軽く押しただけで古い扉は音を立てて内側に開き、それはまるで私の来訪を待ちわびていた様に思えた。中の様子を伺うことなく足を踏み入れる。
 地下の小部屋に小さなテーブルと椅子が一客ずつ。その上にだらしなく足を投げ出した男の側に、私は歩み寄った。
「失敗した……」
 近付いた気配を感じ取ったのだろう、ぽつりと彼は呟いた。水色の帽子と被された手のひらによって彼の表情を見ることができない。隠れさていない顎にはだらしのない無精髭。くたびれた黒いパーカー。無言でそれらを観察する。敏腕弁護士と名高い彼がここまで落ちぶれる姿を一体誰が想像していたのだろうか。
「体質に合わないものを飲んだりするからでしょう」
「飲まされたんだよ、無理矢理」
 上からの物言いに男は鼻白んだ笑いを返してきた。
 彼の足元にはいつもの物とは違う、高い濃度のアルコールのビンが転がっていた。部屋に入った時には気がつかなかったが、近付くとつんとした酒の臭いがする。
「このような生活は感心しませんよ、成歩堂」
「なんだ牙琉、わざわざ説教しに来たのか」
 彼の手のひらが取り払われ、黒い双眸が現れる。大きく円を描く瞳には、ただ部屋の中にある照明を反射する光だけが漂っていた。立ったまま見下ろす私の顔を覗き込んではっと彼は笑った。全てのものを嘲る笑い。
「……いえ、近くに来たから寄っただけですよ。元気そうでよかった」
 それに対して私は最高の笑顔を返す。成歩堂は一瞬だけ下を向き皮肉げに唇を歪ませる。親友というのは名ばかりで、私と成歩堂の会話はいつもこんな感じだった。お互いに相手の足元をすくう事だけを考える。
「お前」
 成歩堂が何か言い掛けたのを口付けで止めさせた。一瞬だけ重ね、一瞬で離す。不意打ちのキスに流石の成歩堂も目を丸くした。唇に触れた小さな温もりをもっと味わいたい気もしたけれど、微かに香るアルコール臭にその気分も萎えてしまった。会話を楽しもうにも酒に酔った彼を一方的に苛めるのもつまらない。では、と丁寧に会釈をして私はその部屋を去ろうとした。
「帰るなよ」
 投げつけられた言葉にすぐに振り返ることなく、たっぷりと時間をかけて視線を動かす。成歩堂は薄っすらと笑みを浮かべつつ私の視線を受け止めた。帰らないでくれ、と今度は甘い声色を使って囁いた。私の存在を惜しんでいるわけではないということは彼の表情が何より物語っていた。原因を探るべく辺りを見回した私は、壁に掛かる時計にあっさりと正解を見つけた。
 改めて時計を見る。朝になるにはまだ数時間掛かる真夜中の時間帯。この部屋の外にはまだ、彼とのポーカーを望む客が数人いた。今から新たな客を呼び込むのをやめ、知り合いである私を客として扱うつもりなのだ。
 時計から成歩堂へと視線を戻す。正解、とでも言いたげに成歩堂はにこりと微笑んだ。
 キィと切なげに椅子が軋んだ。成歩堂がテーブルの上に腰を掛け、私の方へと手を伸ばしてくる。
 ベストに仕舞い込まれたリボンタイに成歩堂の指が絡んだ。そのまま引っ張られてひらりと崩れ、私の胸元をあっさりと乱す。顔色を変えずに見返した私に今度は成歩堂から口付けが与えられた。
「ポーカーの相手でしたら何度でも」
「やだよ。勝てないゲームはしたくない」
 心底嫌そうに成歩堂は顔をしかめた。七年間無敗の理由は簡単だ。彼が事前に負ける勝負を避けているだけのこと。
 成歩堂の指は手馴れた動きで私のジャケットのボタンを外していく。
「それにさ」
 彼の声と青いジャケットが床に落ちる音とが重なった。
「ポーカーだけだったら部屋に鍵をかける必要がないだろ?」
 何度目かのキスを私に与えた後、成歩堂は露わにされた首筋に強く吸い付いてきた。二、三ヶ所に痕を残して離れる。そして私の返答を待つように覗き込んできた。
挑むような瞳は、かつて存在していた弁護士の姿を鮮明に思い出させる。
「朝まで……誰にも邪魔されたくないということですか?」
「そう取りたいんならどうぞ」
 唇の表面を自分で舐め上げつつ私を睨む成歩堂の首元に、今度は私が手を伸ばす。チャックを摘みそのまま引き下ろした。首の根元に唇を寄せ、お返しのつもりできつく吸う。彼がわずかに息を吐いたのは、あっさりと誘いに乗った私を嘲笑ったものなのか、それとも敏感な皮膚に触れられ息を上げたものなのか。わからなかったが、私は本格的に彼の身体を弄り始めた。自分でもわかっていた。私は、彼の誘いに何よりも弱い。
 それは彼に恋をしているなどと、そんな甘いものではなく。
 薄いTシャツの上から小さな突起を探し出し、親指と人差し指で順に触れる。成歩堂の答える声が掠れる。
「利害一致、ってやつさ」
「……利害一致?」 
 私は先程まで彼が座っていた椅子に腰を落とした。か細い音を発して軋むのを無視して成歩堂の手を引き、自分の上に座らせる。腰の上に乗せたことで成歩堂の身体が少しだけ上の位置に来る。私はそれを利用して彼の顎を舐めた。ざりざりとした硬い髭の感触。刺激されたのか成歩堂が背を仰け反らせた。
 後ろに倒れようとする身体を、腰に手を回して抱き寄せた。左手は水色のニット帽を撫でる。下から上に、上から下に。
「私に利はあるのですか?」
 この行為に。
 唇が離れた一瞬にそう問い掛ける。成歩堂は息を吐き出すと、お互いの唾液に濡れた唇を釣り上げた。
「ぼくが、抱かれてやると言ってるんだよ」
 その答えに思わず笑ってしまった。
 確かに利害一致といえよう。私は彼のことを愛してなどいない。同期の人間の間でも有名だった逆転弁護士をこの手に抱いて自由に突き上げる行為は、私の優越感を多大に満たしてくれた。
 愛のない愛撫を続けながら質問を繰り返す。 
「では、あなたにとっての害とは?」
「言わせたい?マゾだね君も」
 成歩堂は首を傾げて不敵に微笑む。私の手が彼の前を開いて性器を下着の上から摩っても、会話の調子は変わらない。飄々と答える様に余裕を感じ、少々悔しい思いもあったがそれも最初のうちだけだ。
 私の腕を掴んでいた手が離れた。次に頭皮に痛みを感じた。片方に集められていた金色の髪を容赦なく引っ張られて私は思わず目の前の男を睨みつけた。
 決まってるじゃないか、と息を私の顔に吐き掛けながら成歩堂は言う。艶かしい物言い。私の姿を瞳の中に閉じ込めたまま、ゆっくりと瞬きをする。彼の吐く酒臭い息が私の鼻先で広がった。そして、彼は甘い声で私に囁いた。
「君に抱かれることだよ」


 ちろちろと舌先を細かく動かしては止める。次に指を根元まで飲み込ませ、中で円を描く。
「……ッ!」
 成歩堂が呻いた。
「ここが、いいのですか?」
 性行為に入る前と全く変わらない声色を使い彼に問い掛ける。寝かせた状態で両足の間に入り、そこの部分に息がよく掛かるようゆっくりと言葉を紡ぎながら。そうすることが彼の羞恥心を過剰に煽ることを私はよく知っていた。
 成歩堂が身を捩ることで上半身に身に着けたままのパーカーがずり落ちてくる。左手を伸ばしてそれを除け、その下に潜んでいた彼のペニスを握り締めた。そのまま乱暴に扱く。右手は後ろを弄る。成歩堂の身体が一度、大きく痙攣した。
 手のひらをペニスの上でしばらく動かした後に止めた。亀頭を摘んで引っ張ると、透明な雫が音もなくその場所に滲み始める。
「……いやらしいですね、成歩堂」
 思わず呟いてしまった。成歩堂が首を曲げ、下半身ばかりに夢中になる私を睨み付けてきた。
「だまって、ヤれよ……」
 掠れた声での悪態など、何も効力を持たない。私はまた弄ることに夢中になった。動きを再開させればすぐに手の中は熱くなり始める。
 手だけで彼のペニスを攻めるのが好きだった。たくさんある身体のたった一部分を握るだけで、彼の全てを征服したようにも思えるからだ。
 ぞわぞわとした快感が背中を撫でた。下半身が鈍く痛む。私の性器は完全に勃起していた。いまだ衣服に抑えられたままで、痛みすら感じるようになっていた。限界が近い。
 いやらしい音が大きく響くようにして、彼の中に埋め込んでいた指を引き抜く。私の指と上体が彼の足の間から退いたのに安堵したのか、成歩堂は深く息を吐きだす。彼は私に弄られている間中ずっと息を止めていた。そうしていたのは緊張からか、嫌悪感からか。どちらかは彼の表情を覗けばすぐにわかる。
(全く──
 呆れによく似た笑いが出る。そんな表情、仕草の一つ一つがどれだけ自分の加虐心と優越感を揺り動かすと思っている?自分から抱かせるように仕組んだのに。
 幸いなことに時間はたっぷりある。フェラチオは後回しにしよう。彼と私の体液に塗れたペニスを彼の舌で綺麗にさせるのもいいかもしれない。
 セックスの筋道までもを冷静に立ててしまうのは法廷での癖なのだろか。こんなところで自分の頭脳を働かせてどうする?自嘲に唇が歪んだ。私の目の前には今、汚れた元弁護士しかいないのに。
 そんなことを考えながら彼の開ききった身体を観察していると、水色のニット帽が目に付いた。
「邪魔、ですね。……取りましょうか?」
「いい」
 私の気遣いを成歩堂は短い言葉で拒絶した。衣服を脱ぐことなく行為の続行を望むのは、早く済ませてしまいたいからだろう。無理に剥ぎ取ろうともせず、私は自分の性器を取り出しに掛かる。
そういえば私も眼鏡を掛けたままだ。互いに肌を見せずにその部分だけ晒して繋がる。私たちの関係をそのままなぞる様なセックスが愉快で、笑いが止まらない。
 横たわる成歩堂の腰を掴んで引き寄せる。右足は肩に掛けさせ、左足はテーブルに押し付けた。こうすれば結合部分をじっくりと見ることができる。
先走りの液体で湿る性器を一度手のひらで扱くと、それ自身が確かな意志を持っているかのように高く反り上がった。一旦彼の腰から手を離し、二つに割れる肉を両手でさらに割り開いた。唾液で濡れる小さな部分に目掛けて先端を押し付ける。
「あ、う─…ッ」
 成歩堂が声を上げた。痛みにあげた悲鳴はすぐに喉奥で噛み殺される。強張る身体を押さえつけ、腰を掴んで引き寄せ、さらに深く犯した。狭い所に無理矢理に捻じ込んだおかげで締め付けがかなり強かった。この、女性では決して経験できないキツさが堪らなく気持ちがいい。
「ああ……成歩堂……」
 深い溜息が出る。少しも動かなくても成歩堂が呼吸をするだけで中が熱くうごめき、私を快楽へと誘う。どくん、どくん、とどちらのものともつかない心音が繋がった部分から流れてくる。
「は、やく、動けよ……」
 息をするのも苦しいといった様子で成歩堂は私に命令した。視線を動かせば、裂けそうなほど開ききった成歩堂のそこが私のペニスに必死に食いついているのが見えた。
「欲しい?」
 そう優しく問い掛ける。成歩堂は答えない代わりに微かな息を吐き出した。
──私が、欲しいですか?」
 どくん、どくんと心音はさらに大きく響く。興奮。快感。欲する心。様々な感情が混ざり合って高まっていく。
「そういうのが、好きなわけ?」
「ええ、とても」
 投げ出されていた彼の右手を捕まえた。持ち上げ、汗ばんだ手のひらにキスを与える。
 成歩堂はうんざりした顔をしたつもりなのかもしれない。けれども朱に染まった目尻、唾液に光る唇を持った今の状態の彼がそんな表情を浮かべようとしてもうまくいくはずがなかった。
しかし、次の瞬間。
 彼は確かに笑ったのだ。頬が緩み唇が上がる。黒い瞳が狭まり、そして。
「欲しいよ、牙琉が」
 彼の低い声で囁かれる私の名前。はやく、うごいてくれ。続けて甘くねだられる。
 その笑みは嘲笑だったのか、純粋に私を求める笑みだったのか。いつもの私ならばすぐにわかることだった。しかし、その時の私には判断がつかなかった。
 私が捕まえていたはずなのに、いつのまにか彼の手のひらが私を捕まえていた。そこに優しく落とされる口付け。その後に触れた舌の感触に全部が吹き飛んでしまった。



 何度交わったのかわからない。わかるのは時計の針が大きく進み、成歩堂が待ち侘びていた朝がようやく来たということだけだった。
「ああ……つかれた」
 成歩堂がそう呟いて嘆息した。いつも皮肉や冗談しか呟かない唇が珍しく素直に動くのを、私もまた息を吐き出して見守った。くたりと俯いている自分のペニスを仕舞い込み、チャックを閉める。ほつれてしまった髪が気になった。手ぐしで軽く撫でると、外して置いておいた眼鏡を掛け直す。重い倦怠感に少し頭痛を感じた。
 成歩堂は手足は投げ出したまま顔だけを動かして壁に掛かる時計を見た。地面の下に作られたこの部屋には太陽の光など一切射し込まない。時計の針でしか時間の経過を測れないのだ。
 のそりと鈍い動きで身体を反転させると、成歩堂は不愉快そうに眉をしかめた。視線を落とせば、いつ放ったかもわからない私の精液が彼の足の間に零れていた。腹に尻に背中に顔に中に。思いつく限りの場所に精液をかけてやったのだ。結果、成歩堂の身体は見事に白く滑っていた。それでも上の服は脱がなかったから、彼の着ていたパーカーはそれはもうひどい有様だ。体液まみれと言っていいだろう。染み込んでしまった精液はもうすでに黒く、新しい精液はいまだに白い。自分なら絶対に着ていたくない。しかし彼は上半身を起こすと捲り上がっていたパーカーを引き下ろして自分の腹を隠した。
 いつのまにか彼の被っていた帽子が脱げている。特徴であった後ろに流れる髪と角度のある眉が覗く。いくら彼が年を取り、あの頃の覇気を失っていたとしても、それらの特徴を見れば誰でも彼の正体に気が付くだろう。
 天才的な閃きを持ち見事な逆転で法廷をひっくり返す、奇跡の弁護士・成歩堂龍一だと。
「過去に救った依頼人たちが君のその姿を見たら、どう思うでしょうね?」
 私の中に生まれた意地悪心は、そんな質問をさせるのと同時に疲れ切った頬に微笑を浮かばせた。成歩堂は私を見なかった。顔を背けて口を閉じる。
 それを見ていた私は声を出して笑いそうになってしまった。彼がどのような日々を送ってきたのかは私の知るところではない。しかし、この薄暗い地下二階での荒んだ生活は確実に彼の精神を蝕んでいき、彼の過去の栄光すら腐らせていく。
 私はそれが愉快で仕方なかった。
──御剣検事に、この場所を教えてあげましょうか?」
 私はついに切り札的な名前を口にした。天才検事と名高い御剣怜侍と彼が立場を越えた信頼関係を築いていたことは、法曹界でも有名な話だった。そんな相手に今の汚れた自分を見せれるのだろうか?そんなこと、聞くまでもない。
「別に」
 しかし。成歩堂は私の口から出た名前に全く興味を示さなかった。顎髭に残る精液を親指で乱暴に拭う。そうしてようやく私の方を見た。顔を持ち上げたことで黒い瞳がわずかに細められる。それは成歩堂が最近よく見せる表情だった。相手を見下す不敵な笑み。
「くだらない」
 鼻で笑われた。
「だから何だ?今更そんなこと気にしちゃいないよ。過去に縋るなんて馬鹿らしい。忘れてほしいだけさ……昔のことなんて」
 そして彼はあっさりと過去の彼を突き放した。
 私は思わず目を見開いてしまった。私がどんなに彼の七年前の姿に嫉妬しているのか。法廷で数ある賞賛を浴びても、必ず最後に付け加えられる一言。素晴らしい弁護士の筆頭に、毎回必ず挙げられる同じ名前。法廷に立つ私の周囲をいつでもちらつく影。
 ──成歩堂龍一。
 今その男は私の目の前に存在し、乱れた下半身を晒している。こんな状態になっても彼の名前は決して変わることなどないのだ。
 液体が沸騰する直前のような、ふつふつとした感覚。私の中で感情が沸くのを感じた。私はそれを性的なものと判断した。成歩堂の手首を掴んで前を握らせると、やはり私のペニスは勃起していた。
「よしてくれ」
 心底嫌そうな顔で成歩堂は私を睨んだ。朝が来れば、私と結んだ客とピアニストという契約はあっさりと切れる。そんなことは許さない。過去の彼ならともかく、この落ちぶれた現在の彼までも私を軽んじるなんて。
 はらわたが煮えくり返るような激情を隠し、私はいつものように穏やかに笑ってみせる。
「客である私が満足してないと言ってるんですよ」
「優しそうな顔して君は、恐ろしいな……」
 舌打ちをしたものの成歩堂は抵抗しなかった。私は成歩堂のペニスも束ねるようにして一緒に握らせた。彼の手のひら越しに自分の性器を揉み解す。徐々に成長していくにつれて私の息も上がる。成歩堂の息も上がる。
 素晴らしき過去を、そして現在を。
 華麗なる現在と過去をそれぞれ持つ弁護士が二人、精液にまみれた姿で絡み合う。間にあるのは愛情なんてものはなく、それを凌駕した醜い感情ばかり。
 地下二階の光の届かない場所で不毛な行為が何度も繰り返される。
 そんな、七年後の世界。




 

 

 

 

 

 

 

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フライングで出した本です。思ったより外れてなかったので引っ張り出しました。
先生がポーカーに弱い(少なくともなるほどくんよりは)っていうのは意外。
いやあの賢そうに見えたんだ…あの眼鏡とか。


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