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!4設定でミツナルです・御剣は相変わらず海外研修で忙しいという捏造をしてます!










タクシーを降り、見上げる。
どんよりと曇った空をバックにしてそびえ立つビルに目を細めた。携帯電話を取り出し時間を確認した後、もう一度ビルを見上げた。そして歩き出す。その後をトランクがごろごろと音を立てて追ってきた。
扉の前に立ち、ノックをふたつ。中からの返事はない。もう一度携帯電話を取り出して時間を確認した。この時間帯ならまだいるはずだ。
戸惑いつつも扉を押すとそれはあっけなく開いた。無用心な。思わず眉をしかめた。
毎度のことながら様変わりした室内の様子には面を食らう。娘の芸の才能を伸ばすためだと彼は笑うが、それよりも先に片付けを子供にしつけるべきではないのだろうか。
部屋を余すことなく散りばめられたマジックの道具を見ただけで苦笑が漏れる。彼も、彼女も相変わらずらしい。
引き摺るトランクを部屋の中のものにぶつけないよう慎重に足を進めていくと、事務室に置いてあるソファの前へと辿り着いた。その上に目的の人物を見つけ、私は安堵ではなく呆れの溜息をついた。
狭いソファに、まるで猫のように身体を丸めて眠る成歩堂がそこにいた。
成歩堂は私の来訪に全く気付くことなく寝息を立てていた。前回見たのと同じ、締りのない格好のまま。昼寝の時ですら水色のニット帽は脱がないらしい。
数ヶ月ぶりに会ったおかげで、彼の体格の変化に私は目ざとく気が付くことができた。思わず眉を寄せる。
───また、少し痩せたようだ。
何故だか胸が痛んだ。弁護士であった時代よりも生活が苦しいのだろうか?

「成歩堂」

このまま不法侵入の状態で観察しているのもばつが悪い。とりあえず、起すために呼び掛けてみる。

「成歩堂」

反応がないことに苛立ち、少々声を張ってみる。
しかし、成歩堂はぴくりとまぶたを痙攣させただけでそれ以上の反応は見られなかった。
どうやら呼び掛けのみで彼を現実世界に戻すことは不可能らしい。
トランクを背後に置き、すぐ側に近付く。頬でもつねろうかと意地悪心で右手を持ち上げようとした。が、出来なかった。
それよりも先に成歩堂が目を開いたのだ。黒々とした瞳がいまだ寝惚けた様子を見せながらも私の顔中をさ迷い、最後に私の目に固定される。

「……御剣?」
「うム」

数ヶ月ぶりにその声で呼ばれる自分の名にほっと心が解けていく。
自分でも気付かぬ内に、長期の研修と海外生活には神経を磨耗してしまっているようだ。こうして彼の元を訪れ、彼に名前を呼んでもらうことで私はやっと日本に帰ってきたのだという実感を得ることができた。

「ほんと神出鬼没だね、君は。日本にいたり外国にいたり」

のっそりと起き上がりあくびまじりに彼は呟いた。日中、スーツを着ない生活を始めたおかげか彼の居眠り癖は更にひどくなっているように思えた。夜に仕事をしている分、昼間に寝るのは普通のことなのだが。潔癖とも言える私にその生活と習慣は馴染めるものではなかった。

「で、どうしたの。またみぬきにお土産持ってきてくれたの?」
「それもあるが……君を食事に誘おうと思ってな」
「いいよ今日は」
「珍しいな」

あっさりと断られ、思わず本音を呟いてしまった。
資格を失った後に娘を養うようになった彼は、以前にも増して金欠に陥っていた。私が食事に誘うということは私が彼の分も支払うということで、そういう時は喜んで誘いに乗ってきたものなのだが。

「それより、おかえりのキスくらいさせてよ」

囁くような声にどきりとした。こちらを見つめ返す成歩堂の瞳はすでにとろりと溶けていた。口元には誘うような笑み。促されるままに腰を屈める。そこに二本の腕がするりと絡んだ。
このようなことを言い出すようになったのも、弁護士を辞めてからだった。
その気だるげな態度も、前よりも多くなった人をからかう言葉も。一体どこで学んでくるのだろう。
近付いてくる彼の顔を見ながらそんなことを考えていた。

「おかえり、御剣」

唇同士が重なる寸前に成歩堂はそう言って笑った。短い髭が残る頬に手を添えた瞬間。
私は目を見開いた。
頬から、手を移動させ重なる寸前の唇を無視して。露出した額を手の平で覆う。そして思い切り怒鳴りつけた。

「熱があるではないか!何故早く言わないのだ」

手の平が燃えるように熱かった。それは私自身の温度ではなく、それに触れている成歩堂が発しているものだと悩まずともすぐにわかった。
成歩堂はそれを驚く様子もない。それどころか悪戯が見つかったかのような顔で笑う。

「ばれたか。セックスに持ち込めば気付かなかった?」
「何を馬鹿なことを言っているのだ!」
「大したことないって」

そう言って私の腰に強引に両腕を回してくる。密着することで彼の高熱がこちらに直に伝わってきて、私は慌てた。

「仕事も行かなきゃいけないし。これくらい大丈夫だよ」
「今夜は休みたまえ。君がそんな状態でポーカーなんてできるわけないだろう」
「嫌だ。できるって」

顔を埋め、駄々っ子のように言うことを聞かない彼に大きく溜息を吐き出した。

「成歩堂」

呆れの意図が滲んだ私の呼びかけに成歩堂は沈黙する。そのまま諦めるかと思った。しかし、腕の拘束が更にきつくなる。成歩堂は顔を埋めたまま動かない。
頑固なのは昔と変わらないようだ。
腰に隙間なく回された両手も、きつく押し付けられた額も。確かに熱を持っているのに、無理に引き剥がすこともできずに。
困惑しきった私は数秒間沈黙する。そして、こう懇願した。

「……いいから寝てくれ。頼む」

とても情けない表情を浮かべている自覚はあった。が、顔を頑なに埋め続けている成歩堂がそれを見ることは叶わなかった。









ソファに横たわったまま、成歩堂は心許なく私を見上げる。私はとりあえずコートを脱いで彼の身体に掛けてやった。タクシーで送ると言っても言う事を聞かないのだ。彼の頑固さには閉口する。
私はソファの開いてるところに腰を掛け、顔だけ出した状態の成歩堂の額に触れた。

「薬飲めるか」
「口移し」

短い問い掛けと同様の、短い答えに思わず溜息をつく。成歩堂は唇を尖らせた。

「薬嫌いなんだ。ニガいし」
「子供のようなことを言うな」
「そんなんじゃなくて」
「座薬でも入れるか」
「……変態」
「開発者と処方する医者に謝りたまえ」

言い負かされた成歩堂が沈黙したのを見届け、もう一度溜息をついた。

「座薬が嫌ならおとなしく寝ていろ」

この事務所に体温計などなかった。氷枕さえもない。何一つできない歯がゆさに唇を噛み締める。
薬だけは、旅行用の鞄に入れてあったのだ。馴れない地で体調を壊したことを考え、もしもの時にと常備してあった解熱剤がこの国で役立つとは思っていなかった。
こくりと、微かな音を立てて薬を飲み込んだ成歩堂は目を閉じ深くソファに沈みこんだ。いつものふざけた会話も今の彼にとっては重労働だったようだ。

「みぬきくんは?」
「今日は、友達のところに泊まるって」

目を閉じて答える成歩堂の顔を見て、しばらく考える。

「あのオドロキとかいう若い弁護士はどうした」

ぴくりと、目を閉じたままの成歩堂の眉が動いた。

「色々と仕事頼んだから歩き回って疲れ果ててるんじゃないかな。今日はもうそのまま帰るって電話があったよ」

さらりと彼は言うが、弁護士時代の成歩堂に憧れを抱いていたという王泥喜弁護士が成歩堂にこき使われている姿が容易に想像できた。きっと、本当に疲れ果てているのだろう。
可哀相に。
命令を与える立場である当の本人は、何も罪悪感も感じていないようだった。

「オドロキ君呼ぼうか?使えないマスコットでもぼくの世話くらいできるだろうし」

それどころかこんなことを言う。私は呆れてしまった。

「いや、それは可哀想だ。今夜は私がついていよう」

別にいいのに、ともごもごと呟く成歩堂を見て思った。

「君は……」
「何?」

漏れてしまった声を相手に拾われ、私は思った事を口にするしかなかった。

「いや。君が部下を持ったらもう少し親切にするかと思っていた。綾里弁護士のように」

そう言うとやはり成歩堂は沈黙してしまった。
ということは多少の自覚はあるのだろう。新人の弁護士に対する扱いがひどいということに。
以前の成歩堂は、人にきついことを言うことはあっても馬鹿にするようなことは言わない男だった。が、あの弁護士にはかなり辛らつな言葉を与えることがある。
それは前から引っ掛かっていたことだった。

「嫉妬かな」

ふいに響いた声が私に対する返答だと遅れて気がついた。慌てて見返すと成歩堂は目を持ち上げた自分の腕で覆い、呟いた。

「オドロキ君の未来は明るくしかならないからね。ぼくと違って」

彼の口振りは決して深刻なものではなかった。が、その言葉に込められているものの重みに私は言葉を失ってしまった。

「それがぼくは、羨ましいんだと思うよ……」

その言葉を最後に、成歩堂は完全に沈黙した。眠りに落ちたらしい。
すでに眠りの世界へと旅立っている彼の、熱を持った手の平を握り締める。自分の中のどうにも出来ない感情をどうにかして落ち着かせるために。





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