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 次にぼくが訪れた場所は警察署だった。
 数年後も、ぼくはここを何度も足を踏み入れることになるのだが……署内の様子は過去も未来も特に変わりなく、今日も忙しく人々が行き交っていた。
 人の群れの中にある人物を見つけ、ぼくはちょっとだけ安堵する。何の変わりもないとはいえ、ここは過去の世界。見知った顔にほっとするのも当然のことだろう。
「イトノコさん!」
 名前を呼ばれた相手は、その大きな身体をぴたりと停止させた。親しげに名前を呼んだぼくに気が付くと、首を傾げながらもぼくの元へと歩いてくる。
「イトノコさん、探してたんですよ」
「はぁ……」
 はっきりとしない返事に今度はぼくが首を傾げた。イトノコさんの目が明らかにぼくを不審がっていたからだ。
 小中に直接取り合っても、ぼく一人では歯が立たない。時間もなく、焦ったぼくは味方を探すことに決めた。そこで思い出したのがイトノコさんだった。
 警察官であるイトノコさんがぼくの話を聞いてくれれば。直情的な性格の彼ならば、ぼくの力になってくれるかもしれない。
 警察も検察も、小中の側についているのだとしても。いつも事件の捜査内容をうっかりぼくに流してくれる彼に会えば、何かわかるのかもしれない。そう思って会いに来たのだ。
 相変わらず怪訝な表情のイトノコさんに見つめられること、数秒後。
「ああああああ!!」
「な、なんスか、アンタ!!」
 あることに気付き、声を上げたぼくにつられてイトノコさんまで声を張り上げる。
 ……そうか。昔のことですっかり忘れていたけど。
 イトノコさんとぼくが顔を合わせるのはもう少し先だ。千尋さんの──遺体を発見した時。そして、第一発見者である真宵ちゃんを逮捕し連行して行ったのがイトノコさんだったのだから。
 一人で叫んだ後、急に黙り込むぼくに対してイトノコさんの疑心はさらに深まった。ぼくは何と言っていいのか、また言葉を失くしてしまった。バッジのおかげで身分は証明できるけれど、でもそれが役に立つとは思えない。誰か、ぼくを昔から知っている人間。それが一人でもいれば。誰か、いないのか?
 その時。急激に、署内の空気が冷えた気がした。
 ぼくは顔を振り向かせる。前に立っていたイトノコさんの背筋が伸びる。
 見慣れた深い赤が視界に飛び込んできた。ぼくは息を飲む。そして吸い込んだ息と声を一緒に、思い切り吐き出した。
「御剣!」
 直立して自分を出迎える刑事たちには一切目もくれず、御剣は真っ直ぐにぼくの前へと歩んでくる。そして。
「何だ貴様は」
(こっ……こわい!!)
 低い問い掛けと同時にじろりと睨まれ、ぼくは思わず飛び上がってしまった。
 しまった、これも忘れてた。この頃の御剣はぼくの手紙を全て無視し、黒い検事と噂されている、恐ろしいと評判の天才検事。言うなれば反抗期の真っ最中だ。
──貴様は」
 じろじろと、無遠慮にぼくの身体や顔を観察していた御剣が口を開いた。わずかに目を見開いて。
 ぼくはなぜかぎくりと顔を強張らせる。この頃のぼくはといえば、御剣に会いたくて会いたくて堪らなかったから、今こうして再会できたのはものすごく喜ばしいことなんだけども。
 しかし。しまった、何て言おう。
 久し振りだな?……いや、会いたかったよ……違う、えーと……見ろよ、ぼくは弁護士になったんだ……君に借りを返すために……とか?
 ああ言葉も考えもまとまらない。あの頃のぼくは、御剣と再会したとき何て声を掛けたんだっけ?
 とりあえず、唇を久し振りの『ひ』の形に作ってみたものの。御剣は最高に冷たい空気をぼくに向けて放つ。友好的な挨拶なんてできる雰囲気じゃない。
「御剣検事、どうしたッスか?」
 と、いいタイミングでイトノコさんが睨み合う二人の間に言葉を投げ込んだ。御剣の神経質そうに歪んだ顔と視線がぼくから離れ、ぼくはほっと息を吐き出した。
「午後から裁判の予定があるのだが……少し時間が空いたのだ」
「検事、大丈夫ッスか?顔色が悪いッス……」
 イトノコさんの落ち込んだ声色に御剣は自分の眉をまた神経質そうに歪め、ぼくは御剣の顔を覗き込んでその顔色の悪さの度合いを自分も確認しようとした。すぐさまじろりと睨み返されて、ぼくは慌てて顔を奴から背けた。
「ちゃんと寝て、食べてるッスか?自分の弁当、あげるッスよ?」
(イトノコさん、まるで御剣のお母さんだな……)
 でかい図体をせせこましく曲げ、心底心配そうに御剣を気遣う姿に思わず感心してしまった。
「うム……」
 心配された本人は歯切れ悪く唸っただけだ。その横顔をこっそりと窺う。どうやら、寝ていないのも食べていないのも図星だったようだ。元々白い顔が血の気を失い、さらに白く見える。
──どうせまた、エレベーターの悪夢でも見てたんだろ」
 ぽつりと、本当に何の考えもなく。思ったことが口をついた。
 御剣の顔色がさっと変わる。今よりももっと白く、青く痛いほどに。
「何だと?」







 

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