成歩堂が先に入り、スイッチに触れる。ぱっと室内が明るくなり、久方振りの成歩堂法律事務所が蛍光灯に照らされた。何も変わっていない事にどこか安堵し、私は無意識に気を抜いた。その隙を彼は狙ったのだろうか。背を向け続けていた成歩堂が振り返る。と同時に強く押され私は後ろにあったソファに尻餅をつく形となった。
「!」
 クッションのおかげか痛くはない。が、突然のことに心臓が止まりかける。非難の言葉を発するよりも先に、成歩堂が私の上に乗ってきた。文句を言い掛けた私の唇を覆うようにして奪う。
「っ…、ふ、…」
 唇も舌も吐息も声も、全てがぶつかり合い混ざり合う。ひどい口付けだ。こちらの都合も反応も全く考えていない。
 しかし、成歩堂に導かれるまま口付けに答えるうちに最初はあった驚きが徐々に欲望へと変化していくのを、私は目を瞑りながら悟る。慣れ親しんだ、そしていつも私に新たな欲を与えるもの。その存在。
 成歩堂主導の長く荒い口付けはしばらくしてようやく終わる。刺激により唾液が多く分泌された舌が引き抜かれた。言葉少なで、怒っているとも捉えかねない態度だった成歩堂がほんの少し微笑んでいることに私は遅れて気が付いた。ソファに横たわる私の身体に馬乗りになり、赤くなった唇を歪めた。このような状態では、私が興奮していることを彼に隠し切ることはできない。現に私の熱くなった性器は布越しに触れる彼の中に入りたいと盛んに主張をしているのだ。それを感じているだろう成歩堂は私を悠然と見下ろす。
「やるのか?やらないのか?」
 成歩堂は、静かにそう問うた。思わず目を細める。
 私に選ばせるというのか。この状況で。
 これでは前と全く一緒だ。散々喘いで鳴いて私を煽った後に、急に手のひらを返す。怒りの理由もわからずに向けられる背中。と思ったら日本に呼び戻され、元彼女のために弁護士になれと言う。彼に狂う愚かな私はただそれに振り回されるだけだ。
 理不尽に鞭を奮う検事よりも。不可解な証言で引っ掻き回す絵かきよりも。誰よりもたちが悪い。
 手を伸ばす。彼に触れる。それだけで、身も心も疼いた。右手を取り甲に口付ける。
「──君が欲しい。抱かせてくれ」
 こうして、誰よりもプライドが高いとされる私は呆気なく成歩堂龍一の前に陥落したのであった。



 人間の切羽詰った呼吸とは、こんなにも淫らなものだろうか。
 小さく尖る乳首を舌で嬲りながら私はそんなことを考えていた。頭上から零れる息と声は堪らなく情欲をそそられるもので、私は愛撫に夢中になった。それに比例し成歩堂の呼吸も上がり、私も煽られる。明かりを落としていない事務所内には私と彼の二人しか存在していなかったが、二人のみでその行為は完結していた。
「あ、…ふ、ぅ…」
 少し前まで優位に立ち私を見下ろしていた成歩堂は、今では眉根を寄せて襲いくる刺激に声を殺している。持っていた嗜虐心を煽り立てられた私はにやりと笑い、自らの唇を彼の右の耳元へと運んだ。
「……どうした?さっきまでの勢いが嘘のようだな」
 言い終わると同時に小さな穴へと舌先を差し込んだ。挿入を思わせる動きで差し入れをさせると成歩堂は苦しげに呻く。嫌がって首を竦めるものの不快ではないらしい。
 その仕草は私の気を大きくさせた。ある考えを持って、彼に対する愛撫を全て止めてしまう。いつまでたっても触れられないことに疑問を感じたのか、成歩堂が薄目を開けてこちらを窺ってきた。
「成歩堂……この間から一体何を怒っているのだ。私は君のために海を越えたのだぞ。ちゃんと説明したまえ」
 法廷では彼に攻められ敗北することが多いが、セックスの最中ともなればその立場は逆転する。先程までは彼の態度に動揺していた私だが、今は優位に立ち詰問する。ずっと抱えていた疑問を真正面からぶつけたのだ。
 成歩堂はこの質問から逃げたいのだろうか、両腕を顔の前に運び紅潮した頬と目を隠す。隙間から潤んだ瞳が私を捕らえ、睨み付けられた。射るような視線にふつふつと欲が沸き立つ。
 そんなことをしてまた私を誘い振り回すつもりか。少々憎たらしくなり、左手で彼の性器を握り込んだ。熱を持ったそこは興奮状態で、乱暴に扱くと成歩堂は息を漏らした。
「言いたまえ。君の、怒りの理由を」
「うる…さい、っ!…黙ってやれ、よ!」
 私は彼の言葉通りに口を閉じ、握り締めていた性器を手のひら全体を使って圧迫した。ひっと息を飲む成歩堂はそれでも答えようとはしなかった。
「成歩堂……言わないとひどくするぞ」
 わざと声を潜めて囁いても、成歩堂は顔を隠しいやいやと首を振るだけだ。
 強情な彼を責めるように剥き出しになった喉仏を舐め上げた。右手では小さな乳首を摘み上げ、先端を舐めようとして顔を近付けた時に──
「こわい」
 突然、質問の答えではない一言を漏らされ、私は手を止めた。成歩堂は両腕で顔を覆ったまま唇を噛み締めている。聞き間違いか、と行為を続行しようと視線を落とした時、頭の上からもう一度同じ言葉が降ってきた。
「怖い、怖いんだよ、……好き、な相手がどっか行ったりとか、嘘ついたりとか、裏切りが嫌いって、言っただろ、馬鹿」
 口を挟む間もなく、まるで独り言のように漏らされたそれ。しかしそれがどこに向けられているかは考えるまでもない。
「なのになんでわかんないんだよ!……くそっ!」
 汚い言葉まで呟く成歩堂はほとんど自棄になっているのだろう。
 私は、彼を見下ろしながら自分の中のロジックが繋がっていくのを感じた。これまでの成歩堂の態度。発せられた辛らつな言葉たち。理不尽だと思い込んでいたその行動に隠された真意を、私はその時ようやく手に入れた。
 彼は、頑なにその言葉を避けている──
 私は確信を持ち、抑えた声で問い掛けた。
「君は私がいないと寂しいのか。それで、拗ねていたのか」
「そんなわけ…!」
 かっと成歩堂の頬が更に赤くなる。両腕が取り払われ、きつく睨み付けられる。しかし、私の表情に唇を結んだ。
「私は──寂しい」
 唇を割った単語に、成歩堂は両目を大きく見開いた。その感情を口にした瞬間。溢れ来る感情に耐え切れなくなり、私は彼の無防備な身体を抱いた。
「寂しい」
 薄く敏感な肌の合わさりに、己を押し付けながら。
 呟く。
「寂しい、寂しい、成歩堂、私は、寂しい……」
 呻くようにして同じ言葉を呟きながら身を沈めていく。きつい締め付けをやり過ごし、徐々に徐々に、進め。最後に、自分の腰が彼の内腿に触れたことを確認する。根元まで納められたことに堪らなく安堵した。安堵と同時に、どうしようもなく切なくなる。
「御剣……」
 涙に濡れ、自分へとを向けられる瞳に。甘さを含んだ声に。ぎこちなく伸ばされる腕に。全てを失わないよう、今一度抱き締めた。私を包む体温に酔い、硬く目を閉じた瞬間に。
「ぼく、も。……さみしい。ずっと、寂しかった……」
 私の耳元で成歩堂はようやく怒りの原因を告白した。
「あっ…あっ!」
 二人共に弾み、欲を満たす。
 挿入する側と挿入される側、それぞれ立場は違うが感じていることは同じだろう。私と成歩堂は同じ思いを持ち、ひとつになれているというのに。それを意識し、理解すればするほど恐ろしくなる。別離というものが。相手が側にいないということの孤独が。
 それはまるで毒薬のように。一度意識してしまえば全身に回ってしまう。足を鈍らせてしまう。胸を苦しくさせる。息がしづらくて、痛みすら感じて……
 だからこそ互いに触れぬようにしていた。一度その毒を口にしてしまえば、倒れてしまうから。倒れて、その場からもう二度と立ち上がれなくなってしまうから。
「みつ、るぎ……」
 目を閉じて私の名を呼ぶ彼の頬に、透明の細く長い線が現れる。頬に唇を寄せてそれを拭った。
 しかし、そうだとわかってはいても私は彼を抱かずにはいられない。求めずにはいられないのだ。じわじわと蝕まれていくような感覚に目眩すら覚え、私は彼の中に自分を放っていた。
 気付けば腹の辺りにも温かみを感じる。成歩堂が荒い息を吐き出しながら、射精の余韻に眉をしかめていた。私は吸い寄せられるようにその唇に吸い付いた。一瞬逃げ掛けた後、すぐに絡む柔らかな舌。
 口内に広がる成歩堂の味が、何よりも強い毒薬に思えた。

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