とある昼下がり。ぼくは助手の真宵ちゃんと検事局へと来ていた。
ひとつの扉の前で、不自然に腰をくねらし歩こうとしないぼくに真宵ちゃんが首を傾げた。

「なるほどくん、どうしたの?うずうずして」

彼女の高い声にぼくはびくっと身体を震わせた。すごい勢いで振り返ったぼくを見て真宵ちゃんはまん丸の瞳を更に丸くする。

「トイレならあっちだよ」
「しーっ!今、忙しいから先に帰っててくれないかな」

これ以上ここで大きな声を出されたくなかった。わけがわからないと言った様子の真宵ちゃんの背中を押してどうにか歩き出させる。その間にも意識はある場所に向かっていて、冷や汗が背中を流れ落ちていた。
神様、助けてください。思わずそう祈る。ピンチの時、祈る相手はいつも一人だった。若くて綺麗で誰よりも頼れるあの女神。けど、今のぼくはこんな情けない願いを彼女に祈ることなんて出来なかった。

(神様……)

もう一度祈る。ぼく、今、ノーパンなんです…!パンツ、履き忘れちゃったんです!
片思い中の御剣検事の執務室に、マイパンツ置いてきちゃったんです!

パンツを取り返そうと執務室の中を覗いた瞬間、席についていた御剣と目が合ってしまった。
無言で歩み寄ってくる御剣の姿に息が止まりかける。御剣は扉の前に立っていたぼくの目の前まで来ると、冷静な目と低い声でぼくに尋ねる。

「何かな?成歩堂龍一弁護士」
「えっどうしてぼくの名前……」

どきっとする。まさか、御剣がぼくの存在を、そして名前を知っているとは思わなかった。
御剣はぴくりと片眉を反応させた。唇が緩い弧を描く。

「私は記憶力が良くてな。大抵の弁護士の名前は覚えているのだ」

パンツ履き忘れちゃったぼくとは大違いだ……
御剣の完璧なかっこよさと自分の情けなさの違いに思わず泣きそうになってしまった。
とにかくパンツを取り戻さないと。ぼくは咄嗟に嘘をついた。

「えっと、ぼく、来週の裁判の解剖記録、失くしちゃったみたいで……」
「それならば私の持っている分をコピーしてあげよう」

御剣はそう言って優雅に微笑むと部屋の中の机へと戻っていく。

(優しい!御剣検事!)

御剣の後を追って部屋の中に入り、御剣が机の引き出しを開ける様子をそわそわと見守った。そんなぼくを御剣は少し怪訝な顔をしながら見つめる。







今日、真宵ちゃんと調査でここを訪れたぼくは休憩中に飲もうと持っていたコーヒーをズボンに零してしまったのだ。火傷しないようにとにかく一度脱いで、拭き取る必要があった。一番近くにあった部屋に飛び込み、ズボンを脱いだ時点でぼくは気が付いたのだ。
大きなデスクの上に置かれている書類の一番上に、書かれていた名前を見て。

(あっここ!憧れの御剣の執務室だ!)

幸運な偶然にぼくは飛び上がるほど喜んだ。
ここに、御剣がいつも座って仕事をしている。その事実はぼくを高揚させた。思わず平らな机の表面を大事に撫でてしまった。それだけでは足りず、そっと椅子に腰を下してみる。
大興奮したぼくは両足をばたばたさせてその感触を喜んだ。
自分のパンツが腰から滑り、膝の辺りに落ちてきたことも気付かずに。

『なるほどくん!誰か戻ってきそうだよ!』

そんなことをしている最中に、扉の外から真宵ちゃんに叫ばれ、焦りながらズボンを履いた。部屋を出た後で、肌にズボンが直接触れる感触にノーパンという事実に気付いたのだった。






「……おかしいな。どこにも見当たらない」

御剣がどこを探しても解剖記録は出てこなかったらしい。首を捻る御剣に、突然図体のでかい男が部屋の扉を開いて声を掛けてきた。

「御剣検事!さっき置いてあった解剖記録、少しだけ借りたッス!」
「糸鋸刑事」

次の言葉に、御剣と一緒にぼくも眉間にシワを寄せた。

「返すつもりで地下駐車場の御剣検事の車へと持っていったッス。そういえばなんか白いのも一緒にあった気がするッス」

それだ!と叫ぶわけにもいかず、ぼくは御剣と一緒に地下駐車場へと向かうことになった。

「すまないな。君に駐車場まで付き合わせてしまって」
「とんでもないよ!親切だね、御剣……じゃなくて御剣検事は」

歩調を合わせて歩いていた御剣がぼくの言葉にくすりと微笑んだ。笑われるなんて思ってもいなかったぼくは慌てて尋ねる。

「え?え?ぼく、何か変なこと言った?」

御剣は首を振り、何かを懐かしむように目をそっと細めた。

「成歩堂弁護士は覚えていないかもしれないが、新人の頃にピンクのセーターを着た君と廊下ですれ違った。その時、私の肩に桜の花びらがついていたようで───


『あ。花びら、ついてる』

赤い色に包まれた肩にとても小さな桜色の破片を見つけたぼくは、そう呟いて指先を触れさせた。摘んだ柔いそれをぱくりと口の中に入れる。

『ちょっとなるほどくん!何食べてるの!?』
『だって桜もちってあるでしょう?』
『あれは葉っぱよ!』

慌てた千尋さんがそう指摘したものの、もう吐き出すことは出来なかった。
舌に乗せた薄い花びらは何となく春の味がして、自然と顔がほころんだ。


「それが、おかしくてな」

食い意地のはった行動を見られ、覚えられていたかと思うと恥ずかしさで顔が真っ赤になった。御剣は呆れるどころかそんなぼくを見て微笑んだ。

「私は先程、自分は記憶力がいいと言ったが……あれは嘘だ。可愛いと思い、名前を覚えていたのだ」

ゆっくりと微笑む御剣の顔に胸が高鳴る。御剣。ぼくだって覚えている。
だってあの時にぼくは、君に恋をしたんだ。桜の花びらが似合う男なんて初めて見たって。
足を止めて見つめ合う。でも、両手は無意識の内に自分の尻へと当てられていた。
汗をかいているそれを布の上からぎゅっと掴む。
せっかく……せっかく覚えててくれたのに、パンツ履いてないなんてバレたくない!







ようやく駐車場について、御剣は真っ赤な車の前で立ち止まった。ワイパーの所に茶封筒が挟んである。

「ああ、あったぞ。───ム?何だ、この白いのは」

それを手に取り、中を覗き込んだ御剣の表情が曇った。ぼくは片手で後ろを押さえ、片手をその封筒目掛けて思い切り伸ばした。夢中になりすぎたせいで足元の段差を見逃し、見事に足を引っ掛けてしまう。

「わぁっ!」

勢いをつけたまま御剣へと突進し、二人一緒になって地面へと転がってしまった。

「大丈夫か?成歩堂弁護士……」
「大丈……!!!!」

身体の上へと圧し掛かった格好のぼくを御剣が気遣わしげに見る。それに答えようと、自分の身体を振り返りつつ答えようとして。声が詰まった。
うつ伏せの状態となったことでズボンが尻に隙間なく密着し、形が露わになっている。あまりの恥ずかしさに悲鳴が漏れた。即座に上半身を起こしそれを隠す。

「ム?」
「あっ!」

その時。ぼくの様子を見ようとこちらへと向かっていた御剣の右手が、ぼくの股間へと被さった。ぼくが急激に姿勢を変えたせいだろう。

「す、すまない!わざとではない」

ばっと思い切り後ずさったぼくに御剣が狼狽しながら謝罪した。

「えっ?えっ、うわぁぁ!!」

瞬時に飲み込めなかった状況が後から一気にぼくを襲い、恥ずかしさに何が何だかわからなくなってしまった。御剣が困ったようにぼくを見ている。違う、違うんだ、御剣。
ぶるぶると首を振ると、小さな水滴が目尻から零れた。恥ずかしさと情けなさで涙まで出てきたらしい。

「ぼ、ぼく……小さいから、恥ずかし…っ」

涙で声まで詰まる。唇を噛み締めた。

「成歩堂は……本当に、すごく可愛らしいな」

両肩に御剣の手が置かれる。驚いて顔を上げると、すぐそこに御剣の顔があった。びっくりしているぼくに御剣の唇が当てられた。キス、された。
目が合うと御剣は険しい顔をしてぼくを見ていた。罪悪感を持つ瞳がぼくを見返す。

「すまない。今のは、したかったのだ」
「あ、謝らないで!」

思わず叫ぶ。違うんだ。触られたことも、キスされたことも。嫌だなんて思っていない。
ぼくは自分の持っている勇気を全て集めた。震える声で告白する。

「ぼくもずっと、御剣のこと……」

言ってからお互いを見つめ合う。どきどきした。誰も来る気配のない空間で、ぼくたちはそっと触れ合った。

「誰も……来ないな」
「うん」

御剣の手がもう一度ぼくの身体に重なる。
ぼくと御剣は御剣の車の中で息を潜めて向かい合っていた。優しく触れるキスから始まって、高い声が上がってしまうほどの愛撫をぼくは御剣から受けていた。

「み、御剣……」

恥ずかしくて目を開けない。ぼくはぎゅっと目をつぶり掠れた声で相手を呼ぶことしか出来なかった。力を失っている右手が御剣に取られた。指の第二関節の辺りに口付けを落としながら御剣は囁いてきた。

「成歩堂。───どこまで君に、触れてもいいのだ」

(パンツ履いてないのはバレたくない!)

一瞬で我に返ったぼくは上擦った声で返事をした。

「ず、ズボンの上…っまでなら」

胸までなら大丈夫と考えつつ腰をもぞもぞ動かす。パンツを履いていないせいで下半身全体が寒い気がする。ああ、何て心許ないんだろう。と思った時に、あらぬところに御剣の指を感じた。びくんと身体が反応する。

「ちがっ……だ、だめ…」

御剣の指がズボンの上からぼくのそこを押す。上の意味を違う風に捉えたらしい。布ごと大きく掴んだかと思えば先端を探すように指先で弾く。御剣の右手にぼくの身体は面白いように翻弄された。

「ああ……っ」

さっきから甘い声ばかり出る。御剣の指はぼくのそこを責め続けていた。パンツ履いてないから、直接触られているみたいだ。ぞくぞくとした快感が身体を襲った。

「みつるぎ───!」

上げた声ごと御剣の唇に飲み込まれて、ぼくは堪らず涙を零してしまった。






(よかった……なんとかノーパン、バレずにすんだ……)

後ろを押さえる不自然さに御剣は全く気がつかなかったようだ。気疲れと緊張にぼくはぐったりと車のシートに寄り掛かった。
御剣が解剖記録の入っている封筒を開き、驚いたような声を上げた。

「ム?この白いのは糸鋸刑事のハンカチだな」
「えええっ!!!な、なんだって!!?」

 

 

 

ちなみにオチは『違う人の席に忘れてました』でした。そこまで書ききる気力がありませんでした。すみません。