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2017年2月24日 成歩堂法律事務所




「んぁ、ふ、あ…っ」
 ブラインドを全て下ろした室内に清い光はない。あるとすればほの暗い、わずかな隙間から入り込んでくる光だけだった。それだけでは室内のものは照らせない。だからぼくは誰に遠慮することもなく背中を仰け反らせた。ソファの上に両膝をついて、布製の背に縋る。その格好で腰を突き出して、触れた感触を爪を立てる勢いで抉るように押した。
 イキたい。
 強烈な欲求が浮かび上がる。手助けをするように右手が前に回った。擦らなくても触れるだけで気持ちがいい。左手は相変わらず後ろにあり、狭い穴を弄っていた。
「あ、っあ、欲しい、御剣っ」
 無意識のうちに溢れてきた名前に意識を向ける余裕もなかった。それどころか、霞を掴むようだった欲望の矛先がようやく定まり、逆に快楽が増した。うまく動かない舌を動かして必死にそれを捕まえた。逃さないように連呼する。
「……御剣、イキたい、御剣、御剣ッ!」
 願いを声にして発する。それだけで切なさに似た苦味を伴う快楽が胸に渦巻いた。まもなくそれは爆発的な塊となり、物となって手のひらに零れ落ちた。ソファが汚れてしまう。荒い息を吐き出しながら、一秒後にはもう後悔をしていた。
 右の手が白濁液でぬるぬるになっていてとにかく不快だった。中を弄っていた指を引き抜く。自分が欲しがっていたのはこんなものだったのだろうか。情けなさや虚しさが胸の中で暴れまわった。
 普通の男性ではあまり考えられない、前立腺を使った自慰はもう何回もしていた。でも、今みたく事務所でしてしまうのは初めてだった。
 明日には、巴さんと茜ちゃん。そして、御剣の運命も決めるといった重大な裁判を控えているのに。あの時のことを考えないようにと、自分に命じたのは一昨日のことだ。それなのに。無理に抑圧したせいでさらに理性がきかなくなってしまったみたいだった。本当に、どうしてしまったのだろう。自分と、自分の身体は。
 短時間であんなに高ぶった感情は波が引くように一気に無くなり、代わりに取り戻した理性が自分を責める。
 一体、何をきっかけにして思い出したんだろうか。御剣とのセックスを。下半身だけ晒した情けない格好のままソファにもたれ掛かる。すでに暗い事務所に一人で足を踏み入れた時に、その部屋が纏う宵闇の空気に。あの頃のにおいを嗅ぎ付けてしまったのだ。御剣がここを訪れ、人には告げることのできない行為を繰り返していた、あの頃の閉塞した空気を。
「ぼくは……御剣だから」
 昼間、言えなかった台詞を呟いた。誰もいない。そんな場所だから。
 ぼくは、御剣だから、許した。
 それが真理だ。御剣がぼくを汚しても、脅迫しても。御剣だから、ぼくは許す。
 その後は、思考を進めることすらできなかった。ああ、いつからなのだろう。ぼくは───御剣のことを……
「ごめん」
 短い声が溢れる。
 腕を持ち上げ、両目に被せた。白いシャツをまぶたの上に乗せたまま唇をかみ締め、それ以上暴走してしまわないよう自分を抑えた。そんな思いを向ける対象じゃないのだ。彼は。自分の憧れであり、常に清廉で潔癖な人間。そうであると信じ、そうであって欲しいと誰よりも願っていたのは、ぼくだ。
「…………」
 昼間に見つけた矛盾を胸に抱え込み、ぼくは煩悶した。
 御剣はもう悪夢に囚われてはいない。だから、ぼくに触れることはもうないのだ。永遠に。
 そう気付いた時に自分に与えられたのは、安堵ではなかった。何かが足りないという強烈な飢餓感。泣きたくなるくらいに求めて求めて、求めて。虚しくなるとわかってはいても、自分を慰めるという禁断の行為に浸ってしまう。それをぼくは永遠に抱えていかなければならないのだ。たった一人で。
「冗談じゃない……」
 呻くように呟く。冗談じゃない。そんなの自分が耐えられない。いつか、壊れてしまう。
 腕を退けて顔を起こす。そして闇を睨み付けた。
 この思いは殺さなくてはならない。
 絶対に。





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