※御剣は捕まって極刑になるという設定です
通された部屋は見慣れたものだった。部屋を割る透明の壁。壁の隅に備え付けられた監視カメラ。今まで何度となく足を踏み入れた面会室だ。
ぼくは椅子に座り、仕切りの向こうに見える扉を見つめていた。しばらくして警官とともに現れたのは──
「何て顔をしているのだ。情けない顔がさらにひどくなっているぞ」
そこには、いつものフリルタイもベストも身に着けていない御剣怜侍がいた。白いシャツ姿の御剣はぼくをからかいながら向かい側へと腰を掛ける。
苦笑したものの、すぐに言葉が詰まってしまった。
御剣はそれに気付いているのかいないのか、少しだけ微笑む。
「仕事はどうした。こんなところに来ている暇はあるのか?」
「そうだな。そこそこかな」
「誤魔化すな」
こんな時にまで仕事の心配なんて、御剣らしい。決して優しい言葉ではないのに、御剣らしさを感じたぼくは自然と笑みを浮かべた。
「三日後に裁判を控えているよ」
「ずいぶんと余裕だな」
「まあ、相手は君じゃないから」
何気なく呟いた一言が、二人の間に落ち込んで思わず口を噤んだ。
ぼくと御剣は今まで何度も法廷で顔を合わせてきた。互いの指摘により真実とされていた事件が綻ぶ時。そして、新たな真実を曝け出していくような裁判と何度と繰り返してきたのだろう。
今となってはもう、経験することのできないけれど。
「御剣……っ」
そう思った途端、思いが一気に込み上げてきた。名前を読んでみたもののそれ以上の言葉を続けられない。真正面からぼくを見る御剣を正視できなくて、ぼくは俯いて吐き出した。
「ぼくは……君がいなかったら法廷に立つ意味がないよ」
だって、ぼくは君を追ってきたんだ。君のために弁護士になったんだ。君がいなければ、弁護士でいる意味なんてない。
「駄目だ、成歩堂」
静かに、静かに諭されてぼくははっと顔を上げる。そこにはぼくの言葉に痛みを感じたのだろう御剣が、ぼく以上に顔を歪めていた。
「そんなことを言わないでくれ……頼むから」
そんな風に絞り出すように言われ、何と答えればいいのだろう?わからない。わからなくて、ほとんど無意識に右手が動いた。と、御剣の左手が動く。
二人、ほとんど同時に手のひらを重ね合わせた。しかしそれは阻まれてしまう。
痛い。心が。全部が。痛い。痛い。こんなにも、痛いのに。
ぼくはどうしても君に触れることができない。
御剣は、指を透明の壁に押し付け、ゆっくりと動かした。他愛無い指先の動き。絡ませ笑い合ったのはもう遠い昔のことだ。そして、これからも未来にはもう二度と訪れることのないささやかな触れ合い。
それを思うだけで叫び出しそうになる。でも、対面する御剣はふと表情を穏やかなものに変化させた。ぼくの手にひたりと自分の手を重ねる。寸分もずれがないように。全てが重なり合うように。
「今思えば、父を失い検事になったのは人生で最高の贈り物だった。 それで君に会えたのだから。 天のお導きだ。感謝で一杯なのだよ」
手のひらを重ねていることで心までもが重なったように感じる。御剣の低い声がぼくの心に寄り添う。御剣の鼓動がぼくの鼓動に重なる。
ぼくは、こみあげる感情を耐えて彼の言葉に耳を傾けていた。
「約束してくれ。私のために。君は必ず法廷に立ち続けると。何があろうと最後まで諦めないと。望みを捨てるな。守ってくれるか?」
無口な彼がこんな風に饒舌になるのは珍しい。残された時間が少ないとわかっているからなのだろう。唇を動かしたけれど言葉が出てこない。駄目だ、そんなんじゃ伝わらない。
ぼくは、声を喉から押し出す。
「約束するよ」
その一言がきっかけとなり、ぼくはせきを切ったように何度も呟いた。約束する、約束するよ、絶対、守るよ、約束する、と。馬鹿みたいに何度も繰り返した。そうじゃなければ言ってしまいそうだった。御剣の命に縋る言葉を。
ぼくは手のひらを仕切りに添えたまま、襲い来る残酷な運命に目を閉じた。そんなことしたって避けれないし、逃げることもできない。ああ、このまま君と逃げ出せれば。どんなにいいのだろう。
「……君は、私を長年追い掛けてきてくれた。今度は私の番だ。私が君を追い掛ける。だから法廷で待っていてくれ」
顔を上げる。御剣は、やはり微笑んでいた。でも先程のものとは違う。まるで法廷で対峙している時のような、こちらを挑発する笑み。
その時ぼくは、自分が今まさに法廷に立っているような錯覚に陥った。御剣の瞳は変わらない。彼の目に映っているのは弁護人席で相手検事を鋭く睨み付ける弁護士・成歩堂龍一なのだ。
「ああ。待ってるよ。絶対、来いよ」
「顔を洗って待っていたまえ」
気付けば挑戦を受けるようなセリフが口をついていた。御剣は当然のこととしてそれを受け取り、また言葉を返す。
それに応戦しようとした時、後ろに控えていた警官が間に割って入った。時間だ、と短く告げる。
思わず立ち上がった。その弾みで重ね合わせていた手が離れてしまった。
「御剣!」
遅れて立ち上がった御剣は、ぼくを見た。二人の視線が合う。唇が震え、声が出た。またしてもそれは自分でも意図しないセリフだった。
「法廷で、待ってるからな」
御剣は答えなかった。頷いて、ぼくに背を向ける。
促され御剣は出て行った。一人残されたぼくは、長い溜息を吐く。息が苦しくなるまで。胸が痛くなるまで。そのまま、喉が引き連れる。肩が上がり、代わりに両目から涙が溢れ出てきた。
待ってるなんて、そんな嘘で御剣は騙せたのだろうか?ぼくが君のことをずっと待つなんてもう一生できないのに。これから死刑が執行される君を、待つなんて。
座っていた椅子に崩れ落ちた。うまく座れなくて、床にへたり込んでしまう。息が早い。嗚咽が漏れる。信じられないほど大きな涙の粒が目から零れていく。片手で顔を覆っても止めることなんてできなかった。
ぼくは、御剣のいなくなった部屋でずっとずっと一人泣き続けていた。
(でもアンハッピーエンドは苦手なのでこの後判決が覆されて再会できる形で…)