見るからに新人といった感じの弁護士は意気揚々と法廷の扉を開けた。白い光が扉の向こう側から音もなく射す。目が眩み、思わず視線を逸らした。
 今の自分の身体は暗闇に慣れすぎている。明るすぎて目が痛い。
 目を逸らしたその先に思いも寄らぬものを見つけた。言葉を忘れて凝視する。
「……何か?」
 しばらくして穏やかな声色で問い掛けられた。
「そんな顔、初めて見たと思ってね」
 咄嗟に俯く。目深に被った帽子を使い、そこからも視線を逸らす。視線を逸らしても気配でわかる。口元に笑みを浮かべた牙琉霧人がこちらをじっと見ていることが。
「どんな顔ですか?」
「愛弟子を見る時の顔」
 口早にそう答える。彼から視線を逸らしたまま。
「……すごく優しい顔だな」
 嫌味の飾りを持たない本音が落ちた。穏やかに見守る師。何の疑いもなくそれを見上げる弟子。その様子に遠い過去が思い出され、胸が疼いたのが原因なのかもしれない。
「そうかな」
 不思議そうな呟き。とぼけているのか本当に自覚がないのか。判りかねたぼくは思わず彼の顔を見つめてしまっていた。牙琉は想像通りの微笑をぼくに向けていた。
「あなたを見る時も、ぼくはそういう顔をしていますよ」
 牙琉は微笑んだ。微かに下がった目尻、緩やかな線を描く唇。
「……親友のあなたを、ね。成歩堂」
 何とも言えない感情を覚え、再度目を逸らす。感情をうまく読めない相手は苦手だった。カードゲームで培った読心術もこの男の前では無駄になることも多かった。
 微笑みという無表情を牙琉霧人は常に浮かべている。微笑みも、何時だって浮かべ続けていればそれ以外の表情を消すことが出来る。
 この男の笑みが消える時があるのだろうか。少なくとも、ぼくはまだ一度もそれを見たことがない。
 数秒間、ぼんやりとしてしまった。気付いた時には彼の持つ長い指が自分の目前に迫っていた。逃げることも跳ね除けることもできずに。
「!」
「剃ってきなさいと言ったでしょう?」
 優しい表情とはアンバランスに、彼の手の力は強かった。ぞんざいに顎を掴まれ、驚いたぼくは相手を見返す。同じ高さから牙琉はぼくの目を見つめてにこりと笑う。そんなぼくの反応をたしなめる様に指を滑らせた。ざり、とした無精髭の硬い感触が指と顎の間に走った。
「そんな暇があったと思うか?」
「ないでしょうね」
 嫌味のつもりで鼻で笑ってやったのに牙琉はあっさりと引いた。悔しいけれど、皮肉な言葉や視線が彼の放つ穏やかな空気にあっさりと呑まれていくのを感じた。
「良心は痛まないのか?初めての法廷なんだろ、彼」
 飼い犬のようにいつまでも顎を掴まれているのは不快だった。右手で振り払いつつ会話を元の場所に戻す。牙琉は払われた手を胸の前に戻し、ゆっくりと腕を組む。そして微笑む。
「指名したのは依頼人のあなたでしょう?」
「差し向けたのは君だろ」
 牙琉は微笑みを浮かべたままぼくの言葉を受け止めた。否定もしなければ肯定もしない。本当に面倒な男だ。
 相手を探りあうような会話が急激に白々しく思えて、ぼくは俯いて息を吐き出す。
「……まぁ、良心なんてものはないか。君には」
「意地悪を言わないでください」
 牙琉は拗ねるようにして首を微かに傾げる。そんな時でも微笑みは絶やさないままだ。
 はっとぼくも軽く笑う。面白くもないのに笑いが落ちるのは、考えてみればおかしなことだった。けれどもぼくは笑った。そんなところがこの男と自分の共通点なのかもしれない。
───役者は揃ったな」
「ええ」
 独り言に牙琉が同意する。
 そうしてる間にも時計の針は進み、断罪の時が近付いてきていた。