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「美佳………美佳、なのか?」

布をかぶり顔を隠したあたしが目の前に現れると、ヤッパリさんはすごく驚いた顔でそう言った。
あたしは俯いたまま数回頷いてみせる。
はみちゃんが事務所のブラインドを全部下ろしておいてくれたおかげで、室内は暗い。
声色を少し変えるだけでヤッパリさんは簡単にあたしの嘘に引っ掛かってくれた。

「そ、そうよ…ヤッパリくん…」

おどおどしながら答えたあたしの言葉に、ヤッパリさんは目を丸くした。

「オマエ、オレのことマサシって呼んでただろ?今さら他人行儀になるなよな!」
「あっ!ごめんなさい!」

そう言われて、ついつい謝ってしまった。さらに目を丸くしてあたしを見た後。
ヤッパリさんはアハハと笑った。

「オマエ、天国行ってから性格変わったのな!前はオレに謝ったことなんかなかったろ?」
「え……そ、そうかな」
「お前が死んでからオレ大変だったんだからな!逮捕されるわ、有罪になりかけるわで」
「……ごめんなさい」
「もう一回会えたら、殴ってやろうかと思ったんだけどよ」

物騒な発言にあたしはびっくりして後ろに後ずさった。
はみちゃんがあたしを庇うように一歩踏み出し、さっとファイティングポーズをとった。
そんなあたしたちを見てヤッパリさんは声を出して豪快に笑う。

「冗談だっつーの!オレ、今は他に愛してるオンナいるからさ!」
「じゃあ、何で?」

それは美佳さんとしての言葉じゃなく、あたしの疑問だった。
彼の切羽詰ったような雰囲気に負けて、こんなふざけたお芝居をすることになったわけだけど。
何か深い理由があるんじゃないの?とあたしは首を傾げた。

「文句のひとつでも、言ってやろうと思ったんだけどよ」

どうでもよくなっちまったぜ、と言ってヤッパリさんは呑気な顔で笑った。
あたしは布の小さな隙間から彼を見て、なんだか全身の力が抜けそうになってしまった。
うんざりしたようななるほどくんの顔を思い出す。
そうだ、彼はいつもこう愚痴ってたんだった。

───あいつの言う事を真面目に聞くと、こっちが疲れるだけなんだよ。

「あの、マシスさん。そろそろ美佳さまはお帰りになるそうです」

気を利かしたはみちゃんがその空気を読んでヤッパリさんに声をかけた。
あたしははみちゃんに小さく頷いて答えると、布に隠した身体を回転させてそそくさと所長室に戻ろうとした。

「!」

それは突然のことだった。
あたしの姿を隠していたテーブルクロスの隅を、ヤッパリさんがきつく握り締めていた。
彼の思いもしない行動にはみちゃんは、驚いて口を大きく開ける。
ずれそうになった布を慌ててかぶりなおそうと、あたしの気が彼から逸れた時。
すごく近くにヤッパリさんの顔があった。驚いて目を閉じる。
しばらくしてまた離れていく人の気配。それは、ヤッパリさんの。
布を間に挟み、彼があたしのこめかみあたりに口付けたのだと数秒後に気がついた。

「オマエと付き合った時間は短かったけどさぁ」

俯くあたしの耳に、彼の声が届いた。

「付き合ったことを後悔したのはオマエだけだよ。何でだろうな。やっぱもういねぇからかな」

口調は軽い。でも言ってる内容はとても切ないもので。

「オレ以外に付き合ってたヤツがいたとか、貢がせてたとか。最低なオンナだったよオマエは。
でも会えなくなって淋しかったぜ。これだけ言いたかった」
「ご、ごめんなさい…」

美佳さんじゃないあたしはどう答えていいのかわからずに、それだけ返した。
ヤッパリさんはへらりと口を緩めて、あたしの肩をぽんと叩いた。
そして空いてる手でぐっと親指を立ててみせる。

「もう何十年もしたら、オレもオマエんとこ行くからよ!それまで待ってろよな!」

あたしは返事の代わりに何度も頷いてみせた。
ヤッパリさんはやっと手の力を緩めてあたしを解放した。そして頷いたあたしの頭を数回、軽く撫でる。

「オレはいっつもオマエのことを待っていたからさ。
最後ぐらいオレの方が待たせたっていいだろ?文句言うなよな!」

二人がどんな付き合いをしていたのか、あたしは全然知らなかったけれど。

ヤッパリさんが純粋に美佳さんのことを思っていたこと。
とても好きで、とても大事に思っていたこと。

それだけは今、感じ取ることができた。

なんだかとっても切なくなってしまったあたしは、頭にかぶった布をきつく握り締めたまま身を翻した。
そして所長室へのドアを開き、そのまま身体を部屋の中に滑り込ませる。

「またな、美佳」

扉が閉まる直前。
すごく優しげな彼の声があたしの背中を追っかけてきて、あたしはまた
どうしようもないくらい切なくなってしまった。








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