「よぉ、御剣!おめぇ、なかなかいいベンゴだったぜ!」
 見る者を脱力させる笑顔を浮かべた矢張が近寄ってきた。私の視線に怯むこともなく、隣りに立った矢張は一層能天気な笑みを浮かべる。糸鋸刑事が予約したという一流のフランス料理レストランでの食事会にはいるはずのない人物を、私は鋭い視線で睨み付けた。
「……貴様は葉桜院の山小屋に帰ると言っていただろう」
「メイちゃんにどうしてもって言われちゃオトコとして帰れねぇだろ!」
 確か誘ったのは糸鋸刑事であってメイは何も言っていなかったはずだが……なんとも幸福な思考回路だ。
「どうよ?御剣、オレもなかなかイイ証言だったろ?シビレたろ?」
 私の浮かべる表情などお構い無しに、矢張は上機嫌でそう尋ねてきた。
 私が被告人だった時の裁判を髣髴とさせる、飛び入りでの証言、常人には理解しがたい証拠品。矢張の登場により法廷は混乱した。が、こうして成歩堂が真犯人を告発できたという結果を導くことができたのもあの証言があったからこそなのだろう。
 そう自分を納得させた私は怒鳴りつけることを止め、微笑みを作ってみせた。人一倍不器用で笑うことが苦手な自分が、うまく微笑んでいるとは思えなかったが。
 しかし、その次の矢張の発言に私の不完全な微笑みはすぐに消え失せた。
「御剣さぁ、せっかく外国行ってんだから金髪のねぇちゃんの一人くらい連れて帰ってこいよな」
「き、貴様は研修をなんだと思っているのだ!」
 私の厳しさや怒鳴り声に矢張が全く動じないのは、昔からの知り合いだからなのか彼の性格ゆえなのか。何故か少し離れた場所にいた糸鋸刑事が代わりに飛び上がり、怒鳴られた本人である矢張はけろっとした顔で頭の痛くなるようなことを言う。
「ああん?センベツで渡したじゃねぇか、金髪ねぇちゃんの……」
「矢張」
 冷静にそれを窘めたのは私の声ではなかった。二人揃って同じ方向に目を向けると、そこにはもう一人の幼馴染が立っていた。
「真宵ちゃんたちが帰るって言ってるから送ってくれないか。ぼくは御剣と話があるから」
 今度は三人揃って彼の後方に視線を向ける。そこにはすっかりいつもの笑顔を取り戻した真宵くんと春美くんがこちらに手を振っていた。
「おーいいぜ。タクシー使うけどいいか?」
「頼むよ。領収書もらっとけよ」
 意外にも矢張はすぐに引き受け、彼女たちの元へと向かう。と、思ったら密かに感心していた私の肩を軽く叩きこんなことを言う。
「次こそは金髪のねぇちゃんつれてこいよ」
「ふざけるなッ!」
 今度は遠慮なく怒鳴りつけた。が、やはり矢張には効かなかったらしい。ひらりと細長い手を振り、その場を去っていく。真宵くんたちのことも成歩堂の知り合いということで引き受けたのだと思ったのだが、ただ単に女性の送迎ということで引き受けたのか。談笑している三人を見ているとそうとしか思えなかった。
「楽しそうだな」
 誰に言うわけでもなく漏らされた呟きに顔を向ける。青いスーツの成歩堂が同じものを見ていた。
 矢張からの連絡を受け、ジェット機で駆けつけた時には成歩堂の顔は真っ青というよりは緑色だった。一時はどうなることかと心配をしていたのだが、彼は驚異的な回復力を持って見事に回復し、その二日後には法廷へと立っていた。
 倒れた彼の代わりに弁護人役を務めるという、想像もしていなかった出来事に気を取られていたが……彼と最後に別れたのはあの夜だ。何故か成歩堂が一人激怒していて、私もそれに挑発され煽られて──
「御剣」
 先程、悪友の名を呼んだのと同じ程の硬質な声で呼ばれ、私は内心焦った。だが、動揺を彼に見せることはプライドが許さない。私は無表情で呼び掛けに応じた。
「何だ」
「話がある。事務所に来いよ」
 それは何かと問い掛けるよりも先に成歩堂は私に背を向け、出口へと歩き始めていた。背中を向けられた私は無表情を崩し、眉をしかめる。
 まだ、怒っているのだろうか?裁判で完全に融解したかと思われた彼の怒りは未だに、私へと向けられているのか。話とは何なのだろう。考えたくはないが別れるという類の内容なのかもしれない。彼も、かつて恋人であった女性と再会し、心境の変化があっても不思議ではない。
 恐ろしい考えが止め処なく溢れ、私の歩みを止めさせていた。成歩堂との距離が開いてしまい私は慌てて彼を追い掛けた。一人考えていても仕方がない。不安と疑問を胸に抱えつつ、私は彼の後へ続いたのだった。

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