「御剣」
「ム?」
 何とも言えない気持ちになって名前を呟く。ついていた肘をどけて御剣のすぐ隣にもう一度寝そべる。二人横になった状態で見つめ合う。
「幸せ?」
 突然の質問に御剣の微笑みが崩れた。怪訝な顔で眉を寄せる。見つめ返しながらぼくは口をもう一度開いた。少し笑いながら。
「鼻の下が伸びてるからさ」
 言ってからしまったと思った。こうやってからかわれるのが一番嫌いなのだ、この男は。そうと知っていてもからかってしまうのが自分という男なんだけど。
 案の定、御剣の眉間が一瞬で狭まる。その間には深く深くシワが刻まれた。でもそこで諦めるぼくではない。口を閉ざした御剣にもう一度呼び掛ける。
「御剣、幸せ?」
「さぁな」
 不機嫌そうに御剣は答える。見合っていた視線を外し、仰向けの状態となってしまった御剣に再度尋ねてみた。でもやっぱり返事は返ってこなかった。
───では、君はどうなのだ」
 何度かしつこく聞き続けていると御剣が逆に聞いてきた。
「知ってる?人が質問に質問を返すのは、はぐらかしたい時なんだよ」
 ムゥ、と言って御剣は黙ってしまった。ハッタリのつもりだったんだけどな、とちょっと悲しくなった。
「御剣ってば。ちゃんと答えろよ」
「何を言わせたいのだ貴様は!」
 腕を掴み揺さぶって詰め寄るぼくに切れ、ついに御剣は吠えた。腕を伸ばす。そんな御剣を、ぼくは両腕で全部抱え込んで囁いた。
「幸せだって言わせたいんだよ」
 自分で言ってて泣きそうになった。そう言いたいのはぼくの方だ。長年追い掛けてた。何回かすれ違った。憎んだことさえあった。それでもこうして一緒にいる。
 完全な孤独を知った学級裁判。でも、同時に信じてもらうということの心強さを知った。孤独な人の助けになりたい。苦しんでいる級友を救いたい。思い込みともいえる決意でひたすら走ってきた三年間。様々な人と出会い幾度となく法廷へと立ってきた。
 その中でも一番最初に助けたいと思った御剣怜侍を、ぼくはようやく救うことができたんだ───
 こんな素晴らしい奇跡はない。
 夢は、思いは、願いは、祈りは。ゆっくりと時間を掛けて、ひとつずつ現実になっていくんだ。
「……成歩堂?」
 御剣がぼくの腕の中で身じろぐ。できればもう少しだけ抱いていたかった。この存在が自分が弁護士であった証のように思えて。弁護士になるという夢よりももっと前に生まれていた夢。それが今叶った。そう思うと嬉しくて嬉しくて幸せで。
 いつまでたっても離そうとしないぼくに痺れを切らしたのだろうか。御剣の手がぼくの肩を掴む。引き離される予感に少し身体を強張らせた。でも、御剣の手はそうしなかった。背中に回される腕。肌と肌が優しく合わさる。体温が混ざり合う。鼓動が重なる瞬間。
 御剣の瞳が静かにぼくを捕らえた。当たる唇。耳に、頬に、首筋に、唇に。最後に、まぶたに。その度に心の中で百万もの幸福が生まれていくのを感じた。