ったり、侮辱しようとしない。
それは彼が自分の立場を自覚しているのか……法廷に立つ資格がないと、自ら悟っているのか。
逆に悪意を向けてくれた方がよかった。
赤い夕日に照らされた御剣の横顔が、とても胸に痛く切ない。
返す言葉が見つからず、ただ無言で御剣を見つめるぼくを振り返ることなく御剣は言う。

「私にも師がいる。とても尊敬できる人だ。その師に私は全てを習った。
 私はその人の存在を絶対として生きてきた。…そのやり方に疑問を持つことすら、許されなかったのだ」

唐突に、言葉の最後が苦しげに揺らぐ。
御剣はゆっくりを顔をこちらに向けた。白い顔に位置するふたつの瞳が声と同様に苦しげに歪んでいた。
その瞳はぼくから逸れることなく、静かに疑問を問い掛ける。

「成歩堂。私は……」

────異常か?

御剣ははっきりと口にしなかったものの、彼の聞きたいことはわかった。
首を横に振りたかった。でも、ぼくにはどうしてもそれができなかった。
御剣が憎いわけではない。けれども、どうしても御剣の信念が正しいとは思えなかった。
ぼくは無言のまま顔を俯かせた。 まるでその瞳と問い掛けから逃げるように。
でもその目を逸らしてしまったすぐ後に、ぼくは後悔をした。
何も答えないでいることが、その問い掛けを肯定しているように思えて。
自分の心全てが透けてしまっているような気がして。

彼はぼくのあからさまな態度に何も言わなかった。ふと、空気が緩む気配。
御剣が視線をぼくから外し、また窓の外へと顔を向けたらしい。

「私も彼女のような人間の下についていたら、いい弁護士になれたのかもしれないな」

しばらくして御剣は独り言のようにそう呟いた。
ぼくは御剣を見上げた。御剣は何も言わず、ただ無表情のまま外に視線を向けていた。
それを見た途端、どうしようもなく苦しくなってぼくは唇を噛みしめる。
言いたい事はたくさんあるのに。
先程ひどい言葉を吐き出したぼくが何かを言っても、どれも嘘のような気がしてきて。

───異常だよ。君は間違っている。

(どうしてそんな言葉をぶつけてしまったんだろう……)

彼の残酷な一面を見たからってそれをひどい言葉で罵るなんて。
彼がなぜ犯罪をここまで憎むのか、はっきりした理由はぼくにはわからない。
でも……誰彼も有罪に陥れなければならない検事という立場に彼自身も傷つき、迷っているのだとしたら?

彼が本当はとても優しい性格だという事を、ぼくは知っている。
友人として知っているつもりだったのに。

いつの間にか太陽はほとんど沈み、雲の切れ間から漏れた夕日の光がぼくたちを包んだ。
窓から差し込む日の光に照らされた御剣の姿になぜか泣きそうになる。
彼の傷付いたような瞳に謝る事もできない。その代わりにそっと指で彼の手を握る。
でも彼は振りほどかなかった。ぼくは目を閉じて指先に力を込めた。ごめん、という気持ちを込めて。

「なんか不倫してるみたいだ……」
「確かにな。人目を忍んで逢瀬を重ねる関係、か」

ぼくが漏らしたため息交じりの呟きに彼が微かに笑う。
オレンジ色に染まる御剣の笑顔はいつもどおりのもので、ぼくをどこか安心させた。
手を握る力を強め、声を潜めて囁く。

「そう。秘密の関係。ぼくたちだけの秘密だね」
「妙な言い方をするな……緊張するではないか」
「あ、照れてる?」

声を出して笑うと御剣に睨まれてしまった。それでもぼくは何だか嬉しくて、照れくさくて。
黙っている御剣を無視してしばらく一人で笑い続けた。
時間が流れるように過ぎ、あたりはすっかり暗くなり始めたその時。

そういうのも悪くないな、と御剣がぽつりと呟いたのが聞こえた。

 

●   
・.

 





 










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