目が覚めたら御剣になっていた。

「……何だこれは」

目の前の御剣、いや、ぼくは目を吊り上げてこちらを睨み付ける。
それはこっちの台詞だろ、と答えようと口を開きかけた。それだけでぎろりと睨まれてしまい、圧倒されたぼくは情けなくも口をぱくりと閉じてしまった。
中身が違うだけでこうも表情が変わるものなのだろうか。
こうしてみればぼくもなかなか怖い顔になれるのかもしれない。鬼弁護士なんて呼ばれたりして。

「成歩堂」


ぼくの姿を持つ御剣は腕を組み、厳かにぼくを呼び付けた。
ふんぞり返り顎を上げ。人差し指を細かく腕の上で動かす。イラついているというポーズ。
その姿では初めて見る、よく見慣れた御剣の仕草にぼくは条件反射のように背筋を伸ばした。こちらを睨んでいるのはどこからどう見ても自分なのに。

「私の顔であまり情けない表情をしないでほしい」
「そんなこと言ったってしょうがないだろ、中身はぼくなんだから」
「異議あり!」

突然、びしりと指を突きつけられて心臓と一緒に身体までが飛び上がった。
驚いた、ぼくの異議はこんなにも迫力があるのか。

「ななななんだよ!」
「他人から見れば君は私だ。その話し方も改善したまえ。私らしくない」

じゃあそそっちこそ改善してくれよ、ぼくらしくないそのしゃべり方を。
そう思っても迫力に押されて言えない。
悠然とこちらを見つめる成歩堂龍一に、汗をだらだらとかく御剣怜侍。
世にも奇妙な二人組みが誕生したのは、ある月曜日の朝のことだった。





目が覚めたら成歩堂になっていた。
それはどういうことかと尋ねられても答えようがない。どういうわけか朝起きたら私が成歩堂に、
成歩堂が私になっていたのだ。
焦り、苛立つ私に成歩堂は私の顔をして言う。

「真宵ちゃんのイタズラだろ、どうせ」

その投げやりな言葉遣いは紛れもなく成歩堂のものだった。しかし、短い眉を寄せ溜息をつく姿はどこから見ても私だ。その様子を見てるだけで改めて頭痛がしてくる。
小さめの黒目をくるりと動かし、私である成歩堂はこちらを探るようにして聞いてきた。

「今日……仕事、行く?」
「この身体でか?」
「ぼくの方はとりあえず事務所開けてくれればいいから。どうせ依頼人も来ないだろうし」

ハッと思わず鼻で笑ってしまった。すると物凄い強烈な三白眼で睨まれた。
恐ろしい。元は私の顔なのだが。

「うム。私の方も、今日は執務室で書類書きをしようと思っていたところだ。公判がなければ出勤してもお互い、差し支えはないだろう」
「一緒の公判が入ってたら面白いことになったのにな」

そう言ってへらへら笑う自分の顔を見ていると、何とも言えない気持ちになる。
私はこうやって笑うのか。鏡の中ですら見たことのない笑い顔をこうして見る事が出来ても、到底喜ぶ事など出来なかった。

「じゃあぼくはあの趣味の悪い部屋に一日閉じこもってるとして……」
「もう一度言いたまえ」

あーごめんごめんと全く誠意のない謝罪を呟きながら成歩堂は私のシャツに手を伸ばした。

「待ちたまえ。それは私の服だ」
「君とぼくが服を取り替えて外歩いたら、何の冗談だと思われるよ」

それもそうだ。納得した私を置いて成歩堂はシャツを羽織る。もう首に巻くだけで、すでに形の整っているフリルタイを物珍しげにしげしげと観察していた。
躊躇いながらも、私も成歩堂のシャツを羽織ってみた。それはぴたりと私の身体に纏われた。ああ、これは成歩堂の身体なのだ。いつも、何も考えずに脱がせているシャツが感慨深く思えた。
次にネクタイを手に取る。

「……成歩堂」
「なに?」

呼ばれて振り返った彼は、完全に私になっていた。黒いベストにフリルタイ。深い赤色のジャケット。対して私は───完全な成歩堂にはなれなかった。

「これをやってくれ」

私と、手に握られているネクタイを比べて成歩堂は呆れた顔をした。

「世話が掛かるね、君は。今日、一人にさせるのが心配だよ」

向かい合いながら、成歩堂の指と紐がするすると絡んでいくのを見守っていた。
からかう言葉を掛けられ睨み付けるもこの状況では何ひとつ言い返せないのだ。
自分の、低い声でからかわれるのはとても居心地が悪い。

「ハイ、出来上がり」

出来上がった結び目を軽く叩かれ我に返った。目が合うと私の顔をした成歩堂はにこりと微笑んだ。とても優しげな微笑み。

「……あまり、笑わない方がいい」
「え。なんで?」
「その笑顔をあのご婦人に見られでもしたら、一日どころか私の一生が脅かされる」
「ああ。あの茶色い声のご婦人ね……」

今度はげんなりとした顔で成歩堂は呟く。それを見て私もまだこのように表情がよく動くのだな、と妙なことに感心してしまった。

 

 

 

 

つづきます…