2018年7月27日 空港 ロビー
引きずっていたカートを横に置き、辺りを見渡す。
空港には様々な人で溢れている。その誰もが目的を持ちゲートの側で立ち止まる私には気が付いていない。喧騒の中、私はしばらくそうして人々の流れを見つめていた。
同じ飛行機に同乗していた人もすでにいなくなり、人もまばらになってきた頃に。私はようやく足を進め始めた。出口へと向かう人々の中、正反対の方向へと向かってくる人影。遠目からでもその鮮やかな色のスーツのおかげで、私はその人間をが誰なのかをすぐに認識できた。
どのような表情を浮かべていいのかわからず、ひとり悩んでいるうちに相手が私の目の前まで来て、足を止める。私も必然的に足を止めることとなった。
「遅いよ」
短い瞬きの後。視線がこちらに向けられ、二人の視線が初めて合う。
「到着時間にちゃんと来てやったのにさ。なかなか出てこないからコーヒー飲んできた」
飛行機の到着時間は飛行機が滑走路に下りた時間を言うのだから、時間通りに来たとしても迎える側はしばらく待つことになるのだが。彼は何度教えてもそれを理解してくれなかった。結果的に私がいつも叱られることとなる。
「すまない。待たせるつもりはなかった」
嫌味も皮肉も封印して素直に謝罪した私を成歩堂は満足げに見る。そして、迎えに来たくせに私の手荷物には全く手を出さずに歩き出した。
「わざわざここまで来た交通費もあるし、今日はお前のおごりだぞ。ぼくは払わないからな」
「了解した。忙しいなか出迎えに来てもらったのだ。当然だ」
異議もなく頷いたのに何が不満なのか、成歩堂は横目で睨んできた。
「ぼくはただ、お前が逃げないよう見張りに来たんだよ」
「それはそれは……ご苦労なことだな」
出迎えという単語が気に入らなかったのだろうか?まるで、勘違いして喜ぶなよと釘を刺されたようで、私は思わず苦笑した。そして、彼の横に肩を並べ同じ方向へと歩き出す。二人の間にある距離は絶対に縮めないように意識して。
『ぼくがおかしい事をしないようお前がぼくを見張ってろよ』
脅迫、という言葉を成歩堂は使った。私がそれを拒絶することは許されていない。
私は彼の言うとおり、彼の側へといることになった。
成歩堂が実際にあれを使って私を告発するようなことはしないだろう。彼は情に深い男だ。それに、もし仮に本気で訴えるつもりならば私は今もこうして検事を続けていられないはずだった。
一体いつまでなのだろうか?いつになれば、彼は私を許してくれるのだろう。一年?五年?十年?───それでは足りないだろう。何年でも構わない。一生を費やしても構わない。ずっとずっと、君の側に。
「お前待ちすぎて腹減ったよ。どっか適当に食べてく?」
「せっかくだ、先日見つけたフレンチレストランに空きがあるか聞いてみよう。コース料理くらいは奢らせてくれ」
私におごらせるくせに、その内容には全く頓着しない彼を慌てて宥める。案の定成歩堂はげんなりとした顔を作った。別にどこでもいいのに、と呟く顔に私はある希望を見つけてしまう。
自分を傷付けた相手を側に置きたがるその感情は何なのだろう?前は、二度と顔も見たくないと言っていたはずだ。死んだはずだとも言われた。しかし、こうして隣を歩く成歩堂はそれに矛盾している行動を取っている。
いつか、この矛盾を彼に突きつけたのなら。
私も成歩堂のように逆転できるのだろうか。今のこの状況を。
「コース料理って出てくるのに時間掛かるじゃないか。あれってめんどくさいんだよな」
そう言って唇を尖らせる彼は、知らない。私がわざとそういう料理を選んでいることを。時間が長く掛かる場所へと連れて行き、彼との食事を楽しんでいることを。
この思いは口にすることはないだろう。私にはその資格はない。しかし、期待することだけは許してほしいと思う。自分でも身勝手で図々しいとは思うが。
「君がこの間気に入っていたワインも置いてある。全て君の好みに合わせよう」
そう言うと成歩堂はやっと笑う。その笑顔が愛おしくて、気付かれないように数センチだけ互いの距離を詰めた。