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正しい人間がの命がまた一つ、失われた。
その日、検察庁は喧騒に包まれていた。
それはとある殺人事件が原因だった。昨夜起きた、女性弁護士殺人事件。
彼女は法曹界でも名の知れた人物で、その突然の死は私たち検事にとっても多大な衝撃を与えた。
私は検事局長に呼ばれ、その事件の担当につくことを命じられたのであった。
(被告・綾里真宵…17才)
デスクにつき与えられた資料に一から目を通す。目撃者もおり、一見なんて事のない殺人事件に思えた。
しかし、何とも言えない違和感を誰もが感じていることだろう。
実の妹が姉を撲殺する。その理由は?
考えずともそんなことはすぐにわかる。───真犯人は別にいるのだ。
目撃者の職業の欄に書かれていたのは、ある会社の名前。
探偵業とはかけ離れた恐喝まがいの脅迫を繰り返し、全社会で圧倒的な権力を持つ会社。
おそらく、この会社の社長が一枚噛んでいるのだろう。いや、一枚どころか…彼自身が起こした殺人なのだろう。
資料を一度読んだだけで、私は事件の真相を容易に推測することができた。
しかし、そんなことは問題ではない。
被告人を全て有罪にする。それが検事である私のルールだからだ。
書類を読み進める私に、予期しないことがたったひとつだけあった。
最初から結果の決まっている法廷に立つ愚かな弁護士。
「成歩堂…龍一」
唇を動かし、その名前を読み上げる。彼の名を声に出して言うのは何年ぶりのことだろう。
忘れもしない。あの事件の起こった9歳の頃に、長い時間を共に過ごしていた男。
御剣、と幼い声で私を呼び駆け寄ってきた男。
そして目障りな手紙を何度もよこした。無視し続けているのにも構わず、何度も、何度も。
どうしても私の前に立つつもりか。
しつこく追いすがってくる男の影に、私は思わず笑みをこぼした。
(………おもしろい)
その目障りな存在を握りつぶしてくれよう。隠蔽された真実とともに。
・.
検察官だと名乗ると、少女の目は明らかに嫌悪感を含んだ。
休む間もなく繰り返される取調べに辟易しているのだろう。彼女の正面に向かい合い座る私は
とりあえず体面的に、にこりと微笑んでみせた。
その笑みに安心したのか、綾里真宵はほんの少しだけ表情を緩め警戒を解いた。
私はゆるく微笑んだまま手にしていた資料を彼女の前に並べる。
現場写真に少女の顔が一変して強張る。そして怯えた瞳で私を見上げた。
「君は昨夜、綾里法律事務所で綾里千尋を殺害した。
側にあった置物で頭部を殴り、失血した綾里千尋はその血を使い犯人を告発した。
……君も自分の目で確認したのだろう?赤い血で書かれた、マヨイという文字を」
「やめて!」
淡々と事実を述べる私の言葉を、綾里真宵は悲鳴のような声で遮った。
そして、目の前に並んだ写真を両腕で跳ね除ける。
「やめて…やめてください!」
自分で自分の耳を塞ぎ、激しく首を振る。涙のあとが残る頬にまた、新たな涙が流れ落ちた。
声を震わせ、顔を俯かせ、彼女は必死に弁解する。
「あたしじゃない!…あたしじゃないんです、あたしが来たとき、もうお姉ちゃんは…」
「目撃者もいる。言い逃れはできない。…無駄なことだ」
「言い逃れなんてしてない!嘘じゃない、信じてください!」
涙で声を詰まらせながら言葉を繋げる綾里真宵を見つめ、私はまた微笑む。
口調は優しく、微笑を崩さないまま私は彼女を追い詰めていった。
灰色の椅子に座る綾里真宵は小さな身体をさらに小さくし、泣きながら自分の無実を訴えた。
「明日の裁判で明らかになるだろう。君が、姉を撲殺したという事実が」
涙で濡れていた瞳が、私の言葉に凍りついた。そして見る見るうちに色褪せていき、失望に支配される。
私はそれをさめた視線で見ていた。
全てに絶望し、希望も望みも果てた瞳はよく知っていた。
被告が私を見るときはいつも、揃ってこれと同じような目をするのだ。
私は視線を彼女から外すと、椅子から腰を上げた。 被告の嘘かどうかもわからない話を聞く暇はない。もうここには用はない。
「弁護士さんなら」
去り際に小さな呟きが耳に届いた。私は無表情のまま振り返る。
先程まで絶望で黒く染まっていたはずの瞳をこちらに向け、綾里真宵は真っ直ぐに私を見つめていた。
涙で頬を濡らしたまま、それでも顔を上げて。
「あの弁護士さんならあたしを助けてくれる。絶対に」
そして静かな声でそう告げた。その目に、ある希望の光を宿して。
まるでヒーローを称える子供のように。 純粋に真っ直ぐに、正義が負けることを微塵も疑うことなく。
何も返さない私に向かって、綾里真宵は強い瞳で宣言した。
「あたしは信じてます」
・.
扉の開く音に気付き、顔を上げた。
「御剣検事。頼まれていた解剖記録の再調査結果です」
「うム。ご苦労」
控え室を訪れた若い刑事は敬礼をし、一通の封筒を差し出した。私はそれを軽く頷いた後、受け取る。
中身を取り出し確認した私を見て、その刑事はまた足を動かし私の前から去ろうとした。
それを低い声で呼び止める。
「どこへ行く」
「はい。成歩堂弁護士にも連絡をと思い…」
「いや、それは私からしておこう」
私の言葉に刑事は目を丸くした。そして少しの間の後、顔を強張らせて口を開く。
「御剣検事はお忙しいでしょう。そのような事は自分たちが…」
「聞こえなかったのか?同じことを二度も言わせるな」
抑揚のない問い掛けを受け、刑事は口をつぐむ。私は唇だけ歪めて笑った。
「君はもう下がりたまえ」
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控え室のソファに身を沈め、私は開廷の時を待つ。
一晩かけて作り出したシナリオは完璧だ。証人の口止め、解剖記録の隠蔽。全て先に手は打っておいた。
相手のやり方は大方予想がつく。証言のあらを探して矛盾を指摘する、法廷テクニックと呼ぶのも
おこがましい卑怯なやり方。……ならば、その裏をかいて先回りすればいいだけのことだ。
ふ、と息を吐き出して私は昨日会った被告人のことを思い浮かべた。
怯えた瞳で私を見つめ、泣きながら首を振る小さな少女のことを。
──可哀想に。
実の姉の死体を発見し、挙句の果てに逮捕までされて。
新人弁護士が奮闘するも、悲劇の少女は有罪になってしまう。姉殺しの罪を一生背負い生きていくのだ。
完璧なシナリオを自分の頭の中で描き、私は言葉とは逆に微笑をこぼした。
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