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「そろそろか?……成歩堂弁護士」

その低い問い掛けに顔を上げる気力もない。
ぼくは俯いたまま息を吐き出す。吐き出した息が暗い事務所に響き渡った。
ブラインドを全て降ろされ、人工的に闇を作り出したその部屋にいるのはぼくともう一人。
視界の隅に映っていた黒い靴がふいに動いた。息をのむ間もなく、次に赤い色が視界に飛び込んでくる。
そして最後に。

「……っ」
「そろそろ、考えを改めたらどうだ?」

冷たい双眸に射抜かれて身体が強張る。
恐怖を感じ後ずさろうとするものの、背中にはデスクが当たっていて逃げることが出来ない。
少しでも身体を捻るだけで縄が両手首に食い込む。
後ろ手に拘束されて床に座り込んでいるぼくを見つめ、御剣は愉快そうに笑った。
自分の膝を床について視線の高さをぼくと合わせてくる。

「強情な男だな」
「……っ、いやだ…ッ!!」

口をついた言葉はまるで悲鳴のようだった。
閉じようとした足は瞬時に阻まれる。御剣の指は止まることなくぼくの中心に触れた。
すでに乱れていた衣類の隙間から指が侵入し、直接肌に触れた。その冷たい感触に全身が総毛立つ。
逃げようと暴れるぼくの腿を御剣は足と身体を使って封じ込める。
背中と置いてある机がぶつかり合いガタガタと音を立てていた。

───!…さ、触るな…!」

ぼくの言葉は無視され、御剣は指と手のひらを使ってゆっくりとぼくのものをしごき始める。
長く白い指が上下に動く様を、ぼくはただ唇を噛み締めて見ていることしかできなかった。
先端まで進んではまた根元まで戻される。
先の割れた部分に親指を強く押し当てられて、身体が跳ね上がる。
痛みのような快感のような。もう何もかもがぐちゃぐちゃになっている感覚。

「……っ、…クッ、……ッ!」

身体の奥から湧き上がる、何とも言えない波を目を閉じて必死に堪える。
どんなに激しく、そして甘い快感を与えられてもそれに屈することはできない。
それはぼくの男の自尊心もあったし、そして何よりも。

「どうだ…?つらいのだろう?……私の言う事を聞くか?」

上半身を傾けた御剣がぼくの耳元で囁いた。
脅す言葉なのにその口調は明らかに甘い。
耳の端に吐息がわずかに触れぼくが身体を固くした途端、舌先で弄られる。
上は濡れた舌と生ぬるい息で耳朶を、下は冷たい指で隆起したものを。
絶えることなく繰り返し攻められて。守ろうと必死に抱えていたものは次第に零れ落ちていく。

───成歩堂弁護士」

低い声が容赦なくぼくの耳を詰り、視界が白け始める。限界が近い。
ぼくは噛み締めていた唇を解放し、それと同時に叫んだ。

「嫌……だ、駄目だ…っ!」

追い詰められたぼくの口から零れたのは相手に許しを請う言葉ではなく、命令を拒否するものだった。
首を激しく振って拒む。ぼくが投げ捨てたのは自尊心だけだ。───御剣の言う事だけは絶対に聞けない。

「……馬鹿な男だ」

呆れたような、どこか安堵したような。一言では表現しきれない御剣の呟きが耳に届いた。
と、同時に指の動きがさらに激しくなる。
御剣の様子を窺う余裕もなく、ぼくは奴の手のひらの中に精液を吐き出した。






英都撮影所で起こった事件の後、またぼくは御剣と裁判で対面することとなった。
知り合ったばかりの真宵ちゃんに協力してもらって、走り回ること数週間。
ぼくはあることに気がついた。
行く先々で先回りされているような奇妙な感覚。
昨日まではにこやかだった人が、一変して頑なにぼくを避ける。
あったはずの証拠品が、法廷記録に残す前に跡形もなく消えてしまう。
埋もれた真実を目指すぼくが、その歪みに気がついたのは事件を調べ始めて数日たった頃だった。
見えない糸を引くように裏で事件を操作する人物がいる。
法廷記録は全てが不自然なままに歪み、ただ被告の有罪だけを示していた。
こんなことをするのはたった一人しかいない。
異常なまでに犯罪を憎み、受け持った裁判を全て有罪判決で終わらせる男。

御剣怜侍という男。






「裁判は五日後だ。その日までずっと、ここに閉じ篭る気か?」

事務所の主であるぼくを差し置いて、手を清めた御剣は所長室の大きな椅子に腰掛けて優雅に微笑んだ。
ぼくは荒い息を吐き出しながら御剣を睨みつける。何度も何度も性器を弄ばれ、呼吸が整わない。
床に座り込んだまま衣類を乱され下半身を白く汚すぼくの姿を御剣は冷たい目で見つめる。
ぼくという人間全てを見下すような視線が痛かった。───こんな風にしたのは他でもない自分なのに。

「いい加減つらいだろう?……君はただ書類の場所を私に教えるだけでいいのだぞ?」

御剣の口調はあくまで優しげだ。
優雅な物言いで相手を圧倒し、萎縮させ、ねじ伏せる。これが天才検事と名高い御剣怜侍の方法なんだ。
けれども、そんなものに屈するわけにはいかない。

「ぼくがあの書類を提出すれば君の不正が法廷で暴かれることになるからな」

ぼくは低い声で御剣の言葉を遮ると、御剣が視線を持ち上げた。
その神経質そうな整った顔は、確かにぼくの記憶の中の御剣怜侍と重なる。
あの日あの時、涙でぼやけたぼくの視界の中で真実に向かって指を差し示した姿と。
細められた瞳にぼくの姿は映っていない。ぼくはその濁った瞳に静かに問い掛ける。

「……御剣、忘れたはずがないだろ?君が九歳の頃、何になりたがっていたか」

ずっと無表情だった御剣の顔がその時やっと崩れた。
ぼくはその変化した、ほんの少しの隙に付け入るように口調を強める。

「ぼくが何のために弁護士になったか、わかるだろ?」

ぼくが何のためにずっと手紙を送っていたのか。
ぼくが何のために弁護席に立ち、相対する御剣から無罪判決をもぎ取ってみせたのか。

「こんな汚いことをする理由はなんだ?何が一体、君にそうさせているんだ?」

ぼくはやっとこの質問を御剣にする事が出来た。

ずっとずっとこれを聞きたかったのだ、ぼくは。
あの頃あんなにも真っ直ぐに弁護士を目指していた御剣が。あんなにも堂々と正義を貫いていた御剣が。
どうして検事に、そして黒い噂を立てられる程になってしまったのか。
何かそうせざるを得ない理由があるのではないのか。
そうに違いない。御剣はこんなことが平気でできる人間じゃない。

ぼくは唇をかみ締めて正面に立つ男を見つめた。心の中で必死に、何かを祈りながら。

「………」

息を詰めて御剣の答えを待つぼくに、御剣はふっと笑ってみせた。そして口を開く。

「私は自分の意志で行動しているだけだ」
「!」

その答えに目の前が真っ暗になった。

「言ったはずだ。被告人を全て有罪にするのが私のルールだ。それが私のやり方なのだよ、弁護人」

全く悪びれることなく、御剣はそう言って笑った。ぼくをあざ笑うような表情で。
彼は認めたのだ。
新聞に書かれた黒い噂はやはり真実であったと。
ぼくがどんなに認めたくなくても彼自身が認めたのだ。
自分の大切なものが踏みにじられたような失望感を感じ、目の前の男がただ許せなくて腹が立った。

「私の言うことを聞く気はないということだな。……残念だ、成歩堂弁護士」

御剣は胸ポケットを探り、取り出した懐中時計を神経質そうに見つめる。
パチンと音を立てそれを閉じた後、ぼくにまた顔を向けた。背筋が凍りつくような笑みを浮かべて。

「もうしばらくここにいるがいい」

そしてそう告げる。 睨みつけるぼくの元に歩み寄り、立ったまま腕を組んで見下ろしてくる。
色が白く抜けるほど噛み締めたぼくの唇に視線を留めると、唇を歪めて微笑んだ。

───っ!!」

突然髪を掴まれ痛みに顔が引きつる。
乱暴に上を向かされたぼくの目に映ったのは、残酷な笑みを浮かべる級友の姿。

「食事の時間だ」

低い声と共に、ぼくの口の中に濡れた熱い塊が捻りこまれた。


 


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