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 「ハイ、なるほどくん。どうぞ!」
 にぎやかな声と共に置かれたカップにぼくは手を伸ばす。
「コーヒー淹れるのうまくなったね、真宵ちゃん」
 喉をするりと通り過ぎたコーヒーの味に、ぼくは思わず声を掛ける。真宵ちゃんはお盆を片手にえへんと胸をそらせた。
「ゴドー検事に習ったんだよ!うまく入れるコツ」
「よく教えてくれたな、あの人」
「うまいコーヒーは手で淹れるもんじゃねぇ。ハートで淹れるものなのさ!……だって」
 声真似とジェスチャー付きで報告した真宵ちゃんに、ぼくは真っ先に浮かんだ質問をぶつけた。
「……それで、具体的にはどう淹れるんだ?」
「さぁね?」
 真宵ちゃんは首を傾げて笑うと、台所へと引っ込んだ。

 千尋さんが還り、真宵ちゃんが帰った後。
 ぼくはまたいつもの日常を取り戻した。夢だったのか、現実だったのか。その謎は深まるだけ深まって、結局わからないまま日々はめぐる。
 千尋さんはいない。ここの事務所の所長は、このぼくだ。
 あれが夢だとわかっても、不思議なことにぼくは悲しいとか寂しいとか思わなかった。大体、過去になんて戻れるわけがないじゃないか。真宵ちゃんと春美ちゃんにからかわれたのだろう、きっと。
 台所から戻ってきた真宵ちゃんが、興奮した様子でデスクにつくぼくの元へと駆け寄ってきた。
「ねえねえ、なるほどくん。未来にいけるツボっていうのはどう?」
「どうっていうかそんなのどうやって作るんだ?大体どうしていつも、ツボにこだわるんだよ」
「なるほどくん、わかってないなーツボにはすごい力がこめられているもんなんだよ!」 
 にこにこと笑う真宵ちゃんの瞳に悲しみは見えない。それに返すぼくの目にも、きっとこの前のような悲しみは浮かんでいないだろう。真宵ちゃんの表情を見ればわかる。
 千尋さんの命が尽きたこの場所でぼくたちは笑う。生きる。それは悲しいことではなくて当たり前のこと。仕方のないことではなくて当然のこと。諦めるのではない。どう取るかは自分の心にかかっている。死を、霊媒を、悲しいものだと認識せずにはいられなくても。ぼくも真宵ちゃんも、これからもずっと生き続けてくのだから。

 なるほどくん──

 呼ばれたような気がしてぼくはふと手を止めた。ぼくは視線を事務所の中に泳がせてみる。でもやっぱりそれは気のせいで、彼女の姿は見えなかった。胸の中にじんわりと切なさと喪失感が滲みた。
 その時。そんなぼくに窓から差し込んだ柔らかな日の光が届いた。気が付いた真宵ちゃんが小走りで窓に駆け寄る。
「なるほどくん、ほら、晴れてきたよ!今から留置所行くんでしょ?早く行こうよ!」
 真宵ちゃんが嬉しそうに窓の外の太陽を指差す。
 その笑顔にとてもよく似合う、温かい光に包まれてぼくの心の悲しみはふっと軽くなってしまう。明るくなった事務所の中に、もう一度視線を順々に向けた。
 彼女が育てていた観葉植物。彼女が記録し続けた法廷ファイルの数々。彼女の手が作り出したこの事務所。そして、彼女の教えを受け継いだぼく自身。千尋さんはいなくても、その存在はずっとここに生き続けている。
 そして、その存在はいつだってぼくの心を輝かせる。
「待ってよ真宵ちゃん、コーヒー飲んじゃうからさ」
「ほらほら、早くしないとおいてっちゃうよ!」
 真宵ちゃんに急かされてぼくは立ち上がった。壁に掛けてあった青いジャケットと、その胸に輝くバッジを確認するとそれを手に取り扉へと向かう。

 ──強くなりなさい、なるほどくん。

 出て行く瞬間に。
 もう一度彼女の声が響いた気がした。ぼくは振り返り、けれども足は前に向けたまま。その声に愛しさを感じながら深く頷いた。
 はい、千尋さん。
 ぼくは呟く。逝ってしまった彼女に届くように、そして自分に言い聞かせるように。












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