2016年12月28日 地方裁判所 被告人第2控え室
法廷三日目。今日、私に判決が下る。有罪か、無罪か。どちらかの判決が、必ず私に。だが相手はあの人だ。開廷する前から私の運命は決まっていた。すでに有罪へとレールは引かれている。あとはもう私がそこを進むだけだった。
だからというわけではないが、体調は今日もとても悪かった。留置所に入ってからずっと付きまとっていた倦怠感と睡眠不足がかなりひどいものとなっている。それは、身体の不調というよりも精神的な物が起因しているのだろう。
十二月二十八日。───その日付のせいで。
そう、今日が時効の日なのだ。十五年前、密室のエレベータの中で起こった弁護士射殺事件。私はこの日を恐れていた。
何故ならば。私が父親を撃った真犯人なのだから。
「ぎゃあああッ!な……何すんだよ!」
「ごご……ごめんなさい。肩、触っただけなのに……なんかまだ、昨日の”すたんがん”が残ってるみたい」
視線を滑らすと、相変わらずのやりとりをする二人が見えた。この状況でまるで緊張感のないことに驚いた。どうして心をそこまで強く持てるのだろう?嫌味ではなく、私は真剣にそう思った。今朝、顔を合わせた時も彼らの表情に焦りは見られなかった。
『いやだ……やめてくれ』
『御剣、なんで……』
戸惑う瞳を覚えている。押し入った中の温かさも、彼の心情を表すかのように私を吐き出そうとするきつい締め付けも。全部覚えている。あれは夢ではない。
私は、昨日。彼にひどいことをした。
その青いスーツを無理に暴き、声と抵抗を奪い。足を開かせて乱暴に犯した。
真宵くんと話す彼の横顔に昨日の行為の気配はない。無理に消しているのか、それとも忘れているのか。
即座に首を振った。そんなはずがない。男としてのプライドを踏みにじったあの行為をそう簡単に許せるはずがない。そうでなくとも私は何度も彼を陵辱した。彼の事務所で。昼夜など構わずに。盗撮に脅迫という検事にあるまじき卑劣なことまでして。
あの行為の記憶に、彼はいつまで悩むのだろう。貫かれ、望まない射精をさせられ。彼の頭にも身体にも、私という存在が刻み付けられているだろう。私は彼の中で何度も射精した。体内に侵入し、手の届かない場所まで犯した。それを忘れることが出来るのか?
───答えは簡単だ。そんなことは、出来ない。
私は知っている。九歳の時に、自分の手で触れた感触、自分の耳で聞いた音。あの切迫した空気の中で起こったことを今の自分はひとつも忘れることが出来ない。
彼もあれでわかっただろう。出口の見えない苦悩。決して覚めることのない悪夢。そういうものが存在しているという事実を。
これから向かう法廷の記録を熱心に見つめる成歩堂を見て思った。ひどいことをした。ひどいことをしてしまった。私を信じようとしてくれる君に、自分と同じ十字架を背負わせてしまった。君に罪はなかったのに。
後から到着した糸鋸刑事と談笑する成歩堂に、今更ながら罪悪感を持った。声を震わせながらも私を庇う発言をしてくれた真宵くんに、徹夜で貸しボート小屋の管理人を追ってくれた糸鋸刑事。
誰もが自分を救おうと動いてくれている。
犯罪者である、私のために。
その時、私は初めて。あの悪夢が単なる夢にすぎないと思えた。自分を囲む人々の温かさに、悪夢の冷たさを一瞬だけ忘れた。
夢が本当に夢であれば、私はこの中に入っていける。
そんなはずがないのにそんな虚しいことを思った。
●
「とりあえず、被告の容疑は晴れました。生倉弁護士殺害事件について判決を下したいと思います。異議はありませんね?」
検事席に立つ狩魔検事は腕を組んだまま目を閉じている。弁護人席の成歩堂は眉をひそめ、その様子を伺っていた。
全て、ボート小屋の管理人───灰根光太郎が起こした殺人なのだと。
成歩堂の破天荒な弁護でそれは明かされた。法廷は静かに終わりを告げようとしている。
「では、御剣怜侍に対する判決を言い渡しましょう」
裁判長の手によって木槌が持ち上がる。カン、と高い音を立て私に無罪判決が言い渡された。
無罪?
では父親はどうして死んだのか。父親の命を奪うことに罪は無かったというのか。
そんなはずはない。罪は、私の手の中にある。
罪には、罰を。犯罪者には容赦のない、徹底的な糾弾を。
「異議あり!」
師からの教えが瞬間的に閃き、私は声を張り上げていた。その時。検事席で無言で見守っていた狩魔検事が、口元を緩めたのは……気のせいだったのだろうか。