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2016年12月27日 留置所




 ぼくはまた御剣の元へと来ていた。
 時間はもう夜というよりも深夜に近い。最初、あまりに遅い時間の面会に断られたものの、しつこく食い下がったおかげでぼくは特別に面会を許された。通常の面会室とは違う部屋に通され、待つ。二人を分かつ透明の壁は設置されていなかった。白い机を挟んで置かれている椅子は二つ。そのひとつはぼくが座っている。

 待ちながら、ぼんやりと手を動かしてみる。失神するほどの電気が流れたことで痺れが微かに残っている気がする。ぼくはそれを消すように力強くこぶしを握り締め、額に押し当てた。
(狩魔……豪)
 警察署の資料室で偶然会った相手を思い出す。いや、あれは偶然なんかじゃない。ぼくたちがDL6号事件を調べていることに気付いた狩魔検事が、証拠品となる資料を隠滅しようと先回りしていたのだ。現に、ぼくたちが手にしていた証拠品は全て奪われてしまっていた。
 切り札と思われる、生倉弁護士射殺事件の指示書まで。
 今までの相手───御剣とは違う。強大な敵。勝てるのだろうか?こんな状況で。あの相手に。
「……違う」
 実際に声が出てその不安を打ち消した。
 勝つも何も真実はすでに存在している。ぼくはそれを暴くだけだ。最も、真実を示す証拠品たちは狩魔検事の手の中に落ちているのだけれど。かといって歩みを止めてしまっては駄目だ。前に進まなければ確実に、失われていくのだから。真実も、御剣も。
 しばらくして、御剣が一人で現れた。
「看守に話をつけてきた。あまり時間は取れない。手短に話せ」
 逮捕されてからそんなに時間は経っていないのに、御剣は疲弊しきっていた。法廷に立っていた時とはまるで違う。自ら被告人となり殺人事件の裁判に放り込まれたことは、彼に多大なダメージを与えているのだろう。
 あともうひとつ、思い当たるのは。
 十五年前の狭い箱の中での出来事に囚われていること。それも、彼から生気や気力を奪う原因となっているのだろう。
「すごい顔だな」
 一瞬言われたことがわからなかったのか、御剣が沈黙する。すぐに眉を吊り上げてぼくを叱り付けた。
「何しに来たのだ、君は。聞きたいことがあるのならば言いたまえ。時間がないと言っただろう」
「うん。そうだね……」
 握っていた拳をゆっくりと解き、呟く。目を伏せたぼくを怪訝な顔で御剣が見つめた。
 何をしに来た?決まってる。御剣と話をしたかったからだ。
「ひどい顔してるよ、お前。法廷で会った時からずっと」
「成歩堂……?」
 そうだ、御剣はいつも。神経質そうに眉をしかめて、被告人を睨み付けて。笑うことなんて一度もしなかった。常に何かを憎んでいる顔。
 最初ぼくは検事という立場から犯罪と被告人を憎んでいるのかと思っていた。でもこうして今、真実に近付いた今のぼくは知っている。
 御剣が憎むのは自分自身なのだ。憎くて、憎くて。憎くて憎くて堪らないと。そう思い、自分の手で自分を闇に落としていく。
 やっとわかった。やっと触れた。御剣の心の深淵に。
「ぼくが邪魔だったんだな」
 静かに響いた言葉に御剣は目を見開いた。ぼくはそれを真顔で受け止めた。
「…………」
 御剣は沈黙を返す。それは肯定を意味していた。
「君が、あんなことをしたのは……ぼくを遠ざけたかったんだろ?」
 静かに、静かに。必要以上に心がこもらないように言葉を作る。
 あんなこと。文字で言うのは簡単だ。でも、その詳細を思い浮かべるだけで泣きたくて恥ずかしくて、相手を感情のまま詰りたくなる。でも、ここを避けていたら二人の関係は壊れてしまう。そう思ったからぼくは、恐怖を抑え付けつつも自らあの話題に触れたのだ。
 ぼくの言葉を受け止めるだけだった御剣の、表情のこわばりが解けた。引きつった笑いを浮かべる。頬を無理に動かした結果なのかもしれない。
「それならば君を何度も訪ねる意味がないではないか。遠ざけるどころか私は君の元へと通っていたのだぞ」
「ああすればぼくが君に二度と近付かないと思ったんだろ。自分から逃げていくと思ったんだろ?ふざけるなよ」
「ふざけているのは君の方だろう、成歩堂。私が君にした事を忘れたというのか?」
 御剣は両手を大きく広げ、肩を上下させる。こんな時にまで『検事・御剣怜侍』を作ろうとするのか。やりきれない怒りと悔しさが一気に火を噴いた。
 ここが法廷ならば、相手の隙をついて揺さぶることができるだろう。でもぼくはうまく感情をコントロールできなくなっていた。座っていた身体を持ち上げ、前に乗り出すようにして言う。
「違う、君はそんな奴じゃない。いい加減ありもしない罪に怯えるのはやめろよ。……お前が人に銃を向けられるわけがないじゃないか」
「君に私の何がわかる!」
 かっと御剣の目が見開く。驚くほどの大きな声で御剣が叫んだ。立ち上がり、目の前にある机を激しく叩く。
「私は、君の知っている頃とは違う。変わったのだ。───殺人を犯したあの時から」
 ふと。
 燃え上がるような目でぼくを睨み付けていた御剣の目が変化した。目の前にいるぼくじゃない。他のどこかへと行ってしまったように、遠い何かを目で追う。
「銃を持った時の感触や重みを、私は知っているのだ。力任せに投げた記憶もある。その後、響いた悲鳴も……全てだ。全てが夢として現実に蘇る。十五年間、毎晩毎晩。ずっとだ」
 両手を持ち上げ、何も持っていない手を自分で見つめた。彼の頭の中に、目の前に。その時のことが鮮明な形で再生されているのだろう。悪夢という名の記憶が。
 ぼくは焦れて、御剣の思考に無理矢理言葉をねじ込んだ。
「御剣、でもそれは」
「黙れ!私が、この手で父を撃ったのだ。それは事実なのだ。君が信じようと信じまいと、この事実は変わらない!」
 否定する言葉も伸ばした手も、あっけなく払われてしまう。この御剣には届かない。触れられない。誰も。
 声色をぐっと落として、御剣は言う。
「あの悲鳴が私を責めるのだ。決して忘れさせないのだ。私の犯した罪を。父の命を奪ったという罪の重さを……」
 両手で自らの頭を抱え、力なく椅子の上へと身体を戻した。
「帰れ。帰ってくれ。私は罪の裁きを受けなければならない。人を殺したのだ。今更、助けてくれなんて言えるはずがない……」
 この世の全てを拒絶するように。耳を塞ぐようにして背中を丸めて縮まる御剣を見て心を突かれる。
 ああ、この男は。
 九歳のままなのだ。狭い場所に閉じ込められ、父親を撃った銃の音に怯えている、小さな子供。そこから一度も歩けていない。
「でも……それは、夢なんだろう?」
 問い掛けに御剣は答えなかった。事実だけど事実ではない。夢だけど夢じゃない。そう言いたいのだろう。

 ぼくは自分の中に同情と同時に、強烈な怒りが湧き上がるのを感じていた。
 悪夢は所詮、悪夢だ。現実ではない。
 それに足をとられ、十五年間生きてきたというのか。誰でもない自分を責め、後ろめたさに怯えて生きてきたと。
 ふざけるなと思った。そんな馬鹿な話があるわけがない。やっと御剣を追いかけてここまで来たのに、その相手が存在しない悪夢だなんて。この強烈な怒りはもはやどこに向かっているのかわからなかった。
 いつもの面会室でなくてよかったと、唐突に思った。今もしあの透明の壁の向こうの、手の届かない場所に御剣がいたのならば。ぼくは衝動のままにそれを叩き壊していただろう。それほどまでにぼくの抱えた怒りは強いものだった。
「御剣。ぼくは君が人を殺したなんて思えない。夢なんて、そんなのは認めないからな」
 ぼくはそう言って席を立った。御剣が何を言おうと自分の考えは変わらなかった。ここで二人で言い合っていても仕方がない。全ては法廷で明らかにするしかないのだ。
 ぼくの言葉に御剣は動かなかった。うな垂れた姿勢でぼくに言い返すことも、追うこともしない。答えを待つことを諦め、歩み出したその時に、御剣はようやく動いた。ドアへと向かおうとしていたぼくへと足早に近付き歩みを無言で遮る。
「!」
 腕を掴まれ、引き寄せられた。突然の動きに翻弄された身体が白い机に勢いよく倒れる。その上に御剣が圧し掛かった。襟を掴まれて胸を圧迫され、息苦しさに顔が歪んだ。殴られるかもしれない。それでもぼくは、自分とは違う理由で顔を歪める御剣にこう言い切る。
「……悪夢は所詮悪夢だ。現実じゃない。目が覚めたらそこで終わる。それに怯えて生きるなんて、馬鹿げてる」
 首元を絞める力は緩まない。でも引き下がらない。自分の言っていることは間違っていない。だから目を逸らすことなく相手に言い放った。
「そうだな」
 呟いた御剣が俯く。薄い色の前髪が表情を隠した。だが、ととても低い声がそこから響いてくる。地を這うような声。
「この世には、終わりのない……決して覚める事のない悪夢も存在するのだよ……」
 ゆっくりと顔を上げた御剣が浮かべていたのは、微笑み。
「君も今後、わかるだろう。永遠に覚めない悪夢があるということを」






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