index > うら_top > 逆転脅迫top

BACK NEXT



2018年3月25日 成歩堂法律事務所




 扉をくぐり、御剣はどこか懐かしそうに部屋を見渡す。そして、それを見ていたぼくに気が付くと不器用な顔で微笑んだ。
 一年前に比べ、随分言葉遣いも表情も柔らかくなった気がする。失踪というのは狂言で、実は海外研修へと行っていたという事実をイトノコ刑事から聞いたのは、真宵ちゃんが解放され、事件が全て解決し、ホテルで打ち上げをしている時のことだ。
 早くに全てを打ち明けるつもりだったのだが、御剣に対するぼくの怒りが相当なもので言い出すタイミングを失ってしまったと、イトノコ刑事はぼくに謝ってきた。
 一年間、どこで何をしてきたのだろう。一年間、ぼくがゆっくりと腐っていく間に。
 黙っていると思考が暗い方向へと独りでに流れていってしまう。振り切るように口を開いた。
「あの時は、協力してくれて本当にありがとう。助かったよ」
 努めて明るい声を出したものの、すぐに口の端がうまく動かなくなってしまう。隠したくて背を向ける。
 法廷に立ってる間、誰よりも信用できると思った。今にも終わってしまいそうな裁判をどうにか食い止めることができたのは、御剣の協力があったからだ。
 でも、こうして裁判が終わり御剣と向き合うと、ぼくの胸には再び重い枷が乗せられてしまった。苦しい。御剣がいると。
 早く帰ってくれないかな。そんな思いが胸を支配する。やっぱり、何か理由をつけて追い返せばよかった。わざわざ、あの時と同じ場所を選んだりして───迂闊だったと今になって思う。
 空気を読んだのか、御剣が声を掛けてきた。
「成歩堂……」
「真宵ちゃんもすごいだろ、あの子。よく色々と巻き込まれてるよ。この前も逮捕されちゃってさ。大変だったよ、霊媒とか裁判でも出てきて」
 耐え切れなくて、口を開いて一気に言葉を吐き出す。相手に相槌すら求めない、一方的な会話。確か前もこんなことをした気がする。あの夜だ。御剣を手に入れることができたと、勘違いをした夜。
 あれから一年以上経っているのに、いまだに自分は前と同じことをしている。情けなさに逃げ出したくなった。時間だけが経ってまるで進めていないなんて。
 と、その時、御剣が慎重に言葉を挟んできた。
「……その事件なら、知っている。君が担当したものは全て、糸鋸刑事に頼んで研修先に送らせていたのだ」
 何でそんなことを。
 振り返り、視線だけで問い掛けた。が、目が合ったことに驚いて逸らしてしまった。何をやってるんだ、とまた自己嫌悪に陥る。
「成歩堂」
 自分の方を向かせようとしたのだろう、御剣の腕が伸びて肩を掴んだ。いや、掴もうとした。
 でもその前に自分の手がそれを振り払っていた。驚くほど、早く。御剣は愕然としてこちらを見つめる。ぼくもまた同様に驚いていた。自分の過剰反応に。
「すまない」
 驚きの次に諦めを浮かべた瞳を伏せ、御剣は謝罪する。謝るなよ、と言いたかったのに声が出なかった。全て忘れたと、水に流すつもりでいたのだ。自分は。御剣に触れられようとする、一瞬前までは。
 振り払ってしまった手に何故だが罪悪感を感じ、ぼくは下ろした。自分で自分の肩を抱く。そしてまた御剣に対して背中を向けた。
 この身体に与えられた傷も痛みも全部癒えている。でも、それでも相手に対するしこりが大きく存在していた。残っていたものが───大きすぎる。
 過ぎた時間の物事がフラッシュバックする。拘束された腕。言葉を奪われた口。最後には、謝罪を期待していたのに、辛らつな言葉を投げ付けられた。そして相手は生を手放し、ぼくはその後の一年間を空虚と憎悪に悩むこととなった。
「もう二度と君には会わない」
 唐突に終わりを告げる言葉に顔を上げて相手を見た。でも、すぐにかち合う視線に動揺し逸らしてしまった。俯いたぼくに与えられたのは、容赦のない謝罪の言葉。
「君の中で私は死んだとしてくれ。それが私の罪滅ぼしだ」
 御剣は勝手なことばかりを言う。死んだという事実を認めることができなくて激怒していた自分を見れば、そんな方法を選択するなんてできないはずだ。そんなことは望んでいない、と声を上げて反論したかったのに声が出なかった。何かしようとしても、どうしても身体が竦んだ。いつかはまた、裏切られてしまうのかもしれない。そんな恐怖に。
 御剣は鞄を探り、あるものを取り出した。ぼくと、御剣の間に存在するデスクの上に置く。
「あの時の物だ。これは君に渡す。コピーなどしていない。君の手で処分するのが一番安心だろう?」
 御剣の目の前に置かれたそれに、どこか見覚えのある光景だと思った。以前も御剣はそれを持ってここを訪れた。わざと違う物を真宵ちゃんに渡し、嘘をついてぼくを狼狽させた。
 思い出したくもない記憶が蘇る。思い切り顔を背けた。
 御剣はそれを当然のものとし、唇を歪める。笑うというよりは他に浮かべる表情が見つからないといったようだった。
「君の側にはいられない。忘れてほしいなどと、都合のいい事は言えない。しかし、君に責められるのは辛い。身勝手だとは思うが」
 様々な思いで、喉は何かに塗りつぶされたように固まりきっていた。思わず喉を押さえる。声を取り戻せない。短い息だけが細切れに落ちていくだけだ。
 御剣の双眸が細められたのは、その時だった。真摯に、謝罪だけに向けられていた御剣の心が初めて歪むのをぼくは見た。
 そんな御剣から発せられた言葉はぼくの全てを揺り動かし、壊した。
「成歩堂。君は信じてくれないかもしれないが、私は君に惹かれていた。だが、君に避けられていたことを知り、あんなことをしてしまったのだ」
 嘘だ。
 思わず背中を向けてしまう。受け止め切れなかった。御剣の、告白とその内容を。
 御剣がぼくを好きだったなんて、嘘だ。そうだったらあんなひどいこと、できるはずがない。
 思ったことをぶつければそれは会話になるのに、ぼくはそうしなかった。できなかったのだ。御剣はそれをぼくが自分との会話を望んでいないのだと取った。最後に一度、深く深く頭を下げる。
「では、失礼する。……成歩堂。どうか、元気でいてくれ」
 何言ってるんだ。勝手なこと言うな。
 心の中ではそう罵っているのに、ぼくの口はぴくりとも動いてくれない。背中を向けたまま無言を返した。少しの間、御剣が返答を待っている気がする。それなのに。
 駄目だ。振り返れない。
 御剣が言う以上、それは本当なのだろう。御剣はぼくの前に姿を現さないことを決めている。この先、もう二度と御剣には会えない。
 一生、死ぬまで。
 会うことはなくなる。
 その時。妙な衝撃が背中を襲った。御剣が手にしていたコートが自分の背中に被せられた。と、少し遅れて気付く。咄嗟に振り返ろうとした身体を後ろから抱き締められた。どきりと心臓が飛び跳ね、全身が強張る。
 でも、コート越しに触れてくる御剣の腕の力は驚くほど繊細だった。ぼくが振り解けばすぐに逃げ出せれるだろう、本当に弱い力。今までとは違う。傷付けるためではなく、大切に大切に。とても、大切にぼくを抱く。
───
 柔らかな御剣の腕に囲まれた状態で、ぼくは御剣の最後の言葉を聞いた。でも、その言葉は小さすぎてうまく聞き取れなかった。そう、小さすぎたから。ぼくの耳に届いた三つの言葉は現実のものとは思えなかった。

 すまない、好きだ。そして、最後は。───さようなら。

 そしてゆっくりと、御剣は離れた。二人の間に距離が生まれる。気配が遠ざかる。いなくなる。
 そこでぼくと御剣は切れた。






BACK NEXT

index > うら_top > 逆転脅迫top