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強い人だなぁ。
単純にそう思ってた。
たとえば、高い位置にある本をぼくが代わりに取ろうとしても。
平気平気、と笑ってヒールのある靴で背伸びして自分で取る。
その凛とした横顔を見ながらぼくは。
───世界で一番、ヒマワリの花をデザインしたバッジが似合う人だと思った。

初めて会ったとき、彼女はまだ幼さを残した顔で法廷に立っていた。
ぼくはなぜだか犯人にされていて、そのぼくを救ってくれたのが彼女…綾里千尋さんだった。
どういう星回りか、数年後にぼくは彼女の元で働くことになる。



やたらに重いため息が、ぼくの耳に届いた。
顔を上げ、そっとデスクの向こうの人物を伺う。
眉を中央に寄せ、何か必死に考えている様子の所長に向かって、ぼくは恐る恐る声を掛けた。

「所長………?」

一度目は反応なし。

「……所長」

二度目もやっぱり無視。……まぁ、それもそのはずだ。
こんな蚊の泣くような声では、誰も気付いてくれないだろう。

「所長!!」

思い切ってぼくは声を張り上げた。
その勢いのままついつい立ち上がってしまったぼくを、所長は目を丸くして見つめた。

「何、どうしたの?なるほどくん」
「ええと……」

疲れてるようですね、少し息抜きしたらどうですか。ぼく、コーヒー入れますよ───
言おうと思っていた言葉が、喉元まで迫る。

「?どうしたの」
「つ、つか、疲れて………」

そこまで口に出すと、所長の顔が一瞬で強張る。

「なぁに、もう疲れたの?仕事始めてまだ全然……」

そう言って時計を見、所長は再度目を丸くした。

「あら、もうこんな時間。なるほどくん、お腹すいたんでしょう。お昼行きましょう」

そういうと所長は腰を上げて、さっさと歩き出す。
いろんな意味で呆然としているぼくの横まで来て、優雅に腕を組んでぼくを見つめた。
反応の鈍いぼくをしばらく見つめた後。何かを悟ったように頷き、にっこりと微笑んだ。

「別に心配しなくていいわよ、おごってあげるから」

結局、ぼくの言いたかったことは一つも言えず。
いつもどおり、所長のペースに身を任せることとなった。
3歳の年齢差は、結構大きい。
というか、ぼくの経験値が低すぎるのだろうか……?




所長の落とした書類を、拾おうと腰をかがめようとしたら。

「あ、いいの。自分で拾うわ」

あっさりと断られてしまった。
引っ込みのつかない手をポケットに突っ込み、さっさと書類を拾い上げる所長を見ていた。

(うーん、隙がない…)

女の人で、あそこまで自立している人って珍しくないか?
言い方に語弊はあるけど、女の人で男に頼らずに生きてる人っていないんじゃないかなぁ。

(……所長も、誰かに頼ったりしてるんだろうな)

こんなに沢山の人が居るんだから。彼女につり合う完璧な誰かが、彼女を守っているんだろう。

(まぁ、ぼくみたいな人間には、頼れないって事なんだろうけど)

妙に納得した自分がいて。
こういうところが、駄目なんだろうなぁ、と余計に落ち込んでしまった。




ある日─── 珍しく所長の担当した裁判は長引いていた。
いつもだったら証人をガンガン揺さ振り、証拠品を叩きつけ、相手検事の異議をも通さぬ勢いで裁判を進める
所長だったが、今回は違っていた。
長時間の審議の結果、下された判決は有罪。
被告も自身の罪を認め、証人に嘘も矛盾もない。誰もが納得した結果だった。
そう、たった一人を除いては………

「千尋さん」

名前で呼ぶと、彼女は少し不機嫌そうにぼくを睨んだ。それでもぼくは強気の姿勢を崩さない。
理性を失って感情的になっている彼女の腕を掴み、無理矢理足を止めさせる。

「帰りましょう。次の依頼人が、待ってます」
「放して。私はまだあきらめないわ」
「もう有罪の判決が下ったんですよ?」

どんなに努力しても、事実は逆転のしようがないじゃないか。
序審法廷では、3日で決着がついてしまう。どんなに優秀な弁護士でも…そしてたとえその判決が真実と異なっていようとも、一度受けた判決を覆すことは不可能だ。

「被告は明らかに罪を犯している!それは所長だって認めているんでしょう?」

しかし、今回の事件は有罪という判決は間違っていない。やり直す必要なんて、ない。
彼女がどうしてそんなふうにこだわるのか、ぼくにはさっぱりわからない。
所長はあくまで冷静にぼくを見返す。

「あなたみたいな素人にはわからないわよ。いいから放し…」
「罪を犯した人でも信じて無罪にさせる…そんなに弁護士のモットーが大事なんですか!?」

冷たく突き放された物言いに、ついにぼくは切れてしまった。
廊下を歩いていた人々がぎょっとしてぼくたちを見た。

「ぼくにはわからないです……!そんな、弁護なんて…!」

ぼくは俯き、下を向く。彼女を視界に入れないように、斜め横を向いて。
数分の沈黙の後。
聞いたこともない、とても弱々しい呟きが耳に届いた。

「………だって。被告にはまだ小さな娘さんがいるのよ」

驚いてぼくは所長を見た。そしてさらに驚いた。
大きな、アーモンド形の目に浮かんでいたのはたくさんの涙。
それは今にも彼女の頬に落ちそうだった。肩を支え、人気のない控え室に彼女を招きいれた。

「母子家庭だと聞いたわ。その母親が…たった一人の母親がいなくなってしまったら」

置いてあったソファに腰を掛け、その手で自分自身を抱きしめて。
吐き出すように所長は言葉を続ける。

「誰がその子を守ってあげるの?」

所長には、離れて暮らす妹さんがいると聞いた。
詳しい事情はよく知らないが、どうも綾里姉妹に両親はいないらしい。

(妹さんと、その女の子を重ねてみてたんだ……)

ゆっくりと近づき、ぼくは床に膝をつく。腰掛ける所長の、目の前に。
逸らされていた視線が、少しの戸惑いの後、正面から合った。

(違う)

その瞬間、わかってしまった。誰よりも彼女が守りたかったもの。
それは被告でも、被告の家族でも、そして妹さんでもない。
孤独に震える、たった一人の自分自身のために。

「千尋さん」

微かに震える手のひらをそっと包む。
びくりと身体を揺らし、まるで怯えた子供のようにぼくを見つめ返した。

「大丈夫ですよ。千尋さん」

彼女は一人じゃない。究極の孤独を経験したことのある、ぼくにはわかる。
千尋さんを信頼して、愛している人間が少なくとも二人いる。

「ふたり………?」

唇を震わせて問い掛ける彼女の手に、力を込める。

「妹さんと……ぼくです」

千尋さんが微かに息を呑んだ。真っ直ぐ目を合わせて、ぼくは何度も頷いて見せた。
そして彼女は涙を隠すように、俯く。 包んでいた手を放し、ぼくは立ち上がった。
プライドの高い彼女だ。涙を他人に見せることは、最も嫌う行為だろう。
その代わりにそっと、下を向いたままの彼女の髪を撫でてみた。

「………千尋さん、なんかかわいいですね」
「生意気よ、なるほどくん」

聞いたことのない鼻声で、千尋さんは言い返してきた。その様子にぼくは笑う。
しばらく黙っていた千尋さんが、その後ぽつりと呟いた。

「ありがとう………なるほどくん」




化粧崩れした顔を隠すように、千尋さんはぼくの三歩前を歩く。夕日はすでに沈みかけている。
事務所までの帰り道は何だかいつもよりとても遠くて、そしていつもより穏やかに感じられた。
その背中をぼんやりと見つめていたら突然、肩を揺らして千尋さんが立ち止まった。

「ど、どうかしたんですか!?」
「最悪ね……靴まで壊れちゃったわ」

足元を見ていみると、見事なまでに彼女の高いヒールがべろんと剥がれていた。
しゃがんで近づいて見てみても、それはもはや修復不可能のようだ。

「困ったわね……この近くに靴屋あったかしら…」
「そうですねぇ…じゃあ、ハイ。どうぞ」

足元にしゃがんだまま、ぼくは背中を差し出した。
行動の意味が理解できていないみたいな千尋さんを、顔を上げて促す。

「おんぶですよ、おんぶ」
「!!な、なに言ってるの!そんなことできるわけないでしょう!?」
「じゃあ、裸足で帰るつもりですか?」
「………………」
「靴屋さんが見つかるまでの間ですから」

また泣きそうな顔をすると、千尋さんはおずおずとぼくの背中に身体を預けた。

「なるほどくん………今日のことは、全部忘れて」
「はいはい。わかってますよ、千尋さん」
「……これは所長命令よ。所長と呼びなさい!」
「はい、所長」

柔らかい夕日の橙、緩やかに吹く風。そして、背中に感じる体温。
その全てがいとおしかった。

無理しないで。そんなに強がって生きないでよ。

誰かじゃなくて、このぼくがあなたを守りますから。

 

●   
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うっはぁ!恥ずかしい!…でもなるほどくん素敵。おんぶはかなり恥ずかしいが。
千尋さんは大人ですけど、やっぱ超人てわけじゃないですから。
この二人は、ミスチルの「つよがり」って歌がピッタリです。 ヘタレ男と強気女。
いつかは真っ直ぐに向き合ってよ、って。向き合うまでもなく千尋さんは……うう、悲しい。
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