top>うら> 瓢箪湖未確認生物目撃奇談

 

 
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「……大丈夫か?」

自分の胸元で上下するギザギザの髪にそう問い掛ける。
しかし返ってきたのは苦しげな呻き声だけだった。
しばらくしてわずかに身動きする彼の身体。

「大丈夫……」

じゃない、と付け加えて成歩堂は沈黙した。
ぜいぜいと息を吐き出すその背中を撫でてやり、私は彼の呼吸が落ち着くのを待った。

「降りれるか?」
「ううう……」

両腕で彼の身体を支える。それでも成歩堂は私の上から降りることができないようだった。
私はゆっくりと自分の上半身を持ち上げ、彼の背中に自分の腕を回す。
抜かずにいたため成歩堂の表情が痛みでほんの少し歪む。
自分の腰の上に乗せたまま子供を抱えるような格好で抱きしめると、もう一度背中を撫でてやった。
小さく息を吐いて成歩堂が呟く。

「汚しちゃったな……」
「ム、仕方がない。……おとなしくしていろ、私がする」

彼の呼吸が整うまで、とりあえず私は全身をうまく使えない彼の代わりに後始末をし始めた。
持っていたハンカチで成歩堂の汚れた下肢を拭ってやる。
成歩堂はぼんやりとしたまま私にしがみ付いていた。と、思ったら。

「みつるぎー」
「ム?」

能天気な声で呼ばれた。俯かせていた顔を上げると成歩堂がとろんとした表情でボートの外を指す。
そして唐突にこう言った。

「水が赤い」

確かに、成歩堂の指差した湖面が赤い。

───
しばらく、それを見つめる内に。

きらきらと反射する湖面ではなく、当たる光が赤いという事に気がついた私ははっと顔を岸の方へと向ける。
それと、一台のパトカーが止まるのとはほぼ同時のことだった。
遠くで車の扉が閉まる音が聞こえる。パトカーからバラバラと飛び出してきたのは数人の人影。
それは誰なのか遠目からでもわかる。見慣れた茶色のコート、装束と妙な髪形に結った少女。
成歩堂の身体を抱きしめたまま慌ててコートのポケットを探り携帯電話を取り出す。
音を消していたため気がつかなかったが、同じ人物からの着信がディスプレイに何度も刻まれていた。
その時、タイミングよく手に持っている携帯電話がブルブルと震え始めた。
素早くボタンを押して会話を開始させる。

『御剣かぁ?おめぇ、電話くらい出ろよ!』

相変わらず頭の悪そうな間延びした声が携帯電話から零れ落ちてくる。
目を凝らして岸を見ると、ひょろりとした細い人影がこちらに向かって手を振っていた。

『何度かけてもでねぇからよぉ。ヒョッシーに食われちまったかと思ったんだぜ?』

まだそんな馬鹿な事を言っているのか、と突っ込もうとしてやめる。今はそんなことよりも。

「……何の騒ぎだ。パトカーが来ている様に見えるが?」
『御剣と成歩堂は電話に出ねぇし、ボートは見えてもおめぇらの姿は見えないし、ヒョッシーは見つからないしよ。
  心配になった俺は、なんだ、御剣のシャテイの……ノコギリ刑事?と真宵ちゃんを呼んでやったわけ』
───

言いたい事が一度に喉に迫り、私は絶句した。
その次に矢張は変わらずの軽い口調で質問をぶつける。

『でもお前ら、何でボートの上で抱き合ってんだ?』

私は成歩堂の身体を自分の腰の上に乗せ、左手で彼を抱きしめたまま沈黙した。
成歩堂は状況が全くわかっていない様子で私の背中に腕を回し、おとなしくしていた。
下半身を露出させたまま、二人深く繋がったまま。
ぐるぐると様々な言葉が頭の中を駆け巡る。
言い訳を、何かいい言い訳を……その命令が自分の胸と喉を激しく叩く。
そしてようやく口をついて出てきた言葉は。

「……ヒョッシー」
『は?』
「ヒョッシーが……そう、ヒョッシーが出たのだ。それが怖くてだな、成歩堂と抱き合っているのだ」

自分で言ってて馬鹿ではないか、と心底思った。
でも、これの他にどんな言い訳ができただろう。───狭いボートの上で男同士できつく抱き合っている理由など。
そのすぐ後に。

『御剣検事ィィ!!大丈夫ッスか!!…自分が来たからには……あ、何するッスか!…ちょっとイトノコさん、
  あたしにもしゃべらせてよ!…なるほどくん、なるほどくん、ヒョッシーに会ったの!?あたしも見たい!』

携帯電話から二人の人間の声が混線して耳に届いてきた。私は呆気に取られつつ岸を見つめる。
大きな人影と小さな人影がひとつの携帯電話を取り合いしているのが見えた。
ぎゃあぎゃあと騒ぐ声に頭痛を感じた私はそのままボタンを押して通話を終了させた。
そして自分の上に乗せた成歩堂と向き合った。
成歩堂は黒目を私の顔に向け、何もわかっていないという表情で見つめ返してくる。

「成歩堂……」
「なにー?抜くの嫌なのか?ほんとスケベだよなぁ、御剣は」

へらへらと笑う成歩堂に更なる頭痛を感じた。
アルコールを大量に摂取した後、その身に欲望を受け入れさせられ成歩堂の身体の力は抜け切っていた。
無駄だ、きっと今の彼はこの最悪の状態を理解できない。
できたとしても、上手く身体を動かせないだろう。

「みつるぎー…」

近付く私の顔にキスしようとした成歩堂を手で押しとどめる。
もしここが湖の上ではなく、私か彼の自宅のベッドの上であれば……このまま抜かずにもう一度
彼を揺さ振って突き上げるのに。───どうして。

(どうして……我慢できなかったのだろうか)

私は今になってようやく我に返った。
繋がる前や繋がっている最中はただ欲望のみで相手を欲して抱き合って。
理性も常識も全て頭の外に押し出されてしまう。そして、吐精した後にようやく我に返る。
……酔っていたのだ、お互いに。
そう心の中で言い訳をしてもこの危機が回避されるわけではない。

視線を落とし、見える範囲でお互いの衣服を観察する。汚れが付いていないかを確かめるために。
ズボンに大きく付いたシワはこの際、無視するとして。夜の闇の中でよくは見えないはずだ。
まず……まず、彼と離れなければ。
岸には三人のギャラリー。彼らに不審に思われないよう極めて自然な流れで抜いて、
急いで成歩堂の後始末をしてやり、衣服と呼吸を整えてボートを漕いで岸まで向かって目撃したという
ヒョッシーの姿を細かに説明して……ああ、考えるだけでも頭が痛い。

顔を上げると成歩堂が不思議そうな表情で私を見つめていた。
泣き出したくなるのを堪えつつ、彼に声を掛ける。

「とりあえず……ちゃんと歩きたまえ」
「上に乗っていっぱいしたから立てないかも」

えへへーと嬉しそうに笑い、また唇を寄せてきた成歩堂をかわして私は呻いた。
自分のせいだとは知りつつも、能天気に笑う彼が腹ただしい。
しかしそれを叱り付ける気持ちの余裕も、時間も、気力も、ない。

「頼むからちゃんと歩いてくれ……」

私の消え入りそうな呟きが湖面に落ち、そのまま水底へと沈んでいった。















───ひょうたん湖にはヒョッシーがいる。

その馬鹿らしい噂は、天才検事と敏腕弁護士が揃って目撃したという話によりいっそう真実味を帯びて、
今日も巷に語り継がれている。





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メッセ中にノリで考えた台詞を真面目に言わせてみよう企画。
今回のお題は「どうだ私の(以下略)」でした。
ボートでするなんて大変なことですよ!危ないですよ!
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