2016年10月29日 成歩堂法律事務所
慈悲のない言葉が御剣から発せられた。
その瞬間吐いた息がぼくの耳をまるで詰るように通り過ぎる。
唾液で濡れた耳朶に新しい刺激を与えられ、背筋を何かがぞくりと這い上がった。
「……ふっ、…!」
釣られて息を吐き出したその時、膝から力が抜ける。──すると。
「!……ッ」
足の間に無理矢理割り込まされていた御剣の腿の上に、ぼくの体重が乗る。御剣はそれを見、にやりと笑うと片足を微かに上げ下げする。下半身を刺激する動き。
ぼくは曲がった膝を何とか立たせようと歯を食いしばった。
今度は、忙しなく上下する喉に御剣の舌を感じた。胡桃のように隆起する喉仏を生温い舌が這う。恋人同士であれば艶かしい愛撫の他ならない。けれどもぼくと御剣は恋人同士でもなく、同性同士だ。御剣のその動作はぼくに不快感をもたらした。
「御……剣っ!」
引き剥がそうとすると首に鋭い痛みを感じ、思わず声が詰まる。きつく吸われたらしい。
ズボンの中に手を差し入れられ、下着もろとも膝まで下された。右足の膝を持ち上げられ、片足だけ完全に脱がされる。御剣の動作には躊躇がなく、自分の身に起っている事実をいまだに受け入れていないぼくの、戸惑いが混じる抵抗など無に等しかった。
身長や力にはそう差はないはずなのにどうしても奴の手を止めることが出来ない。悔しくて悔しくて、加減なく噛み締めた唇に痛みも感じないほどだった。
持ち上げられた足の下に御剣の手が入り込む。そこの部分を指で押され、恐怖で息を飲む。
一度あのようなことがあっても──そして、またこのようなことをされていても。
やはり、信じられなかった。
自分がこんなことをされるのも、御剣がこんなことをしてくるのも。
それでも御剣の指は動く。乾いたそこを執拗に指の腹で撫でてくる。
「嫌だ、これ以上、こんなことしないでくれ!!」
耐え切れなくなったぼくは悲痛な思いで声を張り上げた。でも御剣は聞かない。入ってこようとする他人の一部とそれに伴う痛みに、息が詰まる。
身体を密着させている御剣の赤い肩がとても近くに存在していた。ぼくは思わずそれに縋りついた。両腕を首の後ろに回す。
片足で立たされ、壁に背を預けるだけではもう自分の身体を支えきれなかったのだ。
この身体を剥がしたいのに縋り付いてしまう。
どうにもならない悔しさに胸が焼け付くようだ。
鋭すぎる痛みがまた、下半身から這い上がってきて口を大きく開く。堪えるためだけに間近にあった御剣の肩に歯を立てた。
「……噛み付くのは、癖か?」
突然尋ねられぼくの身体が固まった。
その隙を縫って御剣が背中に手を回し、抱きすくめられる。そして今度は御剣がぼくの肩口に顔を近づけ、そこに思い切り歯を立てた。
「痛ッ…!!」
容赦なく噛み付かれて、鋭い痛みに悲鳴が上がった。服の上からでもその痛みは全く軽減されることがない。その間に右腿が下に添えられていた御剣の手によって更に上に持ち上げられる。片足だけ高く抱え上げられ、入り口に御剣の欲望が無遠慮に当てられた。
これからされる行為を予感して寒気が走る。
身を捩って逃れようとすると噛み付かれる力がさらに強くなった。痛みに涙が浮かんだ。
「ッ…!…はなせ…ッ!!」
必死に叫んだ瞬間、やっと肩から御剣が離れた。
身体を押し返そうとする間もなく、御剣の右手がぼくの口を押さえつけた。いきなり塞がれ、首を振って外そうとするぼくの耳元に唇を寄せる。間近に迫る奴を睨みつけ、ぼくは必死に抵抗した。御剣はそれにまったく怯むことなく、残酷な言葉をぼくに投げつけた。
「私がいつ、カメラを撤収したと言った?上げる声も全て記録されるぞ……それでも良ければ上げたまえ」
「!!」
目を見開いて御剣を見る。奴の楽しげな表情にぼくの身体は一瞬で凍る。
奴にとってこれは、ただのゲームなのだろうか。ぼくという人間を踏みにじるだけの。
視界が次第にぼやけてくる。屈辱に目が潤むのが自分でもわかった。それでも鋭い視線は崩さずにぼくは御剣を睨み続けた。
───ここで屈するつもりはない。
御剣はそれを冷酷な笑みをもって受け止めた。押さえ付けられていた唇がゆっくりと解放される。
「どこまで耐えられるか、試してみるか…?」
その言葉と同時に、鋭い痛みが全身を駆け抜ける。
「……!!……ッ…!」
ぼくはその痛みの波を、目をつぶって堪えた。声を出さないように、堪えた。
ただ、堪えた。堪えて、波が過ぎるのをひたすらに待った。
それしかもう出来なかった。
■
二回目の交わりは後ろからだった。
がむしゃらに突かれ、壁についていた手は力を失い、床へと落ちた。崩れ落ちる身体を御剣は容赦なく突き上げる。片手だけを後ろに引っ張られていて、どうしても逃れられない状態に唇を噛んで耐えていた。
「成歩堂……」
吐息混じりに名前を呼ばれた。
それだけでひくりと喉が震えた。答えるつもりはない。
御剣の言うことが本当ならば、この事務所にはまだ盗聴器が仕掛けられている。無闇に声を上げてまた記録に残るなんて絶対に嫌だった。
成歩堂、ともう一度名を呼ばれた。
黙ったまま揺れぶられることに堪えているぼくの腰を更に引き寄せた。結合が深くなる。と、その時。足の間で縮こまっていたぼくのそれを御剣の手の平が包んだ。
思わぬ事態に驚いて勢いよく吸い込んだ息にひゅっと喉が鳴る。
「い、やだっ…さわる、な!」
ずっと堪えていた声をぼくはその時初めて発した。
こうして犯されるだけでも、死にたくなるくらいの屈辱を受けているのに──男性器を弄られ高められる行為は、欠片ほど残っていたわずかな自尊心を突き崩されていくような気がした。
握るだけの乱暴な刺激なのに、自分のそれが徐々に硬度を増していくのがわかる。
最悪だ。恥ずかしくて消えたくなる。
腰の動きと合わせるような御剣の指の動き。扱くというよりは下に引っ張られるような愛撫に頭にもやが掛かっていく。ぐちゃぐちゃに中をかき回され、性器をいたぶられて……
「君が追い求めているのは、何なのだ?」
混濁していく意識の中に突然、声が投げ込まれた。荒い息が混じる低い声。
その質問にぼくは息が止まるかと思った。
でもそれは質問のせいではなく、同時に激しく突き上げられたからだ。
違う、動揺したからじゃない。
「教えてくれ。君は一体何をしたいのだ……」
わからなくなった。
ぼくが、追い求めているのは。
『どうしても、助けたい友だちがいるから』
遠い日の記憶が蘇る。
弁護士を目指す理由を尋ねられた時、ぼくは迷いもせずにそう答えた。
『急げば……今なら、まだ間に合うはずなんです!』
必死に言葉を繋ぎ訴えかけるぼくに千尋さんは少し驚いた顔をして。そうなの、と彼女は微笑んだ。
でも今のぼくは。
答えることができなかった。
それは、 御剣。
考えるまでもない。 とても簡単な答えなのに。
「あっ!あ、ッ!…あッ───」
突き上げる衝撃と扱く速度が急激に高まり、堪えきれずに声が漏れた。
意味をなさない声の羅列に自分の衝動を被せ、床につく両の手の平を拳に変えた。ぶるりと激しい悪寒が全身を貫き、それと同時に御剣の手の中にはなった。程なくして忙しなく動いていた御剣も大きく一突きをした後、しばらく動かなくなる。
ぼくはその下で身動きもせず、ぼんやりとした頭で体内に流れ込んでくる御剣の精液の温かさを感じていた。熱い滴りが御剣の手を汚しているのに気付き、恥ずかしさと妙な罪悪感で逃げ出したくなった。でも、身体は上手く動かなかった。身体の末端である指先がその意志を汲み、ほんの少しだけ反応しただけだった。
御剣が身体を起こし、長い間挿入されていたものがぬるりと抜けていく。栓をなくしたそこからまだ温かい精液が流れ落ちる感覚がして、先程とは異なる悪寒が全身を襲った。
うつ伏せのまま動けないぼくを置いて御剣は衣服を整えているようだった。衣擦れの音が耳に届いてきた。
起き上がって、自分も早くこの気持ち悪さから解放されたかった。けれども、あまりのショックと気だるさと節々の痛みに。少しも、動けない。
御剣が立ち上がった気配を感じた。言葉もなくぼくを見下ろしている。
数秒後。
息を吸う音がしんとした事務所に響く。
御剣は互いの精液で汚れ床に這い蹲るぼくに、最後に非情な言葉を投げつけた。
「君の中の幻を私に押し付けるな」
その言葉にぼくは傷付いた。意思に反して身体を開かされた時よりも、乱暴に達せられた時よりも───深く、深く。
とても深く、傷付いたのだった。