「なるほどくん?」
ぼくを呼ぶ、声。閉じていた目を開き、ぼくは振り返った。
揺れる長い黒髪、それに合わせてくるくるとせわしなく動く黒い瞳。
目が合うと真宵ちゃんはにこっと笑い、ぼくのスーツを引っ張る。
「いつまで手合わせてるの」
「もうちょっと…」
短く返事をし、ぼくはまた姿勢を元に戻す。ここは真宵ちゃんたちが暮らす場所、倉院の里だ。
この里の一番見晴らしいのいい場所に、いま千尋さんは眠っている。
電車で二時間。大して遠い場所でもないのだけれど、ぼくは初めて千尋さんの墓参りに来ていた。
「…………」
顔を上げる。無機質な石の下はどうみても寝心地のよいベッドには見えない。
こうして墓前の前に立つと、嫌でもその実感がわいてくる。
───千尋さんは、もういない。
その悲しい現実を避けるが故に、今まで彼女の墓参りを避けてきたのだ。
神乃木弁護士と出会うことによってぼくは、少しだけだけど彼女への気持ちを整理することができた。
「なるほどくんー?」
「あっ!待って真宵ちゃん、これだけ…」
退屈そうにしている真宵ちゃんを制して、ぼくは再び目を閉じて祈りだした。
いつからなんだろうか。ぼくは法廷に立つ前、彼女に祈ることが癖になっていた。
この事を知ったら、神乃木弁護士はぼくを笑うだろう。いまだ彼女を頼り続けている、このぼくを。
それでもぼくは、祈らずにはいられなかった。
目を閉じ、すべてを忘れただひたすらに彼女を想う。
(お願いです、所長……千尋さん)
(来週の裁判、どうか無罪になりますように……)
「───ちょっと。私は神様じゃないわよ?」
ふと、耳に届いた声。 真宵ちゃんにしては、少しだけ低い。この声は…
「ち、千尋さん…!!」
「私に祈られても困るわ。自分で勝ちなさい」
腕を組み優雅に微笑むその姿は、この墓に弔われている千尋さんのものだ。
突然の再会に驚いているぼくを見てにっこりと笑った。見慣れたあの、優しげな笑顔で。
「わかってますよ…気分的に、そうしたいだけなんです」
そう、と短く答えて千尋さんはまた微笑んだ。瞳の奥に戸惑いと嬉しさを揺らめかせて。
……時間が止まってしまった彼女と、流れ続けるぼく。
その事実を忘れることができないのだろう。
あと一歩踏み出せば触れ合うことのできる位置に立って、ぼくは千尋さんを見つめた。
ぼくの視線に気がつき、首を傾げて笑う。その彼女に微笑みを返し、ぼくは目を細める。
「千尋さん。ぼく、約束は守りますから」
「約束?なんだったかしら…?」
頬に手を添え、瞬きをする千尋さんにぼくは笑ってみせた。
今、ぼくは26歳だ。次の誕生日が来たら、ついに彼女の年齢に並んでしまう。
そしてその次の誕生日が来れば、年上だった彼女を追い越してしまう。
その時、強い春風がその場を通り抜けてぼくは目を閉じた。
「あれ、お姉ちゃん来てた?」
再び目を開くと、そこにいたのはもう千尋さんじゃなかった。
不思議そうに見上げてくる真宵ちゃんに頷いて答えると、ぼくは墓石へと視線を移した。
彼女が眠る、無言の場所へと。心の中で名を呼びかけながら。
───千尋さん。
年下のぼくは頼りなかったでしょう?でも、もうすぐです。
もうすぐ、あなたに追いつきますから。
あの時の約束は、今でも覚えています。ぼくはあなたの前から、消えません。
たとえあなたが消えても、ずっとずっとあなたを想っていますから。
だからもう、安心して眠っていてくださいね。 いくらでも季節が巡っても。
次の春が来ても、その次の春が来ても。
ずっとずっと永遠に。
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