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一体いつまで続くのだろう。


ぼんやりと考える。
後ろ手に縄で拘束された腕は長時間同じ姿勢を繰り返したおかげか、痺れて何の痛みも感じない。
息を吸い込もうとすると喉に何かが引っかかって咳が出そうになる。
唇の周りにこびり付く、他人の白く乾いた精液が呼吸の邪魔をしているのだろう。 空腹も疲労も極限に達している。
予定された裁判は明日。
しかしこの状態では何も考えることができなかった。真宵ちゃんを里に帰したのは失敗だった。
彼女さえいてくれたら、ぼくはこの場所から逃れることができるのに。

「……ああ、そうだ。証人には私から言っておく。…では失礼する」

耳に届いた会話も、ほとんど意味が理解できない。
ぼんやりとした視線を送るぼくに気がつき、御剣は携帯電話を片手にして微笑んだ。

「なんだ、食事か?まだ早いぞ」

まるで飼い犬に対するような物言いで御剣はぼくをたしなめた。
怒りとか屈辱もあったはずなのに、ぼくは何も言い返すことができない。
唇を動かすとからからに渇いた喉から息だけが零れ落ちた。
痛む肺に耐えゆっくりと息を吐き、吸うことを数回繰り返した後。

「御剣……」

ぼくは彼の名を呼んだ。何年間も目標として追い求めていた相手の名を。
検事として今を生きる御剣は、監禁したぼくの目の前で不正を繰り返した。
携帯電話を使い、刑事と連絡を取り。
事件を裏で操り、無実の人間を陥れる手順を完璧に作り出していく。
弁護士のぼくに見せ付けるように何度も何度も。
俯いた横顔、神経質そうに歪む眉、青白く整った顔。確かに面影はあるのに。
目の前にいる男は全くの別人なのだろうか?
ぼくは御剣の行動をこの目で見てきたにも関わらず、どうしてもその目の前の事実を認めることができなかった。

「御剣……ぼくは、君に救われたんだよ」

弱々しく吐き出したぼくの言葉に御剣は片眉をほんの少し動かしただけだった。

目を閉じても閉じなくても、あの時の光景ははっきりと思い出すことができる。
何もかもが自分を見捨てたと思った。全てに見放された、孤独の瞬間。
それをたった一言で壊したのは御剣怜侍という存在。
今やっと目の前に彼がいるのに。

「あの時の君を目指してきたんだ。君を、君をずっとぼくは」
「何のことだ」

訴えるぼくの言葉は冷たく遮られる。
何度聞いても彼は覚えてないと言う。あの時の出来事を。 弁護士としてぼくを救ったあの日のことを。
胸が痛い。身体が痛い。もう、何もかもが痛い。
苦痛に顔を歪めるぼくを御剣は冷徹な顔で見下していた。
ぼくは縋るような思いで一言だけ問い掛ける。

「父親の顔に泥を塗るようなことをして……君は恥ずかしくないのか?」

数分後。
しんと静まり返った事務所に響いたのは、ぼくが息を飲む音。
今まで凍りつき動くことのなかった御剣の瞳が激しい怒りの念を持ってぼくを睨みつけていた。
ぼくが父親のことを口にした瞬間に。
そのあからさまな感情に身体が強張る。ぼんやりと霞がかった脳が次第に覚醒していく。
言い様のない恐怖によって。
逃げれるわけがないとわかっていたのにも関わらずぼくは、座り込んだまま身体を左右に動かす。
暴れだしたぼくに、同じように屈み膝を床についた御剣が迫ってきた。
殴られるのかと思い、思わず身を竦め硬くした瞬間に。

───

御剣の視線がふいに止まった。
ぼくもつられて御剣の視線の先を追う。彼が見つめていたのはぼくの青い胸元に輝く弁護士バッジだった。
公平と平等、自由と正義を象徴するもの。今の、検事の御剣とはまるで正反対に位置するもの。

「………」

静かに御剣の唇が動く。ぼくはそれを瞬きもせずに見ていた。

どうして。

そう動いたように見えた。ぼくはその言葉の意味を探ろうと御剣の瞳に視線を移動させる。
御剣の顔は驚くほど真っ白だった。ただ表情を失くし、ぼくの胸元を凝視する。
しばらくして感情のない瞳がゆらりと動き、覗き込むぼくを捕らえる。そして御剣は再度唇を動かした。
声にならない言葉がぼくの元に届く。
どうして君が。───どうして君がそれをつけているのだ、と。
私はそれを手に入れられなかったのに。

「御剣……っ!」

御剣の視線と腕がぼくの首に移動した。そしてきつく絞められる。
驚いたぼくは足をばたつかせて身体を激しく揺らす。抵抗されたことに余計怒りを煽られたのだろうか、耳元で舌打ちが聞こえた。
赤いネクタイが御剣の右手に乱暴に引っ張られた。首が絞まり、息苦しさに抵抗する力が弱まる。

「……御剣ッ!?」

ぼくの声は隠しようもないくらいに怯え、震えていた。
御剣の行動が、
考えが、意図がわからない。全てがわからない。 あの頃の彼がどうしてここまで歪んでしまったのか。
怒りを隠しもしないで睨みつける瞳はあの九歳の時とは違いすぎている。
確かにいつも笑っていたという記憶はないけれど、こんなにも冷たい視線で見つめられた記憶はなかった。

そして。
激しい怒りと憎しみがその視線の中に込められているのに、ぼくにはなぜかそれが怯えているように見える。
それが一番不思議だった。
まるで何かを必死に抱え込んで離そうとしない、泣きそうになる寸前で泣き出すのを堪えているような御剣の顔。
理由を考えようとすればするほど、疑問は次々と溢れて絡まっていく。
問い掛けようとしても何から尋ねるべきなのかわからない。

ぼくは肩を強く掴まれたまま、無言で御剣の次の行動を待つことしかできなかった。
しばらくして、御剣も無言のまま顔を俯かせた。
顔の横の髪が御剣の頬を音もなく滑り、その表情を全て隠す。
何かと思い、ぼくは首を傾げて御剣の様子を窺おうとした。

「成歩堂……」

薄い黒色の髪の隙間から零れる声。
弁護士という呼び名以外で彼にそう呼ばれたのは、再会して初めてのことだ。それはとても苦しげで、切なげで。
聞いたことのない、まるで子供のままの御剣の声。
それが耳に届いた途端、様々な感情がこみ上げてぼくの胸を圧迫させた。
───何かが御剣を苦しめているのだ。
御剣はただそれに抗えずに怯えているだけなのだ、と自分の中で結論付け、声を掛けようとしたその時。

「君の理想とする人物が君に何をするか……その目で見るがいい」

御剣は言葉と共に笑った。口角をすっと上に持ち上げ、けれども瞳の奥は冷め切ったままで。
その恐ろしく整った笑顔のまま御剣は腕をぼくの方に向けた。
ただそれだけの仕草なのに言い様のないものに威圧されて、ぼくは何も言えなくなってしまう。
右手が伸ばされたと思ったら、また下に降ろされる。
ほっとして息を吐き出したのもつかの間で、ぼくはまたぎくりと身体を揺らした。
下着の中に手を差し入れ、性器には触れずに。
御剣の指は今まで触れたことのない、さらなる奥へと進み始めた。

「……あ、あっ!」

無遠慮な侵入に短い悲鳴が漏れる。肉をこじ開けるようにして御剣の中指がぼくに入る。
ぼくの意思と同様にそこは閉じきっていて、御剣の指を受け入れることは出来なかった。
それでも御剣は中に指を突き入れる。
ゆっくりとじわじわと、他人が身体の中に入り込んでいく感覚。
何とも言えない違和感に身体が揺れる。背中が仰け反る。

「痛い、痛…ッ!…いた、い…」

何度そう言って訴えても御剣の指は止まらなかった。
御剣の指は内壁を探るように何度も場所を変えて奥に、さらに奥へと進んでいく。
広げられる度に腹部を圧迫されて息が詰まる。押して引かれる度に濡れた音が耳に響く。

もう何もかもが嫌だった。こんなことをする御剣も、こんなことをされる自分自身も。

抵抗する力も無くした身体が床に倒れこんだ。その上に御剣の身体が覆いかぶさってくる。
両腕を拘束されたまま床に転がされ、片足だけを高く持ち上げられる。
抵抗する間もなく下だけ衣類を引き剥がされ。 そのまま性急に貫かれて息が止まるかと思った。

───ッ、う、あ…っ!!」

元々何かを受け入れる場所ではないのに、乱暴に捻りこまれる熱の杭。
しかしそれは侵入だけでは済まなかった。
固い床に頬を擦り付け、激しい痛みに必死で堪えようとしていたぼくを次に襲ったのは前後の動き。
御剣のものが這入りこんではまた、引き抜かれる。

「あッ、ああっ、や、め、……あッ!」

全身が震えるほど奥に打ち付けられた後、中が擦り切れそうなくらいに退く。
出して、入って、また出して。
その度に痛くて痛くて堪らなくて、ちゃんとした言葉も発することができない。
それでも終わり無く繰り返される激しい動き。
揺さ振られるたびに零れ落ちる声は、次第に苦痛も嫌悪も表さなくなっていく。
律動に揺れた身体が声帯を震わせて声になっているだけ。
ただでさえ衰弱していた身体に激しい仕打ちを受け、ぼくの頭はもう現実に耐えることができなかった。
理性を本能に受け渡す。内部を荒らす他人の熱に、もう抗うことすらできない。
されるがままになったぼくを御剣は無言のまま抱いていた。


遠のいていく意識の中でぼくは聞いた。御剣の声を。
苦悩した、聞いたことのない、とても悲しい告白を。


「誰よりも尊敬する父親を……撃ち殺したのだよ。私の、この手は……」


その言葉ははっきりと聞き取ることができなかった。

きっと嘘か、ぼくの聞き間違いなんだろう。本当なわけがない。
御剣が誰かを殺したなんて、そんなことが。
本当なわけがない。








数時間後、ぼくは事務所のソファに寝かされていた。
腕を拘束していた縄は消え、閉ざされていたブラインドも全て上げられていた。
御剣が起こした不正を連ねた書類も消え、何もかもが無くなっていた。
その後、予定していた裁判の被告人が突然不起訴になったと連絡が入った。
夢かと思った。
御剣がぼくにしたことも、ぼくに言ったことも何もかも全部。
嘘なんだと思った。


しかし、数日後。
ある事件が現実に起こり、ぼくの耳に入る事となる。






「今朝がた、ひょうたん湖から男性の死体が見つかった事件で警視庁は逮捕した容疑者の氏名を発表しました。
  容疑者の名前はミツルギ・レイジ、24才。ミツルギは、将来を約束された有名な若手検事でした。
  その彼が、なぜ殺人を?……日本中の注目を集めています」
 




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1-3・1-4の間に妄想を挟みこんでみました。
1-5の存在を知らない時に書いたので、えっらい矛盾を生んでますけどコレ。

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