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「参ったわね……」

思わず、弱音が零れ落ちてしまった。
やっと事務所に戻り、ソファに身体を沈める。
弁護士は、被告を庇う立場にある。被告にとっては神様のように見えるかもしれない。
けれども。
大切な人を奪われてしまった被害者側の人間からしてみたら、犯人の次に憎らしい相手なのかもしれない。

「裁判は明日、ですね」

私と同じく神妙な顔をしたなるほどくんが、ぽつりと呟く。
不器用そうな手で、今日集めた書類を整理しながら。

───男に詰め寄られた時、守ってくれた大きな手。 それがどんなに温かくて、心強かったか。

(……ありがとう、なるほどくん)

でも。この言葉は、言わない。 他人に頼りたくない。
一度頼ってしまうと、その心地よさに安心して動けなくなる自分が簡単に想像できるから。
私にはまだ、やらなければならないことがある。

「千尋さん」

いつもは呼ばない名前で呼ばれ、思わずどきりとする。
動揺を隠して振り返ると、そこには真剣は顔をしたなるほどくんが立っていた。

「千尋さん……この依頼、断りましょう。いや、ぼくが代わりにやります」
「何言ってるの、今更。それにあなた、まだ……」
「嫌なんです。千尋さんに、これ以上この事件にかかわって欲しくない」
「そんなこと言っても、裁判は明日なのよ?それとも何か、断って欲しい理由があるの?」

彼がこうして、私に反論するのは珍しいことだった。いつもは隣で頷いているだけなのに。
柔らかく聞いたつもりだったけど、彼はそのまま黙ってしまった。

しばらく、事務所に沈黙が流れる。

「千尋さん……理由なんてないです」

数回、瞬きを繰り返した後。なるほどくんの目が、私を正面から捕らえる。

「心配だから、じゃ駄目なんですか?」
「なるほどくん……?」

その射る様な視線に、私は動けなくなってしまった。
真剣な、瞳。
それは弟子じゃない。一人の男の人のもの。
ゆっくりと、彼が言葉の続きを言おうとする。

「千尋さん、ぼくは」

逃げられない。でも。

(……聞きたくない!)

「やめなさい!」

思わず叫んでしまった。開きかけた口を閉じて、なるほどくんは私を見つめる。
私はその彼の目を、睨みつけるように受け止めて。低い声で、彼に告げる。

「私は私のやり方で、やってきたの。一人で、ずっと」

───そう。私は弁護士。一人で戦うと決めた。

小さな妹を残し、里を下りた時に。
そして、信頼して師事した弁護士に裏切られ、この個人事務所を立ち上げた時に。

「あなたに口出しされたくないわ。はっきり言って、迷惑よ」

私には必要ない。安心して頼れる、腕なんて。頼りたくもない。
そんなもの、いらない。

「今日はもう帰っていいわ」

立ちすくむ彼の目の前を横切り、ドアの前に移動する。わざと音を立てて、ドアを開いてみせる。

「帰りなさい」

眉を下げ、泣きそうな表情で私を見るなるほどくんを睨みつける。
彼は何も言わなかった。 唇をかみ締めて、私の開いたドアをくぐり、そのまま出て行く。
胸を刺した痛みに一瞬、追いかけようかとも思った。でも、やめる。


ごめんね。ごめんなさいね。
私には、目的があるから。
私はあなたを受け入れられない。
絶対に、この一線は越せさせない。一生。

───ごめんね、なるほどくん。



次の日。地方裁判所・弁護人席に私は立っていた。
隣には誰もいない。なるほどくんは、来なかった。
無断欠勤を咎める気も、特にない。先に傷つけたのは、私の方なのだから……

「綾里弁護士?」

裁判長に名を呼ばれ、私は我に返った。

「すみません…弁護人側、準備完了しております」

そう宣言して、ふと視線を法廷内に泳がせた先に。

───!!)

ぞくりと、背中を寒気が走る。視線の先には、あの男。
傍聴席から、私をじっと見つめている人間。

『殺してやる…お前も殺してやる!!』

昨日投げつけられた言葉が、今また蘇ってきて。

(………大丈夫…大丈夫よ、千尋)

自分に言い聞かせて、心を落ち着かせる。

(私は弁護士なんだから。一人で戦えるわよね、千尋)

そして私は、前を見る。
隣に人が誰も立っていない、恐怖を振り切るように。



不安に思うことなんて、なかった。

「……では、10分間の休憩を取りたいと思います」

カン、と木槌が振り下ろされて、法廷にざわめきが生まれだす。
滞りなく審議は進み、私は一人ほっと息をついた。
特に予想外のことも起こらず、被告が無罪判決を受けるのも時間の問題に思えた。
後は、確実に尋問を進めていくだけ。
証言をまとめなおすために、私は書類をかき集め法廷から休憩室へと向かおうとした。
そして、足を踏み出したその時。

「所長!!」

なるほどくんの声が聞こえた。

顔を上げる。気がつくと、目の前に迫る人影。
男と目が合う。血走った目。昨日見た、私を憎んでいる目。
喉元に声が張り付いて、何も言えない。悲鳴を上げることすらできない。

男が、ゆっくりと腕を上げた。その手には何か金槌のようなものが握られていて。

そして男は、ニヤリと顔を歪めた。そのまま、勢いよく腕を振り下ろす。
口を開いても、声にならない。私はきつく目をつぶった。そして自分の手で顔を覆い隠す。

(助けて!!)

「千尋さん!!」

耳元で響いたのは、何かを殴る鈍い音。少し遅れて、上がる悲鳴。
それは私のじゃない。傍聴席にいた、誰かの。

「取り押さえろ!」
「早く!」

ばたばたと音を立てて、係官が駆けつける。そして暴れる男を捕まえた。
その男はわけのわからない言葉を発して、私に掴みかかろうとする。
でも、それは何だかとても遠くで起きている物事のようで。
私は逃げなかった。腰を抜かしたように、その場で座り込んでいただけだった。

「千尋さん?」

どうして、こんなにも遠いのか。それは耳元で囁かれて、やっと理由がわかった。
座り込んだ私の目の前に広がっているのは、青いスーツ。
私を抱え込んで、男の手が私に触れないように自分の身体で私を庇う、なるほどくん。

「怪我、ないですか?大丈夫ですか?」

言葉が出てこない。返事の代わりに何度も頷く。
震える手に気がついて、なるほどくんは私を抱く腕に力を込めた。

「なるほどくん……」

ぼんやりとしたまま、名前を呼ぶ。
ショックで働かない頭を、ゆっくりと動かしつつ今の状況を把握しようとした。
記憶を数分前まで巻き戻して……そして私は気がつく。

「なるほどくん、あなたは怪我ないの!?」

確かに聞こえた、鈍い音。何かが殴られた音。

「肩を、少しだけ……」

身体を少しだけ離すと、なるほどくんはへらりと笑ってそう答えた。
スーツの上からは傷が見えないけれど……
笑うなるほどくんの額に汗が浮かんでいることに気がついて、私は思わず泣きそうになってしまった。

「馬鹿ね……」

ゆるやかに腕を滑らせる。そして彼の背中しがみついた。きつく、スーツを握る。
震えはもう、納まっていた。伝わってくる体温に、少しだけ涙が滲む。
それを隠すため、私はなるほどくんの胸に額を押し当てた。

「本当に、馬鹿」

───それでも隠し切れなかったのは、声。
涙がまじった私の悪口に、なるほどくんは微かに笑う。
そして、なだめるように私の背中を一度だけ撫でた。




「結局、無罪だったんですか?」
「当然でしょ」

裁判所の帰り、狭いタクシー内に二人、肩を並べて。
なるほどくんの右肩を白い布が覆っている。その包帯が痛々しい。
でも当の本人は全然痛がってないみたいだ。
タクシーなんて珍しいですね、いつもは徒歩なのに、なんて言ってはしゃいでいる。

「でもびっくりしました。いきなり、傍聴席から男が千尋さんめがけて走っていって…」

結局、あの男はあの場で緊急逮捕された。 そしてその男は、自ら犯行を自白し始めたのだ。
彼女をとられ、悔しかったこと。その彼女は、自分を全く好いてくれなかったこと。
……そして。
被告を無罪にしようとする私が憎くて、凶行に及んだこと。

「怪しいって言ってたでしょう、ぼく!」
「依頼人が犯人だ、ってあなた言ってなかった?」

微笑みながらそう切り返すと、なるほどくんは眉を下げ笑って誤魔化した。

「でもよかったです、千尋さんに怪我がなくて」

優しく目を緩ませ、なるほどくんは呟く。
見つめられ、恥ずかしくなった私はさりげなく視線を窓の外に移した。

「………それに、遅刻したこと怒ってなくて」

かなりの小声でも、それはしっかり私の耳に届いた。振り向いて、首を傾げる。

「遅刻?」
「い、いや、今日に限って目覚ましが止まってたんですよ!不思議だと思いません?!」

顔を横に振り、なるほどくんは早口に弁解した。

「あなた、私が昨日言ったこと……」
「え?」

何のことだかわからない、といった様子でなるほどくんが瞬きをする。

(私の言葉に、傷付いたわけじゃなかったのね……)

その顔に、安心した途端。
不安で一杯だった心が、急に解放されて。

「ありがとう」

そう一言だけ呟いて、目を閉じる。
無防備な彼の頬に、軽く唇をあてた。

「!!!!!ち、ちちち千尋さん!!!!」
「何だか疲れちゃった。ねぇ、事務所に着くまで肩、貸してね」

顔を真っ赤にさせて動揺するなるほどくんの、包帯のない方の肩を抱き寄せて。
身体を傾けて、寄りかかる。そして私は、目を閉じた。

 

ごめんね。ごめんなさいね。
私には、目的があるから。
今の私は、あなたを受け入れられない。

それでも時々、あなたの肩を借りてもいい?
こうやって二人でいる時間が、私にとってなにより安らげる場所なの。

………そして、いつか。
私の目的を果たすことができたら。

あなたに堂々と甘えてもいい? あなたに頼っても、いい?
今日みたいに、私を守ってくれるかしら…?


───それまでごめんね、なるほどくん。そして、ありがとう。

 

 

●   
・.

 

















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無駄に長いですが。ほのぼの、最後はチョト悲しい風味で。
完璧じゃない王子様のなるほどくんが好きです。この話だと王子というより、騎士かな?
千尋さんは、やっぱり弱い女性で。下手したら真宵ちゃんより弱いと思います。
一人で大丈夫、って言い聞かせるような人は大丈夫じゃないでしょう。
一度、甘えたらふにゃふにゃになってしまうイメージ。強がり言って突っぱねる姿に萌え。
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