top> I think.

 

 

 

 

 
______________________________________________________________________________

 

 



目の前が真っ暗になった。低い音が辺りを包む。揺れる。

「地震………!」

後方から怯えた声。か弱い、女性の声。

(お…とう………)

それに混じり、もう一人の声が頭に響く。怯えた子供の。
泣きじゃくる声。胸が痛い。息がうまくできない。

(お父さん───

……違う。誰の?誰の声なのだ?これは。
呼吸が止まる。何も見えない。ここは───どこだ?
狭い空間。閉じ込められた四角い場所。泣き叫ぶのは、昔の……

(お父さん!)

悲痛な叫びに心臓が痛む。その痛みに耐え切れず、思わず雪の上に両膝をついた。

「御剣さま…!?」

俯いたままの自分に、そっと触れる体温。葉桜院あやめのもの。
息を吸うこともできず、吐くこともできずに、私は顔を上げた。
ぼやける視界にうつるのは、気遣わしげに私を覗き込む一人の女性。視線が定まらない。
確認しなければ。彼女は被告人だ。逃すわけにはいかない。 彼女は───

…すまないな、御剣。

成歩堂さんが、それに巻き込まれてほしくなかったのです。

彼女を、守ってあげてほしい。


(彼女は、成歩堂の何なのだ?)

瞬きを数回繰り返した後。
徐々にはっきりしてきた視界に、眉を寄せるあやめさんの姿が見えた。
私の視線から目を逸らし、俯く。そして小声で何かを囁く。
動揺した耳では聞き取れず、首を振る。ともにしゃがみこんでいた彼女がふいに、腰を上げた。
とっさに手を握る。きつく握られて、痛みからか彼女の顔が歪んでいた。

(行かないでくれ────

再び聞こえた声に、ぎくりとする。
悲痛な叫び。悲しみの声。
頭の中に響く声。……誰の声?それは紛れもなく。

(私から、彼を)

「奪わないでくれ……」

掠れた声が唇から落ちた。頬を流れ落ちた水滴にぎくりとする。───涙かと思った。
汗ばむ手のひらの隙をついて、彼女の手はするりと抜けてしまう。

「……申し訳ありません、御剣さま」

留置所で見た苦しげな表情を滲ませた彼女の、唇がそう動いた。
手を伸ばす間もなく彼女の身体が遠ざかる。
座り込んだまま何も動けない私を置いて、彼女は行ってしまった。

───彼女は何に対して謝罪した?
そんな簡単な理由ですら、その時の私には理解することができなかった。



・.




「申し訳ありません、御剣さま」

次は透明の壁で仕切られた部屋の中で、彼女は再び謝罪した。
まつげを伏せ囁くように話す彼女は今、以前とは違う罪に問われている。
彼女が何に対して謝るのか、考えるまでもない。
被告である自分が、勝手な行動をとったことを謝罪しているのだ。
私が首を振り、その謝罪に答えるとあやめさんはほっとしたように表情を緩めた。

あの時、私がなぜ彼女を引き止めたのか。
───
何を思って、誰を思い浮かべて彼女の手を握り締めたのか。
その本当の理由を、彼女が知るわけがない。

「成歩堂は?」
「ええ、先ほどお見えになられて…」

素直な女性なのだろう。成歩堂の名を口にすると、かすかに頬を赤らめた。

「このような私を、助けてくださるとおっしゃって…」
「……前に言ったはずです。成歩堂は、そういう男です」

瞳を緩ませ、あやめさんは嬉しげに微笑んだ。

「私も以前、彼に救われた事があります」

私の言葉に彼女は顔を上げる。その顔を真っ直ぐに見つめ、言葉を続ける。

「何度も裏切って傷つけた私を、彼は真っ直ぐに信じてくれた。
そして、その手で私を救い出してくれたのです」
「……御剣さまも、リュウちゃん…いえ、成歩堂さんを…?」

一度だけ頷き、私は自分の罪を認めた。

一番最初は9歳のとき。二度目は、彼からの手紙を無視した時に。
そして三度目。 書き置き一つ残し、彼に何も言わず離れたあの時。
成歩堂はその度に、傷付いたのだろう。それでも彼は私に手を差し伸べた。

(それはきっと、私が特別だからだということではなく……)

わかっている。
彼の性格から、その行動をとったのだろう。手を差し出す相手は、何も私だけではない。
目の前に座る黒髪の女性。成歩堂は今、この女性に向かって手を差し出している。

彼女と目が合った瞬間、胸の奥が軋んだ。

唇を結び、真っ直ぐに私を見つめる彼女に向かって私は笑みをこぼした。
それを見て、あやめさんはわずかに目を瞠る。

「彼はきっとあなたを救い出すだろう。必ず」

───それはきっと、相手があなたでもなくとも。

その最後の言葉は、とっさに飲み込んだ。しかし彼女は察したようだった。
悲しげに目を伏せるあやめさんを置いて、私は留置所を後にした。


・.




「何してるんだよ、相棒」

声が上から落ちてきた。視線を上げると、日の光を後ろに背負い彼が笑っていた。

「成歩堂か」
「何たそがれてんの?」

私の顔を覗き込むようにしてまた笑うと、成歩堂は隣りに腰を掛けた。
裁判所の近くの公園で一人ベンチに腰掛けていた私を見て、成歩堂は不思議そうな顔をする。

「驚いたよ。傍聴席に見慣れた顔があると思ったら…」
「戻る前にもう一度、君の審理を見ておこうと思ってな」
「ふーん、戻るんだ」

その呟きには感情が全くこもっていなかった。心情を問いただそうと口を開きかけ、やめる。
彼が私に執着する時期は、もう終わったのだ。あの事件が解決した瞬間に。
口を閉ざした私に気付く様子もなく、成歩堂は首を傾げて笑う。

「お前さぁ、一体いつからぼくの相棒になったんだよ」

口調はいつもと変わらない、成歩堂のもの。深い意味はない。
…ない、はずだ。

「御剣?」
「私は君の相棒ではないのか?」

顔を上げ逆に問いかけると、成歩堂の目が一瞬だけ見開く。しかしそれはすぐに緩む。

「相棒かな?…なんか、しっくりこないんだけど?」
「そうか」

穏やかな微笑みを私に返し成歩堂は答えた。
その優しさがなぜか痛くて、私は俯く。

「御剣ー?」

あきれたような成歩堂の声に、顔を上げたかった。
いつものように笑い返して、皮肉のひとつでも返して彼を怒らせて──
しかし、今の私にはどうしてもできなかった。

「あやめさんの…」
「え?」
「あやめさんの弁護を引き受けたと聞いたが」
「ああ、うん。助けてあげたいから」

迷いのない瞳で彼は頷く。
それは私も見たことのある、ひたむきで強い光を持つもの。
あの時は私が、透明の壁の向こうにいた。
あの時は私が、成歩堂の目標だった。
しかし今、私は彼の横にいる。そして彼の瞳に、今の私は存在していない。

「……御剣?なんか変だぞ、お前」
「いや……君は変わらないな」
「会話になってないよ」

困惑したような成歩堂の呟きを無視して、私は隣に座る彼の手を握り締めた。
突然のことに一瞬、彼の手が逃げようとしたのがわかった。
すがるような気持ちで、その手に力を込める。
成歩堂は、逃げなかった。

君は今までだって、これからだってその手を差し出していくのだろう。
困っている人を救うために、立ち上がらせるために。
その手が自分だけのものじゃないことぐらい、ずっと知っていた。気付いていた。
それでも、愚かな私は祈ってしまうのだ。
君の手がずっと、私だけの手を引いてくれることを。

「痛いよ、御剣」

きつく握り締めた手の力に、成歩堂が苦笑した。
こんなことを口にしたら、君に失望されてしまうのだろう。
こんな自分に私自身でさえ、失望しているというのに。

だから、私は君に。

何も言わない。
何も言えない。

ただ黙って、君の事ばかりを考えている。



●   
・.

 

















______________________________________________________________________________
やっぱりミタンがありえないくらいに女々しい!!
人に嫉妬する姿は醜いですね。

________________________________________________________________________________________________________________________________________________________________________________________________________________________________
top> I think.