「成歩堂」
呼びかける声に答えはなく、そのまま揺らめく水面へと沈んでしまった。
「成歩堂」
「なに」
口調を若干強くしてもう一度呼ぶと成歩堂はようやく答えた。
湖の中心までボートを運んだ後、成歩堂は漕ぐという行為にすっかり飽きてしまったらしい。
憮然とする私に二本のオールを押し付けると、右手だけをボートの外に落として水を触って遊び始めた。
湖面を撫でては音を立てて指で水を弾く。
冷たくないのかと問い掛けるよりも私は、成歩堂が水を触ろうと動く度に傾くボートが怖くて仕方がなかった。
「あまり動くな。揺れると……その、怖い」
「御剣」
オールを握る私の手に突然、手が重ねられた。
驚いて何も言えずにいると、オールから無理に引き剥がされた手が成歩堂の口元へと連れて行かれる。
人差し指に当たるのは唇の感触。
瞬きを忘れた私の目の前で彼は私の指先になだめる様に優しくキスをした。
「ぼくが一緒にいるのに?」
成歩堂は首を傾げると口の端を持ち上げて悪戯っぽく笑う。アルコールによって頬を赤く染めた顔で。
その誘うような、挑むような口ぶりに思わずどきりとした。
何も言わずにいる私から視線を外すと成歩堂はまた右手を水に浸し湖面と戯れ始めた。
(全く……アルコールというものは)
もう何度も繰り返した悪態を再び心の中だけでつく。
成歩堂は気付いていない。
普段、私がどれだけ彼との接触を避けているのかを。
私たちは男女とは違う。関係を結ぶにしても、受け入れる側の成歩堂の身体の負担は大きい。
それに、一度たがが外れてしまうと限界を超すまで求めてしまう自分を知っているからだ。
だからこそ不用意に彼に触れる行為は避けてきた。それを知ってか、それとも行為の代償を恐れているのか……
成歩堂から私に触れる事も普段、あまりしてこない。
だからこそ。
彼がふと見せる、色を出した仕草や言葉に私がどれだけ煽られるのか。
成歩堂は全くわかっていない。
「御剣?」
成歩堂は全く表情を変えずに首を傾げた。
湖面の上とはいえ二人きり。闇の中で間近に向き合う空気と、先程口付けられた指先と。
それらに煽られてじわじわと欲望が頭をもたげ始める。─── こんな場所で欲情している場合ではない。
「……戻るぞ」
私は短くそう告げると俯き、両手に力を込めた。
そして、早くこの不安定な時間を終わらせようと必死にボートを漕ぎ始めた。
ぎぃぎぃとオールの軋む音が湖に響き、しばらくして。
「あ、ヒョッシー」
「ム?」
成歩堂の声が聞こえた。視線を彼に向けようと顔を振り向かせた瞬間。
「!!」
目を大きく見開いた私を見て成歩堂は唇をにやりと歪ませる。
いつのまにか彼の身体は距離を詰め、唇は私のすぐ鼻先にまで迫っていた。
気付けば丸く黒く輝く瞳が私を真正面から捕らえていた。そして成歩堂の手のひらと指は。
「……何を考えているのだ、貴様は」
「いやいや、本当にいたんだなぁと思って。……ヒョッシーが」
冗談とも本気ともつかない表情で成歩堂はそう呟くと右の手に力を込める。
私の二本の足の中心に置いた手に。
布の上からとはいうものの敏感な部分に他人の体温が触れ、思わず身体が反応してしまう。
無表情を装い間近に対面する成歩堂の顔を睨みつける。
「早く酔いを醒ましたまえ」
「だって…」
幼い様子で成歩堂は言う。成人男性がそのように幼く拗ねる姿など、普通なら気色の悪いものだが。
成歩堂の全てに惚れ込んでいる私にとってそれは、反則のような行動。
可愛いと思うな可愛いと思うなと自分に強く言い聞かせ、さらにきつく睨もうとした時。
「こんなになってるのに」
ふいに成歩堂の顔が視界から消えた。制止する前に彼は身体を屈め、私の下半身へと顔を埋める。
ぐらっと世界が揺れた気がした。その間にチャックが下ろされる。抵抗する間もなく……
「!」
布と布の狭い場所から何か生暖かいものが侵入してきた。何かがそこをぬっとなぞる。
と同時に、背中を這い上がるような感覚が私を襲った。
その時、私は、初めて理性の切れる瞬間を経験した。
「いでっ…!!」
成歩堂の悲鳴が上がる。
私が自分の上半身を彼に添わせるようにして屈ませると、成歩堂の身体はそれに押されて後ろに傾く。
そして彼は尻餅をついた形でそのままボートの底に倒れこんでしまった。
起き上がろうと伸ばされた手に自分の手のひらを当て、目を丸くする成歩堂を覗き込む。
酔いで焦点の合ってなかった黒目がさらに、動揺したようにぐるぐると狭い白目の中を動き回っていた。
その様子に私は小さく笑いを零す。
「背中が痛いか?…では、君が上になるか」
軽く額に口付けた私に成歩堂は目を見開いた。再度口付けようとした私の顔を手のひらで押し返す。
「ちょっ…ちょっと待てよ!こんな所でなにする気だよ!!」
危ないじゃないか!と成歩堂は声も潜めずに抗議する。ボートの底に横たわったまま。
私は意地悪い微笑みを浮かべ彼の耳元でこう呟いてやった。
「君から誘ったのだろう……?」
「なっ、…いやいや、あれは冗談……」
「しかし」
わざと視線を下に落とす。成歩堂が小さく息を飲んだのがわかった。
私は目を伏せ、悲しげなため息をついた後。視線をある場所に移動させる。
無防備な成歩堂の身体にすっと手を伸ばし。
「こんなになってるのに」
「!!!!」
衣類の上から股間を押され成歩堂は声もなく驚く。
落としていた視線を持ち上げ彼に戻すと、私は優雅に微笑んでみせた。
成歩堂の黒目が一点に落ち着き、わずかに潤み始める。
私は彼の瞳を見つめたまま手のひらを動かして彼の下半身を愛撫し始めた。
そしてそれは次第に張り詰め、確かな硬度を返す。
「バカ御剣……」
まるで喘ぐように、成歩堂は息だけで私を罵る。
それに答えるように手に力を込めると成歩堂の背は大きく仰け反り、普段は隠れている首筋が露わになる。
私はその部分に誘われるまま唇を寄せた。
「…ふ、…ッ」
とても小さな声で成歩堂は喘ぐ。
びくりと身体が揺れる度に背中と底が擦れて、成歩堂は目を閉じたまま眉をしかめた。
「うわっ!」
それに気付いた私は彼の二の腕を掴み引き起こす。
そして今度は代わりに自分の上半身をボートの底に倒した。自分の腰の上に成歩堂を乗せて私は微笑む。
「これならば背中を痛める事もないし、外から何をしているかも見えないだろう」
「いやいやいや、御剣が見えなくてもぼくの上半身は見えてるわけだし……」
「では私に抱きつくといい」
困ったように眉を寄せて突っ込む成歩堂の腕を掴み、自分の胸元へと引き寄せて抱きしめた。
こうすれば外から二人の姿は見えない。最も、冬の夜の公園に訪れる人間は滅多にいないとは思うが。
そして私は彼の腰のベルトを外し始めた。
「御剣、馬鹿っ……やめろってば!」
私の身体に乗せられた状態で成歩堂が暴れた。と同時に激しく揺れるボート。
水と木の底とがぶつかってばしゃりと大きな音を立てた。
驚きに固まった成歩堂の衣服を少しだけ降ろし、まだ柔らかい感触を握り締めその温度を楽しむように優しく扱く。
「ちょ……み、つるぎっ…」
成歩堂はその愛撫にぶるぶると二三度首を振っただけで、立ち上がって逃れようとはしなかった。
俯き、目を閉じてそれに耐える。────素直な男だ。本当に、可愛らしい。
緩んだ唇と表情で上に乗せた彼の様子を観察していた私に気がつくと、成歩堂はこのスケベ!と
怒鳴って頬を叩いてきた。そのお返しにと、先端を二本の指でぎゅっと摘む。
短い息を吐いて成歩堂は喘いだ。
邪魔な衣服を彼の下半身から取り払うと、私はここが湖の上だということも忘れて彼のものを夢中で愛撫した。
右手で成歩堂のものを扱き、左手で自分のものを握り締め。
「あ……みつるぎ、駄目だって、こん、な…っ」
脳裏にこびり付いていた理性も目の前の成歩堂によって霞がかっていく。
はぁ、と苦しげに息をついて目を閉じ眉をしかめて襲いくる波に耐える。
拒否の言葉の間に時々私の名を挟み、弱く喘いで。
指の腹をぬるぬるとした液体が汚し始めた。それは自分と成歩堂の。
瞬間、世界が白ける。
「……ッ、う…」
奥歯を噛んで激しい快楽に耐えた。
吐精しながら荒い息をつき、私は成歩堂を見上げた。
今だ達していない彼は私のグレーのコートにしがみ付いて俯いていた。
その様子に情欲は治まるどころかさらに激しく煽られて。
「!……何、御剣、もうっ…」
「暴れるな。───ボートが揺れる」
自分の吐き出した精液を指につけ、彼の後ろへと塗りつけた。
傷つけないよう爪ではなく指で丹念に解し始める。しばらく数本の指で奥を探った後。
わずかに腰を持ち上げさせて。
「う─── ……アッ!」
再び硬く成長したものに手を添えて、彼の中に自分を下方から差し入れる。
挿入された他人の熱に成歩堂は上ずった声を上げた。両膝をボートの床について背中をびくびくと揺らす。
重心が移動し、派手な水音を発しながら左右に揺れる狭い水の上の世界。
「……大丈夫だ。怖がるな、成歩堂」
「…っ」
なだめる様に声を掛けると成歩堂は首を振った。
その仕草でまた深く飲み込む事になってしまい、成歩堂は歯を食いしばって私に掴まる。
「動くぞ……」
根元まで入ったことを確認すると、私はそう呟いてゆっくりと腰を動かす。
「あ、あ、…っ、…あぁ…っ」
手の届かない場所まで捻じ込んではまた、引く。繰り返し繰り返し、同じ動作を何度も何度も。
成歩堂はその動きに途切れ途切れの声を上げつつ揺さぶられる。
湖面の上でバランスを保たなければならないためにいつものように激しく動く事ができない。
浅くて緩やかで、奥まで挿し込まれないその動きにもどかしさを感じたのか。
気付けば成歩堂の腰もわずかだが前後に動いている。それを見て私は意地悪く問い掛けた。
「どうだ、私のヒョッシーは」
「…ば、バカじゃないかお前…っ」
私の台詞に成歩堂は息を吐き出しながら笑った。しかし、腰を揺すると笑いはすぐに艶かしい喘ぎに変わる。
頼りなく揺れるボートのリズムに合わせるようにして、再度成歩堂の身体を揺り動かす。
ぎし、ぎし、とゆっくりとボートが軋む。
ばちゃばちゃという水が忙しなくぶつかる音。
夢中になればなる程お互いの動きは大きくなり、闇に響く派手な音の中でも理性はすぐに飛んで行ってしまう。
射精を堪えるために、私はふいに動きを止めた。
首に唇を寄せ、目を閉じていた成歩堂に目がいった。
私の視線に気付き、成歩堂は顔をゆっくりと上げる。その瞳はどこかうつろに私を見返していた。
内側を何度となく突かれ、中を擦られる快感に意識がはっきりとしていないのだろう。
その表情はどことなく色気があってぞくりとした欲望が半身を通り抜ける。
「そんな顔で見ないでくれ。……激しくしたくなる」
「ば、なに言って…ッ!」
くすりと微笑んでそう言ってやると、成歩堂も我に返り非難の声を上げた。
私はそれに言葉では答えず、代わりに激しい突き上げを与えた。
「ひ、ぁッ!……あっ、あっ、あ…!んっ!」
ぐちっぐちっといやらしい音が水音に混じって聞こえる。
成歩堂はそれを恥じて身を捩ろうとしたが、下からの突き上げにあっさりと阻まれた。
私の両肩に手のひらを当て、その上半身を必死に支える。
しかし激しい突き上げによっていつの間にかそれは剥がれ、彼の上半身が私の上に倒れてきた。
重みを受け、さらに食い込む熱の棒。深く繋がる身体と身体。成歩堂はそれに小さく悲鳴を上げた。
耳元に触れた吐息に熱を煽られて私は動きを激しくさせる。
私を中心に受け入れる二つの肉を掴み乱暴に上下させた。その動きにぐらぐらと背中が揺れた。
「みつるぎ、あぶな、っ……怖い、って……アッ」
身体を固くして成歩堂は私にしがみ付く。
安定の悪い場所で犯され、全身が強張っているのだろう。いつもよりもきつく私を強く締めつける。
怖い、と小さく囁いた後。成歩堂は私の胸に額を押し当てる。私は腕を回して彼の身体を抱く。
不安定な場所に置かれている事を忘れようと、私は無心に腰を動かした。
成歩堂もわずかだが腰を動かし、快楽に没頭しようとしているようだった。
自分たちが動く事でボートが激しく揺れてしまうのをわかっていても、止められなかった。
揺れる恐怖と、繋がる相手の熱と、息と、二人を囲む闇と暗くて見えない水と。
全てが混じり合い、激しい快感の波に意識の全てが遠くに飛ばされていった。
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