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どうしてそんな顔をするの?
ぼくは君を救いたいんだけなんだよ?

・.

ため息交じりに、御剣が呟いた。

『……すまないが…今、いろいろと忙しくてな』
「何かあったのか?」

受話器を握り、問い返す。
ほんの少しだけ言葉尻が変化したぼくの様子に気づいたのか、御剣はさっきと口調を変えてこう言う。

『仕事が立て込んでてな。なかなか時間が取れない』
「…本当に仕事、か?」
『………どういう意味だ?』

小さな声の呟きはしっかりと彼の耳に届いてしまったらしい。
明らかにとげのある御剣の問いかけにぼくは乾いた笑いを返した。

「冗談だよ。わかった、しばらく電話は控えるよ」
『………すまない』

また声のトーンが変わった。
普段は表情の変化が乏しく人に感情をあまり見せることをしない御剣だけど、
受話器越しに聞くその声は気持ちの変化が手に取るようにわかる。

(……いや、違うな)

それはきっと彼の親友であるぼくだからこそ、些細な変化も気付くことができるんだ。

「うん…おやすみ、御剣」
『ああ…』

彼の吐息ひとつでも聞き漏らしたくなくて。
完全に通話が途切れるまで、ぼくは受話器を耳に当てていた。
やがてそれは不親切な機械音をたて、沈黙した。それでもぼくは受話器を耳に当てていた。
本当に、何もかもが聞こえてこなくなるまで。

・.



「あれー?ヤッパリ君じゃないッスか」

頭上から降ってきた、大きな声に顔を上げる。
現場や裁判所で顔をよく合わせている糸鋸刑事が大きな手をぼくに向けて小さく振っていた。
警察署に資料を取りに来たぼくは、足を止め彼が近づいてくるのを待った。
会話が届くまで距離を縮めた彼に名前の訂正を告げる。

「ぼく、成歩堂です…」
「どこ行くッスか?自分は今から現場に向かうところッス!」

もう何度言ったかわからない、ぼくの発言はあっさりと流されてしまった。
ぼくはそれ以上の言葉を飲み込んで見慣れた緑のコートの横に彼の姿を探す。

「……一人ですか?」
「部下たちは先に現場に向かってるッス!御剣検事は、検事局で資料をまとめているッス!
相変わらず御剣検事は絶好調ッス。ヤッパリくん、この事件の担当じゃなくてよかったッス!」
「はは……そうですね」

聞いてもいないのにイトノコさんは、御剣の近況を報告してくれた。
ぼくはそんな彼に曖昧な笑みを返した。───御剣と会うのは、プライベートに限る。
二人きりのときは緩んだ瞳と柔らかい口調の、少しだけ無愛想な愛しい恋人なんだけど。
法廷で刺すような視線を長時間一身に受けるのはちょっとつらい。

「御剣検事は、絶好調ッスけど…」

一度言葉を切り、イトノコさんは困ったような表情で頭をかいた。
その様子にぼくはすかさず質問をぶつける。

「何かあったんですか?」
「何もないッス!何もないから困ってるッス…」

しょぼん、とイトノコさんの身体がしぼんだ。

「何もないとは…?証言が不確かなんですか?」

気付かれないように努めて、ぼくは彼にさりげなく尋問を始めた。
ぼくが担当の弁護士でないことに安心したんだろう。イトノコさんはぽつりぽつりと事件の概要を語ってくれた。
そのひとつひとつを頭に刻み込む。

「それじゃあ、自分はそろそろ行くッス」
「お気をつけて」

にっこりと微笑んで、彼を送り出した。
その場で立ち尽くしてしばらく考え込んだ後、ぼくは歩き出す。
ある目的を胸に抱えて。


・.


『……成歩堂か』
「疲れてるみたいだね。声でわかる」
『いや……ただの寝不足だ』
「裁判、明後日からなんだってな」
『ああ……誰かに聞いたのか?』
「まぁね」
『…………糸鋸刑事か』
「証言を拒否します」

笑い混じりにそう返すと御剣はすべてを悟ったようだ。そのままため息をついて、黙る。

「迷惑だった?」

沈黙を破りそっと問い掛けてみた。言葉の意味がわからないのか、御剣は答えなかった。

「電話したこと」
『……いや』

御剣は短い言葉しかくれなかった。でもぼくはそれだけで満足だった。

「ねぇ、これから会えないかな?」
『…………』
「渡したいものがあるんだ。すぐ終わるからさ」

ちょっとだけ御剣をぼくにちょうだい?と冗談めいて言うと、御剣は今度はとても小さなため息を返してきた。
御剣は優しい。ぼくの頼みを無視できる男じゃないことはぼくが一番知っている。

『………今から、君の事務所に行く』
「うん。待ってるよ」

そして、先に切れる電話。
ぼくは嬉しさで胸をいっぱいにして、いつもの通り声の消えた受話器を耳に押し当てていた。


・.


「何だこれは」

目の前に差し出した封筒と、ぼくの顔を見比べて。御剣は眉をひそめる。
ぼくは首を傾げ、手に持った封筒をゆらゆらと揺らした。

「とりあえず見てみてよ」

ぼくの言葉に促され、御剣は封筒を手に取りそれを開ける。
ぼくはというと、まるで出来のよかったテストを見せる子供のようにわくわくと心を弾ませて彼を見ていた。
中に入っていた書類を軽く目を通した後。
御剣の整った顔が歪んだ。

「……何だこれは」

御剣はさっきと同じ台詞を繰り返した。予想外の反応にぼくは数回瞬きをする。

「わからない?君が担当してる事件の資料だよ」
「そんなことは見ればわかる」

わかっているのなら、なんで?
ぼくは御剣の言いたいことが本当にわからなかった。
首をひねるぼくに御剣は視線を逸らさないでぼくに尋ねた。

「どうやってこれを調べた?」

ああ、と言ってぼくはにっこりと微笑んでみせた。

「被害者の家族に聞いたんだよ。ぼくが弁護士だって言ったら、いろいろ…」

ばさり、と音を立てて紙が宙を待った。
白く四角い紙がぼくの視界を覆い、御剣の姿を一瞬だけ消す。
書類が音もなく舞い落ちていく。御剣が手にしていた書類をぼくに投げつけたのだ。

「何のつもりだ……!」
「御剣?」

ぼくは床に散らばる紙を無視して、御剣へと一歩踏み出した。しかし彼は素早く身を引く。
そして鋭い視線でぼくを睨みつける。

「何を考えているんだ、君は!余計なことをするな!」
「余計なこと?ぼくは御剣の助けに…」
「検事の助けをする弁護士がどこにいる!しかも弁護士と名乗って話を聞いただと?」

信じられん、と御剣は苦々しく呟く。その顔は苦悩に歪んでいて。
ぼくはそれを見ただけで泣きそうになってしまった。

「御剣」
「気安く呼ぶな。私は君を……軽蔑する」

その綺麗な指を真っ直ぐに伸ばす。ぼくの胸に向かって。
その先には、金色に光る弁護士バッジ。

「君はそのバッジを汚した。公正と平等を守れない弁護士に、君はいつからなったんだ?」

最低だな、と御剣は呟いた。今度は視線をぼくとバッジから逸らして。

「ぼくは最初から、そういう弁護士だったよ?」

そう言いながらぼくは御剣の腕を掴んだ。御剣はびくりと身体を揺らす。
そして振りほどこうとした。ぼくは指に思い切り力を込めて彼の手首を拘束した。
壁際まで追い詰め、背をつけさせる。

「はなせ、成歩堂」

彼の言葉はとても静かだ。しかしそれは表面的にそう装っているだけに過ぎない。
御剣の目は怒りに燃えていた。それは怒りというよりも憎悪の念に近いような───

「君のために、ぼくはここまで来たんだよ」

ぼくは彼の目に怯まず言葉を続ける。

「こんなバッジ、汚れてもいいよ。ぼくは構わない。君のためなら」
「やめてくれ!」

御剣の叫びがぼくの言葉を遮る。彼は俯いて、首を弱々しく横に振る。

「……汚さないでくれ。そんな言葉で、汚さないでくれ」

───弁護士を、父親を。

ぼくは何も言えなくなってしまった。かわりに涙が溢れる。
耐え切れず彼に唇を押し付けた。唇が触れ合っただけなのに、なぜだかとても悲しくなって。
ぼくはまた涙を流した。薄く目を開けてみると御剣も泣いているみたいだった。

どうしてそんな顔をするの?
ぼくは君を救いたいんだけなんだよ?

ねぇ、御剣。

ぼくは君が、好きなだけなんだよ?

 

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