2016年12月25日 留置所
黒い瞳が光を反射して潤んでいる。私はそれを無言で見守っていた。右、左。そして、最後に俯く。成歩堂は身体は動かさず瞳だけを動かし長いこと苦悩していた。
指を伸ばし顎に触れる。ふいに触れたことに驚いたのだろうか、成歩堂がびくりと肩を揺らしようやく私の顔を見上げてきた。
「御剣……」
彼は苦悩した目のまま私を呼んだ。全てを言わずともわかる。私が制止の言葉を口にするのを、彼が強く望んでいることなど。
しかし私は彼の望み通りに動くつもりはなかった。
「早くしてくれないか」
ソファに腰を掛け、両足を大きく広げる。その間に青いスーツの彼を挟み込みながら私はそう呟いた。成歩堂は私の返答は最初からわかっていたはずなのに、目を見開き逸らしてしまった。何度傷付く表情をするのか。こんなことをする間柄になったというのに。
「いつもやっているだろう?それと同じことをすればいいのだ」
「そんなの……やったことなんてあるわけないじゃないか」
憮然とした表情を作り出し成歩堂はもう一度私を見上げた。私は彼に触れさせた人差し指を動かし、彼の顎のラインを辿った。
「その身体でやっているだろう。私を咥えて放さない、君のそこが」
かっと成歩堂の目が屈辱に染まる。緩やかに浮かぶ微笑みに余計と怒りを刺激されたらしい。潤んだ瞳が更に輝きだす。
「早くしてくれ。君と長く付き合う時間はない」
指を離し背を後ろに凭れかけると、大儀そうに言い捨てた。それ以上は何もしない。何もしなくても、彼が自ら私に触れることは最初からわかっていることだ。だから私は彼の仕草を無言で見守っていた。薄っすらと笑みすら浮かべて。
成歩堂もまた無言で思い悩んでいた。何かを思いついたように顔を上げ、だがすぐに俯いてしまう。私はまるでペットに悪戯をしているような気分になってきた。小さな頭で算段する様子がとても愛らしい。我ながらサディストだと思う。
やがて成歩堂は覚悟を決めたように口を開いて私にこう問うた。
「それ、したら……帰るのか?」
掠れた声、私の目は見ずに俯いたままだったが静まり返った事務所では私の耳にきちんと届いた。唇を歪める。
「どういう意味だ?」
「……だから、それをしたら。ぼくを、抱かないで帰るのかよ?」
わざとらしく聞き返した言葉に歯がゆさを感じたのだろう、成歩堂は苛立ったように頭を振る。吐き出すように言った彼を見つめながら私は笑った。
「ああ、犯してほしいのか。だが、今日は時間がない。すまないな」
彼の大きな瞳が更に大きくなる。赤みの差していた頬が更に赤くなった。
私の言葉を素直に信用した成歩堂は唇をきゅっと結び私のそれへと向き直った。恐る恐る、本当に恐ろしいといった表情で私のズボンに触れ、チャックを下す。布の隙間に手を差し入れる仕草すら怯えきっていて、あまりの初々しさに思わず溜息が漏れる。
「やり方がわからないわけないだろう。まさかとは思うが、君は経験がないのか?」
「そんなこと……!」
声は途中で切れてしまう。音が聞こえてきそうなくらいに成歩堂が強く唇を噛んだのが見えた。
されたという経験はあっても、いざ自分がする側に回れば戸惑うのも当たり前だろう。そうは思ったがそれを考慮する優しさは今の私にはなかった。
天を突くように現れた私のペニスに、間近で対面した彼が息を飲んだ瞬間にどうしようもない情欲を感じたのだ。見ているだけのつもりだったのに、思わず我慢ができなくなって後頭部を手のひらで押した。近付いたそれに成歩堂はぎゅっと目を閉じる。唇を戸惑いがちに開いて。
「───ん、む」
そうしてやっと成歩堂は私のペニスを咥えた。先端を濡らす液体に苦味を感じたのか、生殖器が纏う雄のにおいが鼻についたのか、眉を大きくしかめる。
彼の意志だけでは先端までしか受け入れることができなかった。痺れを切らした私は押すだけだった後頭部を掴み、思い切り自分に引き寄せた。加減がわからず彼の喉奥を突いてしまう。成歩堂のくぐもった悲鳴が耳に届いた。
「舌を動かしてみろ」
命令を下す。彼の屈辱に染まる顔が見れないのは残念だ。感覚だけを追うために目を瞑り、視界を閉ざした。
愛撫するというよりは舌をでたらめに動かしているだけのように感じた。だが、それだけでもかなり気持ちがいい。時々歯が当たるのが気になったが。
「ああ……上手だ」
誉めてやるつもりで黒髪を撫でた。成歩堂からの返答は息苦しそうな呻き声だけだった。
男が、弁護士が、成歩堂が。私のものを必死に奉仕している。理性を取り戻せば狂喜すら感じる状況に私は倒錯的な快楽を見出していた。女性にされるのとは全く違う。こんなに狂おしいまでの性欲を感じたことなど、今までにあっただろうか。
湧き上がる波に私は唇を噛む。
寸前で髪の毛を掴んで後ろに引いた。直前まで咥えていた成歩堂の赤い口内が視界を刺激する。
「あ、はぁ、っ」
目を閉じ、口を大きく開いたまま成歩堂は酸素を飲み込んでいた。目尻からは細い涙の線が見える。唇を真っ赤に腫らし、唾液に濡らし。浅ましく喘ぐその姿に下半身が疼いた。射精を堪えたせいか自分でも驚くほどの勢いでみなぎるのを感じた。
座っていた私が突然動いたことで、すぐ側に両膝をついた状態だった成歩堂は後ろに尻餅をつきそうになった。右腕を掴んでそれを救い無理に立たせると、床に突き飛ばすようにして寝かせた。
「な、…っ」
呼吸も整わない内に乱暴に動かされ、成歩堂は目を白黒させて私を見上げた。驚愕の表情をする彼に私は微笑む余裕すらなかった。角度をつける己のペニスに手を添えて悠然と告げる。
「気が変わった。今すぐ服を脱げ」
■
ぬるりとした感触が手の内に溢れる。
しばらくそのまま肩で息をする。達したことで全ての感情まで吐き出してしまったのかもしれない。拭くものを探す気力すら生まれてこなかった。
自分の手で作った輪は彼の中とは似ても似つかない。だが、気持ちを際限にまで高めたこの身体は難なく達することができた。
急速に昂らせた心は波が引くようにして急速に冷えていく。後に残ったのは不快感のある手と言い様のない罪悪感。それと、拭いきれない虚脱感。何故だか泣きそうになり、私は一人唇を噛む。
留置所には自分以外誰もいない。暗く狭い閉塞されたこの場所にいると普段押し込めている感情や記憶が容易に甦ってくる。私の中で父親と係官は何度も言い争い、私は銃を暴発させ、地獄のような悲鳴が上がる。すぐ先の目の前で起こっているような錯覚にも陥る。手を伸ばせば止める事ができるのではないか。そんな馬鹿げた事を考えてしまうほどに。
そんな時に私が求めた逃げ場は、成歩堂龍一だった。
彼を抱いていた時間を思い起こす。触れていた肌を思い出す。感触を思い出す。
あたたかい。動かす手の下に、ぬくもりがある。
その時の記憶に感化され、手のひらがわずかに温度を持ったような気がした。だがそれはやはり気のせいで、体内から吐き出された精液は徐々に冷えていく。汚いそれに吐き気がした。
十五年間、心を凍らせてきた。いつも、いつも。眠る時も目を覚ましている時も。誰かと肌を重ねる時ですら。そんな心までもを溶かしてしまうほどの強さを、成歩堂は持っていた。
抗えない状況に反発する心。諦めを知らない瞳。信じるという単純で不確かなものだけを頼りに、追い詰められた場所から未来へと切り出していく。
自分には決して手に入らない、光のような存在。
「頼む……」
独りでに声が落ちた。
「たすけてくれ……」
呻くようにして呟く。今まで好きに蹂躙してきた相手にそれを向けてはならない。そんな虫のいい話があるわけがない。そうわかっていたから、私は必死で呼吸をも耐えた。そうでもしなければ全てを投げ出してでも彼に縋りついてしまいそうだった。父親を撃ち殺した殺人者だという事実も忘れて。
汚れるのも構わずに頭を抱える。指に触れる己の髪の毛ですら憎いと思った。無力なくせに人の命を奪い、心と身体を踏みにじってきた。犯罪者である自分が、憎い。
「……、…」
苦しげな吐息が漏れる。縋る言葉すら禁じた自分が零すのはもう吐息くらいしかなかった。
逆らえない運命に、抵抗する力が自分にもあれば。
あれば、何かが変わったとでも言うのだろうか?