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2017年2月22日 上級検事執務室・1202号




「……成歩堂、龍一…どこまでもおせっかいな男だな、君は」
「久し振り……だな、御剣」
 予想していたことなのに、それが正解だったと喜ぶこともできずにぼくは低く呟く。久し振りに見た御剣は相変わらず眉間に盛大なヒビを刻んでいる。伺うように見つめていたぼくの視線に気付いた御剣が、ふいにそれを受け止めた。ぎくっとして身を縮めるより先に、隣りにいた茜ちゃんがぺこりと頭を下げた。
 休業中だった事務所にやって来た彼女の依頼を受けたのは、午前中のことだ。彼女の姉───事件の被疑者である宝月巴さんは主席検事だから、その繋がりで知っていたようだ。御剣を紹介されたこともあるらしい。
 今回、巴さんが死体を隠したとされる赤い車は御剣のものだったのだ。御剣は神妙な面持ちで独り言のように呟く。
「……この手で自分の上司の罪を立証することになろうとは」
 明日の法廷には御剣が立つらしい。ぼくは、千尋さんの事件の時とはまた違う緊張を自分がしていることに気が付いた。優秀な検事に対する緊張と恐怖の他に、自分にあるのは。
 執務室が御剣のものであると知った時から、なんとなく息が苦しい。御剣が茜ちゃんに注ぐ視線は、上司の妹に対する穏やかなものだ。でもそれが自分に少しでも触れると、ぼくはそこから逃げ出したくなってしまう。
 それは、ほとんど毎晩見る夢が原因だった。
 御剣がまだ自分を殺人犯だと信じ込んでいた時期。幼い頃に父親を撃ち殺してしまったと信じていた御剣は、その苦しさから逃れるために更なる罪を犯し、自分を追い詰めていた。その苦悩の矛先となったのが……自分だった。
「成歩堂?」
 右腕に触れられたのを感じた。瞬時に、夢か現実かわからない記憶が甦り驚いて身体を引いた。同じように驚いた様子の御剣が瞠目してぼくを見つめていた。ただ、触れられただけなのに。過敏に反応してしまったぼくに御剣は唇を歪める。
「正直なところ……ここにこうしていられるのが不思議なくらいだ」
「……どういうことだ?」
 頬の辺りに浮かぶ嘲りを疑問に思い、ぼくは尋ねた。
「噂、だ。君も聞いたことがあるだろう、私についての噂は」
 ぼくの顔に表れた嫌悪に御剣はまた微笑んだ。今度もはっきりとわかる嘲笑だった。
「年末のあの事件。君のおかげで無実が立証されたが……今回の事件が、私の仕業であるという噂も流れているようだ」
 ぼくが別れたままだった御剣の近況を知ったのは、突き詰めてみればその噂のせいだ。御剣が黒い検事だと好きに書き立てる記事を読んだのはもう四年も前のことになる。でもその噂が全くの過去のものになったわけではないと、御剣はそう言うのだ。
「ば、バカ言うなよ!」
 思わず否定したぼくに茜ちゃんが不思議そうに首を傾げた。ぼくと御剣の関係をよく知らない彼女が驚くのも無理ない。ぼくは、御剣のこととなるとどうしても冷静にいられなくなるのだ。自分でも驚くほどに、不思議なくらいに。
 代わりに御剣が鼻で笑う。
「……人の悪意というものは、ふとしたきっかけで溢れ出す。それを止めることは不可能なのだよ」
「そうかもしれないけど、でも……」
 適切な弁護も思いつかないまま、ぼくは御剣を庇おうとした。その言葉を受け御剣が視線をこちらに向けようとした。当然の流れに、ぼくは身体をほぼ無意識に強張らせる。その時、執務室の扉が大きく開いた。
「スミマセン!御剣検事って人、いらっしゃるでありますかッ!」
「何だろうか。私が御剣だが」
 警察局長からの書類を御剣に持ってきたというその巡査は話の要点を得ず、裁判前で神経質になっていた御剣の怒りを買ってしまった。一気に機嫌が悪くなった様子の御剣は置いて、ぼくたちも一緒にその部屋を出ようとした。
「成歩堂」
 背中に投げ付けられた言葉に思わずぎくりとする。
 振り返ったぼくを待っていたのは微笑を頬に張り付けた御剣だった。御剣はぼくの動揺に気付く様子はない。
「私を信じ抜いてくれた君の努力は無駄にはしたくない。それを法廷で立証して見せよう。───宝月巴の有罪でな」
「巴さんが犯人かどうかはまだわからない。彼女が無実なら、ぼくは負けない」
「フッ……相変わらずだな、君は」
 同じように不敵な微笑みで御剣の挑発を受けようとするのに、頬がうまく動かない。困惑の混じる微妙な空気に御剣も気が付いた。気遣わしげに向けられる視線を振り払うようにして扉を閉めた。
 何か、自分がおかしい。
 御剣が怖いわけでも憎いわけでもないのに。久し振りに見た御剣の姿に動揺している自分がいた。以前のように真っ直ぐに目を見れないのだ。その理由は、自分がとてもよく知っていた。
 毎日、眠りの世界が近付く真夜中に。御剣の影を自分の中に呼び出してしまう。御剣がしたこと、自分がされたこと、ひとつひとつが身体中に再び戻ってくる。あの時の記憶は薄れるどころか如実に甦ってきて───
 ぐっと唇を噛んでそれ以上の思考を自分に禁じた。
 あの夜。御剣が自分にそのことを謝罪しようとした夜に。もういいと言葉を遮り、忘れた方がいいと言ったのは自分なのだ。あれきり御剣が事務所を訪れることはなかった。御剣の悪夢が晴れ、全てが元通りになったんだ。
 忘れよう。思い出してしまうことを、やめよう。
「成歩堂さん、行きましょう!」
 張り切って前を歩く茜ちゃんを追い掛け、ぼくは足を動かしてその隣に並んだ。

 

 

 地方裁判所、第9法廷。その日、法廷は震撼することとなる。
 検事局と警察局で、同時刻、同一人物が殺害された事件。そのからくりを解くには二年前の事件を解くことが必要だった。今回の事件の関係者が全て、『SL9号事件』───『青影事件』に名を連ねていたからだ。

「二年前のあの事件…あんたたちは本当に、全ての証拠を法廷に提示したかい?実際に捜査をしていた俺の目を見て、断言できるかい?」
 警察局の保管庫に多田敷捜査官を装って侵入した罪門巡査はゆっくりと問い掛ける。巴さんは一度、目を伏せ。突き放すように言い放つ。
「その必要は認めません」
「何故だ!何故、答えない……」
 動揺したのは検事席に立つ御剣だった。巴さんはそちらを見ようともしなかった。全てを諦めたかのように、伏し目がちに告白をした。己が犯した罪を。
「真に恐ろしい犯罪には、こちらも恐ろしい手を使う……いたし方のないことです。彼に正当な裁きを与えるため……私は手段を選ばなかった。それがたとえ、捏造と呼ばれる結果になろうとも」
 その静かな告白に。御剣の顔色が、瞬時に色を無くした。





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