Is love blind?

「せっかくの連休だって言うのにさ!なんでこんなとこにいるんだろう……ぼく」
 メニュー片手に注文をしている真宵ちゃんと、それを聞いている店員がぎょっとしてこちらを見てきた。心の声が漏れていたのかもしれない。そう思ったけど本音を誤魔化すことはできなかった。
 そもそもなんで誤魔化さなきゃいけないんだ。ぼくはこんなにも怒ってるというのに。
 手にしていたグラスを空にして、少し怯えたような様子の店員に新たな一杯を注文し、ふぅと血気盛んな溜息を吐く。
 そんなぼくをしばらく無言で観察した後、真宵ちゃんがあからさまに呆れの溜息をついた。
「なるほどくん、飲みすぎじゃない?」
 そういう真宵ちゃんの前には二杯目のみそラーメンが置いてある。今だって店員に追加の餃子を頼んだばかりだ。そっちこそ食べすぎだろ、と独り言のように呟いた突っ込みは真宵ちゃんによって見事に拾われた。堂々と胸を張り、言い返してくる。
「こんなのいつもじゃない」
 そう、いつもの通りなのだ。真宵ちゃんがみそラーメンを二杯食べるのも、ぼくがその代金を支払うのも。行きつけのラーメン屋であるやたぶき屋に二人並んで座るのも、決して珍しくもない、いつもと一緒の光景だ。
 違うことがあるとすれば、ぼくが青いスーツじゃないことと、ラーメンではなくビールばっかり飲んでいることくらいだ。
 何もかもがいつも通りの日常の延長で、腹立たしくなったぼくはまたビールを煽る。
「でも、確かに連休なのにいつもの顔を見てるのはつまらないよねぇ」
 右手を頬に添え、真宵ちゃんがそう呟く。しばらくそうしてたと思うと、あ、という形に口を開いた。紫色のストラップがついたピンク色の携帯を取り出し、ぼくにこう聞いてきた。
「御剣検事、呼ぼっか!」
「いいよ。どうせ呼んでも来ないからアイツは」
 吐き捨てるように言い返したぼくに真宵ちゃんはしょんぼりと肩を落とした。御剣とみそラーメンという、絶対に相容れなさそうな組み合わせを見てみたかったのだろう。
 でもそれは無理なことだった。ぼくは、知っているのだ。御剣がここには絶対来ないことを。数時間前に交わした奴との会話によって。


「ええ!?約束してたじゃないか」
 執務室のデスクにつく御剣は、神妙な顔を作りぼくを見上げた。
「上司からの誘いなのだ。そう無下に断ることはできない」
「先約があるって言えばいいじゃないか」
「私とて公務員だ。組織の中で働くのには面倒な付き合いも多い。……埋め合わせは必ずする。わかってくれ」
 だって、と口ごもってしまう。個人事務所を構えていてそういう付き合いとは無縁のぼくでも、いい大人なのだから御剣の言っていることはよくわかる。
 でも、今回だけはこのまま引き下がることはできなかった。
 久し振りに連休が取れて、御剣に連絡したら彼もまた連休が取れたらしい。二人で温泉でも行こうと思い、でも連休だけあってなかなか予約が取れなくて、それでも頑張ってどうにか探してやっと一軒の宿が取れたという報告をしに、裁判所に寄った帰りに御剣の執務室まで訪れたぼくを待っていたのは。
 御剣が上司の紹介でお見合いをするという衝撃的な報告だった。
「お見合いというほど堅苦しいものではないらしいが。上司の娘さんと会って、食事をする程度のことだ」
 それをお見合いって言うんだよ!と突っ込んだぼくを御剣はもう一度見つめる。そして、御剣のデスクの前に立ち尽くしているぼくに向かって涼しい顔でこう言った。
「何をそんなに怒っているのだ」
 上司の娘と会って、ぼくへの気持ちが揺らぐことなどあるはずがないから、御剣はこうして全て正直に話してくれたのだろう。でも……
「御剣の馬鹿!鬼検事!人でなし!鬼畜!……バカ!バカ!ハゲ!」
 最後にもう一度、バカ!と叫んだぼくを見つめ、罵られた本人は冷めかけの紅茶が注がれたティーカップを手に取り、優雅に啜る。一口飲んで唇を離し、それを呆れたように歪めた。
「子供か君は」
 ぼくが御剣との休日を夢見て必死に温泉宿に電話を掛け続けている最中に、当の本人はそんな話を聞いて承諾していたのだ。ぼくと交わした約束を無視して。
 自分が憐れで、恥ずかしくて、とにかく堪らなかった。口々に罵っても気持ちは収まらず、ぼくは御剣の顔も見ずにそのまま執務室を後にした。



「ねぇねぇ、御剣検事、どっか行ってるの?……もしかして、彼女とだったりして!」
 ぼくと御剣が一緒に温泉に行くほどの仲なんて全く知らない真宵ちゃんが尋ねてくる。今のぼくにとってその手の話題は禁句だった。
「お見合いでもしてんだろ、今頃」
「えー!お見合い!?でもでも、御剣検事だったらありそうだよねぇ。いいとこのムスメさんと、とか」
 言わなくてもいい一言を言い放ってしまい、真宵ちゃんの言葉によって胸を抉られ、更に落ち込む。
「ケッコンかぁ……御剣検事、ケッコン式呼んでくれるかなぁ。ごちそう、あるといいなぁ」
「真宵ちゃん、話が飛びすぎ」
 レンゲとお箸を持ってうっとりする真宵ちゃんを現実に戻すため、そう突っ込む。この子の食い意地はいつもすごい所にまで妄想を進めていく。いつもはほっとくことが多かったけれど、この話題に関してはストップを掛けたかった。
「でもそうなっても不思議じゃないよね。あたしもそろそろかなって思うし」
 ラーメンに箸をつけつつそんなことをさらりという真宵ちゃんに、ぼくは飛び上がった。
「えええ!ま、真宵ちゃん……お見合いするの?」
「んーあたしが成人したらね。そういう話は出てるけど」
 卵色の麺を至福の表情で啜り上げた後、そんなとんでもない返事をしてくる。
「あたし、一応家元だし。あたしの次ははみちゃんでいいかなって思うんだけど、その後のことも考えておかないとね」
 幼さの残る声で、いつもの調子で。あくまで軽く、重たい話をできる彼女は本当にすごいと思う。浮かんだ疑問に、尋ねるのは酷かとも思ったけれど。ぼくは声を落として彼女に質問をする。
「それで、お見合いって……政略結婚って言わないか?」
「そんなに深く考えなくていいの!いつかはケッコンしたいし、赤ちゃんもほしいよ。そう思うのって別に普通じゃない?」
 ぶはっと飲もうとしたビールを吹き出してしまう。
 あの真宵ちゃんの口から結婚、子供なんて単語が飛び出してくるとは。まだまだ子供だと思っていたのに。
「あたし、子供じゃないよ!」
「人の心を読むなよ……」
 両手を顔の横で拳にし、むきになって言い返してくる姿は幼いとしか言いようがない。その思考も読んだのか、真宵ちゃんは頬を膨らませる。年齢に相応しくないと言ったらまた突っ込まれそうだから、ぼくは仕方なしに黙った。
 それを言い負かせたと取ったのか、真宵ちゃんはなぜか堂々とした口調でぼくに告げる。
「これでもあたし、モテるんだよ?ヤッパリさんにも結婚しようって言われたし、ゴドー検事にもプロポーズされてるし」
 矢張はともかく、ゴドーさんまでか。子供をからかうなんて、ひどい大人たちだ。
「子供じゃないって!」
 また心を読まれたけど、反論する気にもならない。
 御剣の見合い話だけでも落ち込んだけど、真宵ちゃんの口からも聞いて一気に現実味を帯びたのだ。結婚、という二文字が。
 ぼくも二十代半ばを過ぎたし、最近では彼女との結婚を考える友人も多い。そういう話とは無縁のぼくも、周りがざわめけばそれなりに気にはなってくるのだ。
 でも、ぼくの相手は御剣で───どう転んだって、結婚なんてものは無縁のものでしかない。
 そう思っていたのに。
 考えもつかなかった。御剣の相手がぼくじゃなくなる日が来るかもしれないなんて。そしてそれがすぐ近くの未来として近付いているなんて。
 一度でもそんなことを考えてしまえば、負の方向へと考えが落ちていくことを止める術はなかった。飲んでいた酒のせいもあるかもしれない。
 どうしよう、これから。一人で。
「なるほどくんでもいいよ。ケッコンする?」
 その時の真宵ちゃんの台詞は、ぼくにとっては地獄に垂らされた一本の蜘蛛の糸のようだった。一人寂しい世界に取り残されそうだったぼくは、希望へと繋がるその糸を必死に掴んだ。がくりとうな垂れ、唸るように懇願する。
「真宵ちゃん、結婚してくれ……」
「相手が見つからなかったらね。おじちゃん、みそラーメンおかわり!」
 プロポーズはあっさりと流されてしまった。真宵ちゃんにとって大事なのはぼくとの結婚よりもラーメンのおかわりなのか。
 うう、と呻きながらテーブルに突っ伏しそうになる。何やってるんだろう、ぼくは。一人で馬鹿みたいだ。
「……真宵ちゃん」
「うん?ぎょうざ、食べたいの?」
 そう言いつつも自分の前の餃子をしっかりとガードしつつ、首を傾げた真宵ちゃんにぼくは尋ねる。
「フランス料理、食べたくない?」




「申し訳ございませんが、当店は完全予約制となっておりまして、ご予約のないお客様はご案内しかねますが……」
 そう言って若いボーイは再度こちらに視線を走らせた。上から下まで、まるで値踏みされるような視線だ。品のよさで誤魔化されているけど、行為そのものは失礼としか言い様がない。
 ぼくと同様にそれを感じ立った真宵ちゃんが不満げに唇を尖らせる。
「ご飯食べるのに予約がいるの?」
 まあ、仕方のないことだとは思う。実際に店の前に来てみて、想像以上に高級な香りのするレストランにぼくは正直気圧されていた。
 御剣の執務室で、子供のような悪態をつきつつもぼくはデスクの上に置かれていたレストランのパンフレットを盗み見していたのだ。仕事とはおそらく関係のないだろうそれに、ぼくは推理したのだ。御剣がお見合いをする場所がそこだということを。
 ご馳走が目の前にあると言うのに食べられないという状況を、真宵ちゃんが我慢できるはずもない。ぼくのスーツの片腕を掴んで乱暴に揺さぶってきた。
「御剣検事、中にいるんでしょ?呼んでもらおうよ!」
「ミツルギ様、ですか?」
 真宵ちゃんの口から飛び出した名前と、それをすかさずボーイに拾われたことにぼくは動揺した。それはまずい。
「いやいやいや!もしいなかったらどうするんだよ!」
「だってなるほどくんが言ったんじゃない。御剣検事が食べに行ってるところに行こうって」
 彼女をここへ一緒に連れてきたことを今ほど後悔した事はない。
「お調べいたしましょうか?」
 目の色を変えた真宵ちゃんに圧倒されたボーイがやや戸惑い気味に問い掛けてくる。それにぶんぶんと首を振る真宵ちゃんを押しとどめようとしたぼくは、慌てていたせいで力加減を間違えてしまう。
「なるほどくん、そんなひっぱらないで……きゃあ!」
「うわぁっ!」
 転びそうになった真宵ちゃんを必死に支えたぼくの耳に届いたのは、二人分の悲鳴。それが同時に響き、その後は視界がすごい速さで動いてなぜか地面が近付いてきた。咄嗟に目を瞑り身体を縮める。次に背中に激しい痛みを感じて思わず呻いてしまった。
「………な、なるほどくん……大丈夫?」
 静止した視界に映っていたのは、星の光すらない真っ暗な夜空と、びっくりしたような真宵ちゃんと、引き気味のボーイの顔だった。

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