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 白いシャツは太陽の光を反射してとてもまぶしい。それは集団ともなると強烈で、ぼくは寝不足でほとんど開かない目を痛めつけるようにして窓の外を見ていた。
 群れの中に、ある一人の姿を見つけて目を見開く。その人はシャツを着ていない。だって、制服を着る生徒ではないのだから。
 この暑い中、その人はスーツを着ていた。赤とも呼べない深みのある色。さすがに冬のものとは素材が違うだろうけど、長袖だから暑いには変わりないだろう。でも、その人は涼しい顔で歩き、やがて校舎の中に消えていった。
 それを最後まで見送った後、ようやくぼくは窓際を離れる。そして、自分の机の中から生物の教科書を取り出し始業までの時間まで真剣に取り組むことにした。
(生殖には大きく分けて二つの方法があり、無性生殖と有性生殖に……)
 前の授業の時に開いていたページを見つけ、大きく開く。そして文章の先頭から無心に読み進めていく。自慢じゃないけど暗記は得意だった。ここ一番の集中力は誰にも負けない。……と自分では思っている。
「予習ですか?君には珍しく、熱心ですね」
 突然、声を投げ入れられた。中途半端になってしまったことを恨むようにして相手を振り返る。この暑いのに長い髪を横に束ね、腕を組み優雅に微笑むのは牙琉霧人だった。
「邪魔しないでくれるかな。遊びたいなら後にしてくれ」
「邪魔をするつもりはありませんよ。ただ、珍しい光景を見たと思いまして」
 珍しく、とか珍しい、とか。いちいちそこを強調する牙琉は性格が悪いと思う。同じクラスになって特に共通点もなかったけれど、なぜか近付いてきて今では勝手に親友というポジションに納まっていた。
 まあ、ぼくの方としても優しい物腰と口調で嫌味を言うアンバランスさと、少しでも彼のプライドを傷つけるような冗談を言うと髪を振り乱して言い返してくる様子が面白くて、彼と友達でいることは別に嫌ではなかった。
「期末試験はまだ先ですが?」
「そんなの関係ないよ。別にやりたいからやってるだけだ」
 ぼくの返事に牙琉は意外そうに驚く。そんなにぼくが自発的に勉強するのがおかしいのか。わざとらしい反応にぼくは付き合うのも飽きて、また教科書に向き合った。
 そうだ、ぼくは。やりたいからやっているんだ。どうしても。どうしても、あの人に自分を───
 がらりと横に扉が開き、教室に一人の教師が現れた。教室や廊下にそれぞれ散らばっていた生徒たちが次々と席につく。そんな慌しい中で、ぼくは先生を見ていた。
「今日は綾里先生が出張のため、私が代わりにHRを行う」
 先生は簡潔にそう告げると出席簿を開いた。赤いジャケットを脱ぎ、その代わりに白衣を羽織っている。背筋を伸ばし胸を張り、低い声で次々と生徒の名前を呼び上げていく。
「成歩堂」
 順番が来て、呼ばれることはわかっていたのに。
 それなのに、それだけで。ぼくの心臓はありえないくらいに激しく脈打っていた。怪訝に思った先生がもう一度名前を呼ぶ。今度はフルネームで。
「成歩堂───龍一」
 声を発して返事をすることはとても簡単なことなのに、その時のぼくはまるで全ての自由が奪われてしまったかのような錯覚に陥っていた。呼ばれる名前。それだけなのに、どうしてこんなにも特別に思えるのだろう。
 先生。御剣先生。───気付かない?
「欠席だろうか」
 心の中でだけ返事をして問い掛けても、現実に相手に届くことはない。返事のないことにそう結論付けた御剣先生が出席簿に書き込む寸前に後ろに座っている矢張に小突かれ、ぼくは慌てて返事をした。





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