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はいか、いいえで答えてください。



私の言葉に神乃木先輩はピタリと動きを止めた。彼がいつも持っているコーヒーカップを机の
上に置いたのを確認すると、私は両手を握り締めて挑むように先輩を睨みつけた。

「どうした、コネコちゃん。そんなに睨まれる様な事をした覚えはないぜ?」
「……別に怒ってるわけじゃないですけど」

机の上に散乱していた法廷記録をひとつにまとめる。まるで一対一の尋問を始めるような
緊張した空気を感じ取り、先輩の顔から笑みが消えた。それを確認した私はゆっくりと口を開く。

「今こうして遅くまで残ってるのは、二人でコーヒーを飲むためじゃないですよね?」
「……いいえって答えたらアンタはどうするんだ?」
「はいかいいえで答えてください!」
「はい」

声の音量を上げて詰め寄った私を見て、先輩は唇を歪めながらやっと私の質問に答えた。
一回大きく息を吐いて私は先輩を睨み返す。ここでペースを狂わされては駄目だ。

「センパイ。……真剣に考えてますか?」
「……はい」

憎たらしいことに口元に笑みを残したまま、先輩は頷いた。
この際、そんなことは無視することを決め、私は机に両手をつく。

「あの誘拐事件にかかわった人たち……私たちはそれを調べているんですよね?」
「はい」
「その中での唯一の生存者…美柳ちなみ。彼女が真犯人なのは間違いありませんよね?」
「はい」

そこまで言った時、先輩の目がすっと細められた。私の声が、震えてしまったことに反応したように。
溢れ出そうになる感情を堪え、私は言葉を続けた。

「美柳ちなみをこのまま逃がすわけにはいかない。だから私たちは今こうして、
二人であの誘拐事件を調べなおしているんですよね?」
「はい」
「あの女……美柳ちなみが、全て仕組んだことはわかっているのに……」

言葉を続けようと、口を開く。でも何も出てこなかった。何も見つからない。
私たちは今、行き詰まっていた。
古い事件だったし、当事者である人たちはもうすでにこの世にいない。
生き残っているのはあの日、笑顔で退廷した殺人者だけ。

「…………」
「見てみな、コーヒーが震えてるぜ」

こぶしを握り締めて無言で俯く私に先輩が声をかける。でもそれに答える余裕すら、見つからない。
決定的な証拠が見つからない。このままじゃまた逃げられてしまう。
時間だけが過ぎていく。ただ、気だけが焦っていく。
彼に対しての罪悪感だけが育っていく。私は、何ひとつできないまま。

「私はずっと、このまま……」

そこまで言って私は口を閉じた。
それは言っては駄目だ。それを口に出して言ってしまったら、自分はもう二度とあの場所には
戻れないような気がしたから。
───このまま怯えて、バッジもつけることすらできないのかもしれない。
寸前で止めた言葉の代わりに涙が出そうになる。
先輩の細い目から逃れるため、私はくるりと彼に背を向けた。下を見ようとして、やめた。
水滴が重力に負けて落ちてしまう。自分の意志ではどうしようもできない涙を堪えるので必死だった私は
彼がいつの間にかすぐ後ろに迫っていることに全く気が付かなかった。

「!センパ…」
「コネコちゃん。はいかいいえで答えな」

ふと肩に温かい温度が触れ、振り返ろうとした。けれどそれは先輩の言葉によって遮られてしまった。
先輩は私の両肩に手のひらを乗せ、さっきの私のように質問をし始めた。

「アンタは数ヶ月前、初めて法廷に立った」
「はい……」

そう一言呟くだけで声が震えてしまう。
───
そう。私はあの日、弁護士として始めての法廷に立っていた。大切な依頼人を救うために。
でもその結末は。

「尾並田美散はあの日、死んだ。判決も待たずにな」
「はい」
「被告を弁護していたのは綾里チヒロ、アンタだ」
「……はい」

それは今でも、忘れることのできない痛み。
思い出すだけで……いいえ、思い出すまでもない。それはいつでも頭の中にある。
あの法廷。思いもがけない、あの人の行動。
たった一人微笑んでいた女を除いて、全ての人間が凍りついたあの瞬間。
その悲劇を止められなかったのは、誰でもないこの私。

「チヒロ」

耳元で囁かれ、身体がびくりと震えた。 振り返ることもできない私の肩を先輩の手が優しく包む。

「アンタは弁護士だ。殺人者でもなんでもねえ」
「………」

答えることができなかった。目を閉じて頭を横に振る。

「はいかいいえで答えな。……もう一度聞くぜ。アンタは、弁護士か?」
───はい」

背中を支える温かくて大きな手に泣きそうになりながらも、私はやっと頷くことができた。

そうだ、私は弁護士なんだ。
孤独な人を救いたい。助けたい。信じたい。真実をあきらめたくない。

閉じていた目を開く。俯かせていた顔を上げ、深呼吸をする。
肩に触れていた手のひらの感触が、私の心を押してくれる。先輩は静かな声で質問を続けた。

「尾並田美散は、美柳勇希を殺していない」
「はい」

やっと私は、肯定の言葉をはっきりと答えることができた。
それは紛れもない真実。その真実を明らかにしなければならないのが、弁護士である私の仕事。
さっきみたいに俯いていては、些細な証拠も見逃してしまう。

「……チヒロ。アンタはオレのことが、好きか?」

思わずはいと言いかけて、私は我に返った。

「い、いいえですっ!いいえ!」

勢いよく振り返り、後ろに立っていた先輩を見上げるようにして睨みつけた。
先輩は私の視線にいつもの余裕の笑みを返してきた。

「クッ…惜しかったぜ」
「先輩!!」

噛み付くような勢いで抗議しても、先輩はさらりと流してしまう。
机の上においてあったカップを手に取ると、ごくりと音を立てて飲む。そして私を見つめ、ニヤリと笑った。

「コネコちゃん。さっさと終わらせようぜ。愛の告白はまた今度、ゆっくり聞いてやるぜ?」
「こ、告白なんて!……そんなもの、しません!」

顔を真っ赤にしながら反論したのに、先輩はまたクッと笑っただけだった。

・.


「千尋くん」

名前を呼ばれ、我に返った。顔を上げると、いつの間にか所長室にいたはずの星影先生が私を
覗き込んでいた。私の手の中にある法廷記録と私の顔を見比べて、先生は眉を寄せる。

「大丈夫かね?明日の裁判は」
「はい。大丈夫です」

多分、ととても小さく付け加えた私を見て、いつもは穏やかな先生の表情が曇る。

「どうも不安じゃな…やっぱりワシが」
「いえ。どうしてもやりたいんです」

首を振り、きっぱりと言う。確かに私は法廷に立つのも二回目で、一年振りのことだ。
しかもほぼ有罪が決定しかけている殺人事件を扱うだなんて。
でも、それでも私はこの事件を担当しなければならなかった。
弁護士として、法廷に立たなければならなかった。もう一度弁護士として、被告人と向き合う。
資料の中に見覚えのある、あの名前を見つけた瞬間に決めた。

あの日、彼が倒れた瞬間から。あの日、あの人が眠りに落ちた瞬間から。
ずっとこの日が来るのを待っていた。
それは何かの運命なのかもしれない。
あの人物ともう一度、法廷で会うことができるだなんて。
この裁判は絶対、私が担当しなければならない。私自身が決着をつけなければならない。

「まぁ、この半年間……いろいろとあったからな」

気遣わしげな星影先生の視線に、微かな哀れみの感情の色が表れている事に気が付き、私は
曖昧に微笑んだ。先生はきっと、あの人のことを思っているのだろう。
…今はもう、言葉も発することのできない彼のことを。

「私は大丈夫です、先生」

今度は唇を大きく持ち上げ、にっこりと微笑んでみせる。
私の笑顔に星影先生は開きかけていた口を閉じた。そしてしばらく黙った後。
ウォッホン、といつもの偉そうな咳をして、所長室へと戻っていった。





再び一人になった私は、もう一度資料に目を通し始める。
ふと目に付いた依頼人の名前に、あの人の字を見つけた。半年前までは、いつも一緒にいたあの人。
神乃木荘龍先輩。
私は資料を机の上に置き、立ち上がった。窓際まで進み、窓を大きく開く。

……本当は、大丈夫なんかじゃない。自信なんてない。怖い。

私はその不安と恐怖を振り払うかのように、大きく頭を振った。怖がる心を叱りつけて口を開く。
そして、はっきりと通る声で言った。

「成歩堂龍一は、呑田菊三を殺していない」

それが真実なのだから、何も怖がることはない。ただ、私は私の仕事をするだけでいい。

───アンタは、弁護士か?

その質問にはいと答えたのは、誰でもない私自身だ。

小さく息をついて振り返る。窓に背を向ける格好になり、私は事務所の中を見渡した。
半年以上も前の会話を思い出してしまった。あの人は今、ここにはいない。
いつも部屋中に香っていたコーヒーの匂いは、もうすでに薄れてしまっている。
胸がどうしようもなく苦しくなった。

(センパイ…)

もう一度、最後の質問をしてくれたら。前とは違う答えを返せるのに。

(……だいたいいつも、あの人は)

自分からは絶対言おうとしないで、私が慌てるのをただ笑いながら見ているだけで。
最後まで、何も言ってはくれなかった。
もしも私がもう少しだけ余裕があって、もう少しだけあの人のことを大切に思えたのならば。
一度くらいは、聞いてみたらよかったな。
あの人の目が開いていて返事をしてくれる間に、聞いてみればよかった。
誤魔化さずに真っ直ぐ、同じ質問をしてみてやればよかったのに。

目を閉じて、カップを手にした彼の姿を頭に思い浮かべた。
そして心の中で問い掛けてみる。


はいか、いいえで答えてください。


(センパイ。私のこと、好きでしたか?)


───はい。



遠くにいるはずなのに、とても近くで返事が聞こえたような気がして、私は思わず笑みをこぼした。




●   
・.

 

















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やっぱカミチヒには、付き合う寸前のプラトニックな関係希望。
でも先輩は何気なくセクハラしてそうなイメージです。隙あらば触ってたっていう(笑)
千尋さんにとっては笑い事じゃないけどね!
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