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胸ポケットに仕舞っていた携帯電話を取り出し、時間を確認した。午前二時。
携帯を仕舞うとソファに横たわる彼へと視線を移動させた。ニット帽を脱いだ額に手を当てた。そして、撫でるようにして
滑らせる。熱いが、それは発熱から来るものとは異なるようだった。
睡眠をとったことで幾分か下がったらしい。体温計がないから確かめることはできないが。
眠り続けていた成歩堂はようやくその小さな刺激に目を覚ました。黒目の動きはゆっくりだったが、それは熱のせいではなく寝惚けているせいだろう。

「大丈夫か」
「うん。……今、何時?」

素直に頷いた後にそう尋ねられ、私は先程確認した時刻を彼に告げた。それを聞いた成歩堂は眉をしかめる。上半身を起してソファの上の隅に座る私を睨みつけた。

「何してるんだよ。お前は仕事あるだろ」
「生憎、私は時差ぼけで眠れないのだよ」

皮肉げに唇を歪めて肩を竦めてみせた。それでも納得しない様子の成歩堂に、先程買ってきたものを袋から取り出し始める。

「飲み物はここに置いておく。残りは冷蔵庫の中に入れておくぞ」
「ああ、ありがとう」
「薬は二種類買ってきた。どちらか選んで飲んでくれ」
「助かったよ、御剣」

成歩堂は反応のよくなった黒目を動かし笑った。
その笑顔と口調に先程までの弱々しさはない。息を軽く吐いて安堵する。

「他に、ないか?」

尋ねた私に向かって成歩堂は瞳を持ち上げる。
その瞳を見返しながら、自分の心が徐々に波立っていくのを感じた。

「もう十分だよ」

そう答える成歩堂は私の様子に不思議そうに瞬きをした。私は自分の言うことがよくまとまらないまま、とにかく伝えようと口を動かした。

「何か……君のために、私に出来ることはないのか?」

それを聞いた成歩堂は眉をひそめた。

「何かって?」

目の前に投げ出されていた手の平を掴まえる。何か、出来る事はないのだろうか。
君が、新しく希望を抱えるために。私に、何か。

「バッジは剥奪されたが、受験資格まで剥奪されたわけではない。君がもう一度司法試験を受け直すと言うのならば協力する。就職先も知り合いの弁護士を紹介してやってもいい」

それくらいさせてほしい。そんな思いを込め、私は言った。冤罪を晴らす手助けは何一つ出来なかったのだ。彼が罠に嵌り転落していくその時ですら。
成歩堂は沈黙し、私から目を逸らした。それには拒絶の意が現れていた。そしてこう返す。

「今更だよ。もう」

そうだ、今更だ。
私はどうにもならない歯がゆさに身悶えしてしまいそうになった。

「君の未来だって明るいはずだ。このまま暗いわけがない。何故、新人の弁護士に嫉妬する必要があるのだ」
「うるさいな。なんでそんなことお前にわかるんだよ」

感情の赴くままそう言い切った私に成歩堂はもう一度視線を投げ掛ける。その瞳は明らかに怒っていた。握っていた手が無理に解かれる。

「私にはわかる。君は、一人じゃない。助けてくれる人間が私以外にもたくさんいるはずだ」

あの、成歩堂が偽物の証拠品を法廷に提出しバッジを剥奪された事件。
あれが起こった頃、彼の側には誰もいなかった。私は海外に、助手である真宵くんも里に帰っていた。だからこそ誰も彼を救うことも、支えることもできなかったのだ。
私も真宵くんも君の元へと駆け付けるタイミングが遅くなっただけだ。差し出す手を渋っていたわけではない。

「……今更って言ってるだろ?君に出来る事は何もないよ」

こちらの目を見据えたまま、拒絶される。言葉で線を引かれてしまう。掴んだ手は逃げられてしまう。
私は口を閉ざしてしまった。
あの時と一緒だと思った。彼が弁護士となって私の目の前に再び現れた時と。
あの時は私が彼を拒絶していた。差し出す手をこうしてにべもなく払い除けられるのは、何て悲しいことなのだろう。あの時の彼の気持ちを私は今ようやく理解できた。
君が昔、思い悩む私に手を差し出さずにはいられなかったように。それと同じに、私も君を救いたいという気持ちを君はどうして理解できないのだろう。

「私は、ただ……」

居たたまれなくなって視線を逸らした。目に付くのは、片付いていない事務所。熱があるにもかかわらずソファで眠る成歩堂。体調不良の時でも仕事に無理をして行こうとするほど、金に困っているのか?
全てのことが事実となって胸に迫ってくる。本音が言葉となって唇から滑り落ちていった。

「私の大事な君を、このように蔑ろにしてほしくないだけだ……」

耳が痛くなるほどの静寂が二人を包む。身動きを忘れる私の名をふいに彼が呼んだ。

「御剣」

反射的に顔を上げた。そんな私に成歩堂の腕が絡んできた。
首筋に唇を寄せた成歩堂が静かに囁く。

「キスしてほしい」

掠れた声の要求に、身体を一旦離し。唇ではなく右の耳に口付ける。

「もう一度」

顔を俯かせて、パーカーの襟から覗く肌色に唇を寄せた。熱い。彼の命がここに息づいている。

「もう一回」

身体をもう一度離し、目を合わせた。成歩堂の黒い瞳がぼんやりと私を見返す。両手で顔を包み込み、額に口付けた。熱のあった彼の身体は、自分の記憶の中よりも温かかい。

「もっと」

促されるままに私は彼の身体に唇を落としていった。ソファの上に横たわる成歩堂の頬に、首に、胸に、腹に。
自分に出来ることならば何でもするつもりだった。
成歩堂は目を閉じて私の口付けを受けていた。背中に回る成歩堂の腕を外し、その手を掴んで手の平にも口付けた。祈りのように何度も繰り返される命令に、ただただひたすらに従う。
自分を彼の中に入れ、ひとつに繋がった時も。
浅く呼吸をする唇に何度も触れた。彼の気がすむまで、自分の気がすむまで。口付けを永遠に繰り返すつもりだった。

「側に、いてくれ」

彼が達する瞬間にだけ、命令が違うものになった。そう呟いたすぐに彼は泣きそうな声を上げて全てを放った。
彼の中に自分を解き放ちながら、誓った。その最後の命令を必ず守る事を。









私の買ってきたミネラルウォーターを飲み干して、成歩堂は大きく息をついた。
その様子を見る限り、もう身体は大丈夫そうだ。
下してあるブラインドの隙間から入り込む光は白い。狭いソファで折り重なって眠るうちに朝を迎えたようだった。

「身体がだるい気がする……」
「熱は下がっただろう。夜、あんなに元気だったのだからな」

うるさい、と呟いて成歩堂はこちらを睨んできた。私は笑ってそれを交わし、立ち上がった。フリルタイをつけ黒いベストを羽織り、格好を整える。それを見守っていた成歩堂がふいに口を開いた。

「食事、いつ行く?早く日を決めてくれよ」
「現金だな君も」

ただで食事にありつける機会を逃すつもりはないらしい。呆れ顔で振り返った私と目が合うと、にこりと微笑んだ。

「だって君はまた研修に行かなきゃいけないんだろ?」

笑顔のまま言われた言葉に思わず動きを止めてしまう。こうして帰ってきても、結局はまた研修に出掛けてしまう。それはもう何年も前から繰り返してきたことだ。
約束した事を早々に守れないことに罪悪感を感じた。思わず謝罪の言葉を口にしようと、口を開き掛けた時に。

「みぬきとオドロキ君も一緒に連れてくよ」

そう言って彼は笑った。その顔に淋しさも弱さも見当たらなかった。
その顔を見て私は確信した。
やはり、君の未来は暗いものではない。君の側には、今も昔と変わらず人がたくさんいるのだから。

「ああ。私も彼らに会うのが楽しみだ。一緒に来てくれ」
「二人とも喜ぶよ」

成歩堂は笑う。昔とは違う格好で、昔と同じ笑顔のままで。
見送るつもりか、私の後を追って立ち上がった彼がバランスを崩してよろけた。熱が出たせいで足元がおぼつかないのか。慌てて手を差し出した。
それに掴まりながら成歩堂は私の顔を見上げた。そして、もう一度笑った。

「助けてくれてありがとう、御剣」

 

 

 

 

 

 

 

 

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モバイルサイト666hit、双龍さまのリクエストで、
風邪っぴきなるほどくんでミツナルです。捏造妄想満載ミツナル!
御剣の考え(人をきついことを言うことはあっても〜)は、
ちょっと自分の思うところを言わせちゃった感じです。
そんなこと言う人じゃなかったやろ〜と思ってたのです。
素敵リクエストをありがとうございました〜


 

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