背後に人の気配がする。
ブラインドを落として作り出した薄い闇も、実体を持たない空気ですら。全てが自分にねっとりと纏わりついているように感じて居心地が悪い。視線を巡らせると見慣れたものたちが目に映る。そうだ、ここはぼくの事務所だ。毎日の大半を過ごす場所に居心地が悪いと感じるなんて───原因はひとつしかありえない。本来ここにいるはずのない、他者の存在があるからだ。
足を一歩踏み出す音を聞き、振り返ろうとして寸前で止めた。見なくてもわかる。一歩一歩、近付いてくる。ほんのすぐ後ろに気配を感じる。と思ったら両腕に温度を感じた。それだけのことに身体が驚いて大きく震えてしまった。
「早く、しろ」
低い声が耳元で響く。それはとても静かな口調なのに、どうしても抗えない強さを持った声だった。自分でジャケットのボタンを外そうと腕を持ち上げて……下ろす。無理だ。そんなこと。
「───御剣」
相手に気付かれないように、腹に力を入れて名前を呼ぶ。声が情けなく震えないように。
「やっぱり無理だ。やめよう、こんなこと」
無言が返ってきた。背中を向けているため顔が見えない。でも想像はついていた。あの、獲物を狙うような。命乞いも聞き入れない捕食者の目をしてこちらを見ているのだろう。
「!」
両腕に感じていた温度が移動した。スーツを着たままの背中を辿り、腰を通り。臀部を鷲掴みにされる。直接的な主張に泣きたくなってくる。許されない。逃げられない。これからされる行為からは。
「……二度は言わない。早くしろ」
その声はぼくを容易に絶望へと陥れる。それでも動けないぼくに痺れを切らしたのか、後ろを撫でていた手が身体の前に移動してきた。青い布の上からその部分を摩られる。逃れようと腰を引いても相手は後ろにいる。抱え込まれる姿勢になり、前方にあった窓の縁に縋り付いた。
「や、だ、いやだっ……」
それしか言えない自分に自己嫌悪する。それより何よりも、優しく擦られるうちに硬くなっていく自分が情けなくて顔が赤くなる。そのままベルトを緩められ、ズボンと下着を下げられて。露出した性器を擦られ続ける。気持ちがいいのか緊張しているだけなのかわからない。けれども、着実に確実に硬くなっていくそれに背後の御剣が喉を鳴らして笑ったのが聞こえた。その後届くのは衣擦れの音。
「何が嫌なのか声を出して言ってみろ」
「あ、……」
皮膚に触れる温度に目を瞠る。手のひらとはまた違う。熱くて熱くて柔らかい。それが自分の臀部に押し当てられていた。腰を掴まれ、割れ目を上下に勃起した御剣のペニスが擦っていった。
「いや、だ……それ、は嫌だ」
「そんな言い方ではわからないぞ……」
ピストン運動を連想させる動きでまた割れ目をなぞられる。しばらくは噛み切ってしまいそうに強く唇を噛んで屈辱に耐えていた。でも、もう限界だった。ぼくは両目をきつく閉じて叫ぶ。
「それを入れるのは、嫌だ!」
「───そうか」
短い返答。その後、衝撃に襲われる。
中の抵抗を押し退け、ぐっぐっと反動をつけて御剣のそれが入ってきた。摩擦を受けたそこが痛い。痛くてもぼくの身体は、押し付けられる御剣を向かい受けようと必死に口を開いているようだった。両手を前につき背中を弓なりに反らせる。その格好が、腰と受け入れる部分を御剣に自ら曝け出すことになるなんて、気付く余裕はなかった。
「なん、で、いやだって言ったのに…!」
「やめるとは言っていない」
上擦る声で責めるも即座に切り捨てられる。何を言っても結局はこうして犯されるだけ。悔しいのにいつもこうして抱かれていた。
中を探るように、徐々に徐々に進んでいた御剣は、残りがわずかになると最後の一押しと言わんばかりに一気に全部を突き入れた。懸命に開いていたそこが悲鳴を上げた気がした。ぎちぎちと、少しの隙間もなく御剣で埋め尽くされる。その状態で御剣は独り言のように呟いた。
「フッ……君の中はいつも熱いな」
そういう御剣の方が熱かった。体内に入れられたそれはとても熱く、自らの存在をぼくに主張し続ける。御剣に犯されている。その事実をぼくに否応なく教えた。
「あっ、あ、あぁっ」
押しては引き、引いては押す。その動きが始まればもう何も言えなかった。ぐちゅぐちゅと音を立てて自分が掻き回される音を聞き、声帯ごと身体を突き上げられて、意味のない短い言葉を吐き出す。
「みつるぎ、みつるぎ……っ」
時折、相手の名前を訳もわからずに叫んで。
2017年1月30日 成歩堂の自宅
暗闇の中、目を見開く。
息を潜めて辺りを伺った。どれだけ慎重に伺っても誰の気配も感じられない。ぼくは、一人だ。誰もいない。恐怖の存在と化していた御剣の姿はどこにも見当たらなかった。
夜明けが近いのだろう。カーテンから薄く差し込む光が、暮れの事務所を連想させた。似たような暗闇が、夢を終わらせてくれなかった。
御剣に抱かれていたという夢を。
下半身に纏わりつく違和感を無視して眠りに再びつくことはできなかった。戸惑いながらも上半身を起こす。
御剣と歪んだ性行為をしていた影響もあってか、しばらくは自慰をする気にもならなかった。でも、意識する前に勃起した性器は放置されることを望んでいない。そろりと手を差し入れる。熱かった。握る。そして布を少しだけずらし先端だけを覗かせた。手のひらで握り込み、上下させる。もう何年も馴染んだ方法だ。さっきまで見ていた夢の影響もあって絶頂はすぐに訪れると思われた。
けれども。
「……っく、…っ」
息も上がり、性器も更に熱を帯び、自分でも自分が興奮していることはわかった。でも、何かが。
足りない。あともう少しなのに。足りない。足りない。
射精を目指すよりも先に何かが足りないという飢餓感だけが身体を急かし、苦しさを増すばかりだった。それならば止めてしまおうかと手を止め掛けた。でも、ある考えが脳裏を掠めそれが正しいのかどうかもわからないままぼくは実行に移していた。座った状態から横になり、膝を抱える格好で片手を後ろに回した。
「ん、…っ」
詰まった声が出る。いつも御剣のあれを受け入れていたそこは、驚くほど繊細だった。人差し指と中指で交互に撫でる。時々、軽く押してみる。
ただそれだけの動きにぼくの身体は焦れ、その先を強請った。外だけを弄るのでは足りず、ついに中へと入る仕草を始めた。
「やっ…や、ぁっ」
鼻にかかった甘ったるい声に自分で焦る。それでも指は止まらない。ぐるぐると円を描きながら奥へと進ませる。濡れていないせいか痛みが鋭い。それでもそれが、自分を高める作用をしていた。多分そんなに奥には入っていないはずだ。飢餓感と焦りがぼくを責め立てる。
どうしても指の長さが足りなくて姿勢を変えた。うつ伏せになり腰を高く上げて。指を含んだそこを天に突き出した。
「んっんっんっ…あぁッ」
右手では自分の性器を握っていた。扱くという単純な作業すらままならなくて、ほとんど揉むくらいしかできていなかった。それなにぼくは喜んでいた。
思い出す。背後に感じる息遣い。後ろから重たい質量が自分に入ってくる。脳を、内臓をずんずんと突かれる衝撃。柔肉を裂いては、更に奥にねじ込まれる御剣の。
思い出していた。あの時のことを全部詳細に。
「う、ぁっ…あっあ、ッ」
自分から溢れてくる何かを堪えきれず、声を上げてぼくは果てた。シーツに自分の精液が吐き出される。ぼくはそれを視界に映した後、ぎゅっときつく目を閉じた。
ざわざわとした波が身体に残るのは、行為の影響か、それとも───?
自分の身体がまるで得体の知れないものになったようで、ぼくは恐ろしくてしばらくそのまま動くことができなかった。