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「だから!大事な用事があるんですよ!」
 ばん、と大げさな音が鳴る。ぼくが自分の両手を受付の台に叩きつけたからだ。その向こうに座る女性はめんどくさそうに、そして迷惑そうにぼくを見上げた。
「社長は外出しております。ご用件なら代わりにお伺いいたしますけれど」
「外出って、どこに行ったんですか?」
「申し訳ありませんが……」
 咳き込むように問い掛けても答えは冷たい。しかもさっきと全く同じ、もうすでに何度も聞いた答えだ。
 ぼくの背後にはシュールなインテリア。受付嬢の後ろにも妙な形の置物が置いてある。ぼくがいた未来では社長が逮捕され、すでに倒産寸前になっている会社──コナカルチャーにぼくはいた。
 九月五日、今日の日の夜。千尋さんはここの社長の小中大に殺害されてしまう。
 その事実をすでに知っているぼくは、先回りして社長に話をしにきたのだ。会って何を話すかなんて考えていない。でも彼女を殺させるわけにはいかないのだ。
「大変申し訳ございませんが、お引取りください」
 微塵も申し訳ないと思っていないだろう、仮面のような表情でぼくを追い払おうとする。でもぼくも食い下がるわけにはいかない。今までのものとは違う、新しい未来を作り出すために。
「ぼくは……」
 息を吸い込み口を開き、もう一度掛け合おうとしたその時。
「どうしたのー?」
 届いた声に反射的に表情が強張ってしまう。この無駄に甘ったるい、間延びした声は……
「松竹梅世……」
 ゆっくりと振り返ったぼくは思わず呻くようにその名を呼んでしまった。バンドーホテルで、留置所で、そして証言台で……散々ぼくを困らせた女がそこに立っていた。両手を胸の前まで運び、可愛らしく首を傾げる。
「だぁれー?どうして梅世のこと知ってるのぉ?」
 そう言いつつぼくの元に近付いてくる。服の派手なピンクとその身体に纏わりつく濃い香水の匂いに頭がくらくらする。
 梅世は青いスーツのぼくを無遠慮にじろじろと観察し、胸に付けた金色のバッジに目を止めると。一瞬だけ表情を消した後、にっこりと笑う。
「あなた、弁護士さん?社長に何のようなのぉ?」
「………」
 ぼくは口を閉じて考えをめぐらせた。
 今日の夜、彼女も犯罪に加担する事となっている。彼女をホテルに行かせなければ千尋さんは助かる……?それともただ、目撃者がいなくなるだけで事件は防ぎようがないんだろうか。
 その間にも梅世はぼくをじろじろと観察し続けていた。その視線に思わずたじろぎ掛けたけれど、ぼくは気を取り直して彼女を見返した。そして口を開く。真っ直ぐに見返して、堂々と。
「知ってるんですよ、ぼくは。あなたがしていることを」
 その一言に梅世の表情は明らかに変化した。
 彼女が小中の命令で千尋さんの事務所を盗聴している事。それはぼくが今後の裁判で証明した事だ。ぼくは言った言葉に加えて笑顔を浮かべた。不敵に微笑むぼくの顔を見て梅世は動揺したのだろう、落ち着きなく視線を泳がせ始めた。
「し、知ってるって何をよ」
「それはあなたが一番よくわかってるんじゃないんですか?」
 ぼくは盗聴の事実を言わずに、遠まわしに問い掛ける。
 バンドーホテルで、留置所で、そして証言台で……散々ぼくを馬鹿にした事は今でもよく覚えている。その復讐というか、仕返しというか。ぼくが彼女に受けた仕打ちに比べれば可愛いものだと思う。
「何よそれ。梅世、わかぁんな〜い」
「ぼくは全て知っているんですよ」
 猫をかぶるのも大概にしろ、と思いつつもう一度同じ台詞を繰り返す。
 ぼくの正面に立つ梅世の顔は次第に険しいものになっていた。よく見ると口の端がぴくぴくと痙攣している。口調は相変わらず間延びしているものの、その瞳は明らかに苛ついている。激しい怒りに顔と人格が激変するのも時間の問題だ。
「ぼくは」
 そう言いかけた時。梅世がそれより早く口を開いた。
「梅世が何かしてるって言う証拠はあるわけぇ〜?」
 そう言われてぼくははたと気付いた。浮かべていた笑顔が凍りつく。
 ──証拠……?証拠。証拠は……何もない。今のところは。
 ぼくの笑顔が消えた事に気が付いた梅世はそこをすかさず突っ込んできた。
「なぁに、証拠もないのに言っていたわけぇ〜?信じられな〜い」
 形勢逆転。
 ぐっと押し黙ったぼくに、畳み掛けるようにして梅世は言葉を投げ付けてくる。くらえ!と叫んで証拠品を叩き付けたいところだけど……残念なことに今のぼくにはまだ何もない。まだ事件すら起こっていないと言うのに。
 未来のぼくが知っているのは小中が千尋さんの命を奪ったという事だけ。でも、それを今言ってもただの妄想にしかならない。
 この怪しげな会社が一体何をしているのか、誰を脅しているのか。詳しく言えば小中を追い詰めることができるんだろうか?でも、あの時小中を自白させたメモも千尋さんからもらったもので、結局ぼくは何一つ知らない。その時読み上げた人々の名前だってろくに覚えていない。
「梅世、忙しいんだけどぉ〜なぁに?用があるならさっさと言いなさいよぉ」
 先程の勢いを失くし、沈黙してしまったぼくを松竹梅世はきつく睨む。ぼくは言葉を見つけようと、必死にその顔を見返してはみるものの……何一つ言い返せなかった。
 この女は千尋さんの事務所を盗聴しているのに。それをぼくは知っているのに。証拠がない。
 悔しい。──悔しい。
「いい加減にしないとケーサツ呼ぶわよ?」
 黙ったまま何も言わず、かといって立ち去ろうともしないぼくに痺れを切らしたのだろう、梅世は口調をさらにきつくした。語尾に本性が見え隠れしている。
 警察?警察くらい、いくらでも呼べばいい。ぼくは悪いことなんて一つもしていない。実際に捕らえられるべきなのはこいつらの方だ。
 しかし。三年前の記憶が鮮明に甦り始め、ぼくは絶望に気付く。
 以前もぼくはこの場所に訪れ、そして捕らえられた。何もしていない、ただ真実を口にしたというだけで。
 愕然としたぼくを絶望がゆっくりと浸し始める。自分は何て無力なのだろう。未来を全て知っていても、それに抗うことはやっぱり無理なのだろうか。握り締めた拳の中にある、自分の指の先が冷えていくのを感じた。さっきまで心を燃やしていた目的も、急激に全てが色褪せ始める。やっぱり駄目なのか?
 とにかく、何か変えなければいけないのに。何か、何か、今日の夜までに。
「あ!社長」
 無駄に甘ったるい、聞くだけでも胃がむかつくような声が響いて、ぼくははっと我に返った。
 ぼくを睨んでいた梅世の視線が外され、右方へと向けられている。大きなガラスで形成された、正面玄関の外へと。つられて視線を転じて──ぼくは思わずげっと叫んだ。
 眩しい。でもそれは日の光自体が眩しいわけではなく、日の光を反射している人物が眩しいのだ。サイズが大きすぎて、逆に安物に見える指輪。胡散臭いとしか言いようのない白い歯。まるで自身が鏡のようにキラキラと輝く男。
 小中大が、冗談みたいに馬鹿でかい車から降り立つのが見えた。







 

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