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2016年12月20日 地方裁判所 廊下




 法廷から出ると、遅い時間にもかかわらず人々が残っていた。先程の裁判を傍聴していた人たちだろう。数人で集まり少し興奮気味に話をしている。
 裁判自体はスムーズに終わったものの、最後、被告人が法廷を去る際に。突然声を荒げ、検察官を罵ったのだ。鬼、と怒鳴られても御剣の態度は少しも変わらなかった。悠然と法廷を横切り去るその姿に被告人の語気は更に荒れ、その掴み掛からんばかりの勢いに係官に取り押さえられる騒ぎとなった。
「さすが鬼検事と言ったところだな」
 揶揄を含んだ声に思わず振り返ってしまった。声の主はぼくには気付かず、話し相手に同意を求めていた。裁判の傍聴というよりはまるでスポーツを行うかのような服装にそっと眉をしかめる。もう一人の男が彼に返事をする。その中に検事という呼び掛けがあり、驚いた。どうやらこの男は検事らしい。まあ、御剣もあんな格好をしているし検事局は服装の規程が甘いのかもしれない。
「だいたい、裁判自体今日のこんな時間までかかるものじゃなかったんだ」
 悪いとは思いつつもついつい聞き耳を立ててしまった。
 同じ検事の彼曰く、御剣が担当した先程の裁判は序審システムによりすでに判決が下っているはずだった。でもそれに御剣が独断でストップをかけ、今日まで先延ばしにしていたらしい。
 その、理由は。
「何でも証拠品のひとつの出所がはっきりしなかったとかで。一から全部の証拠品を再鑑定してたらしいよ」
 驚いた。
 御剣が有罪にこだわることは、ずっと前に読んだ新聞記事や実際に法廷で対面して知っていたけど。証拠品、証言のひとつひとつに疑問や不信を残さないという検事・御剣怜侍の姿勢に、今更ながら驚いたのだ。
 遠い昔に見た姿と、先程の法廷に立つ姿が重なった。不正は決して許さない。真実だけを見据える横顔。
 自分の追い求めている御剣は間違いなくそこにいる。そんなわずかな希望を得たことに胸が熱くなり、軽くなった。
 集まっていた人々も徐々に帰り始め、気がついたらほとんど人影が見えなくなっていた。慌てて時計を見る。かなり遅い時間だった。留守番を頼んでいた真宵ちゃんももう帰っている時間だろう。
 足早に歩き出し、エレベータの前まで来て。ぼくはぎくりと足を止めた。
 蛍光灯が照らす廊下に御剣が立っていた。
 ぼくには背を向けていて、深い赤色の背中が数歩前にぼんやりと浮かび上がる。ぼくはそのまま進もうとしたけれど、すぐに足を止めてしまった。
 御剣は立ったままだった。
 エレベータに乗るのかと思ったら乗らないようだった。歩き出すわけでもなく、その場に立ち尽くす背中にぼくは首を傾げた。
 背中を見るだけでも伝わってきた。御剣の様子が。時間が遅く、薄暗いせいだろうか。いつもきちんと伸ばされている真っ直ぐな背中。でもそれは硬直しているようにも見えた。
「御剣……?」
 思わず声を掛けてしまった。
 突然後ろから名前を呼ばれたことに御剣は相当驚いたらしい。ものすごい勢いで振り向かれてぼくも驚いた。でも、御剣の顔を見てもっと驚いた。
 怖い顔だった。それは怒っているのとはまた違って、怒りというよりは恐怖に占領された表情で御剣はぼくを凝視した。恐怖、不安、苦しみ、悲しみ。突然に、そして思わぬところで御剣の隠すことのない負の感情たちを目の当たりにしてぼくは固まった。
 御剣が昇降ボタンを押していたのか、タイミングよくエレベータが到着した。ポーンと間の抜けたような音が響き、扉がぱっくりと両側に分かれて開いた。
 それに気付いた御剣が足を踏み出す。乗るのかと思ったけれどそれを避け、どこか別の場所へと行こうとしていた。
 自分と二人きりになることを避けた。そう取ったぼくの心が
一瞬で燃え上がった。どうしようもない悔しさと途方のない悲しさに。
「待てよ!」
 思わず去ろうとする肩を掴んでいた。人目もはばからずに叫んだ。御剣の顔がこちらに向く。スーツの赤と胸元のタイの白が視界を掠る。突き飛ばされる。瞬間的にそう感じ身体が強張った。
「う、わっ」
 逆に腕を掴まれ、そのまま振り回されるようにしてエレベータの中に押し込まれる。音で扉が閉まったことに気付いた。目に映っていたのは閉まり行く扉ではなく、御剣の姿だったからだ。
「みつ───
 苦悶に満ちたような表情に名前が途切れる。身体の右側に衝撃を感じた。御剣の拳がぼくのすぐ横の壁を殴ったのだ。驚いて逃げようとした身体を、左側にも腕をつかれて退路を失う。
 腕と腕の間に閉じ込められる格好と無遠慮に近付く距離に、息を飲んで相手を見た。
「!……ん、ん!」
 一瞬、自分が何をされたのかわからなかった。
 叫ぼうと動かした舌が御剣の舌に絡めとられ、その感触に目を見開く。距離を取ろうと相手の胸を押すのに、信じられない力で抱きすくめられてぼくは呆気なく口内へと御剣の侵入を許した。
「んっ、む…」
 なぜか御剣の口の中はからからに渇いている気がした。御剣の吐息だけが頭の中で大きく響く。舌を吸い、唇を噛まれて。行動自体は乱暴なのに唇と舌で行われるそれはとても繊細で、ぼくはぎゅっと目をつぶってそれを受け止めていた。
 ただでさえ、地上から浮いたこの場所では足元が頼りない。その上突然の口付けを受け、頭の芯がぐらぐらと揺れてしまう。うまく抵抗ができない。
 その時ふいに、御剣の指がネクタイの結び目にかかった。引っ張られ乱されたことにぼくの理性がはっきりと覚醒した。
「や、やめろ!」
 渾身の力で相手を突き飛ばす。御剣がよろめいて反対側の壁に背をつけた。ゴォン、と重い音を立てて箱が静止する。ぱっくりと開いた扉に一瞬で我に返り、その先へと視線を走らす。幸運にもエレベータの到着を待ってる人はいなかった。
 ほっとしてしゃがみ込む。乱暴に触れられた唇を手の甲で拭いながら、足元に落ちていた鞄と散乱していた書類を拾い集めた。
「最後だ」
 頭上から、ぽつりと。声が落ちてきた。
「……?」
 意味がわからず顔を上げる。御剣がぼくに突き飛ばされたまま壁に背をつき、呟いた。
「全て、終わりだ」
 御剣の目は開いているのに、ここではないどこかを見ているようだった。問い掛けようと口を開いた。けれど、ぼくが言葉を発する前に御剣はその場を去っていった。御剣が降りたところでエレベータは再度扉を閉めた。
 四方を壁に囲まれた狭い場所で、ぼくは動けなかった。
 漠然とした不安だけがぼくの胸に渦巻いていた。






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