ぼんやりとした視界に映る、君の顔。
「御剣?」
成歩堂が私の名を呼んだ。
次第に覚醒していく意識の中、彼の顔が悲しく歪んでいるのに気がついた。
「…どうした?」
「え」
指を向け、彼の頬に触れる。
ひじをついて私を覗き込む成歩堂は目を丸くして首を振った 。
「ううん。ちょっとね」
「何だ」
瞬きを数回して、成歩堂は私の顔を再度見つめた。黒い瞳がじっと私を見据える。
「悲しい夢でも見た?眉間にシワがよってる」
寝てる時くらい嬉しそうな顔したらいいのに、と成歩堂はぽつりと呟いた。
「よく覚えてないが…子供の頃の夢を見ていたような気がする」
「それが悲しい夢なのか?」
私の言葉に、成歩堂の眉がまた下がった。
私は薄く笑い、彼を引き寄せて頬に口付けした。
「なぜ君が悲しそうな顔をする?」
無言で首を振った後、真っ直ぐな目で成歩堂は言った。
「子供の君に会いたいよ」
「ム?」
「そしたらぼくが、弁護したのに」
私は眉をひそめて彼を見た。成歩堂が過去を持ち出すのは、珍しいことだった。
思い出を語り合うこともあったがそれはあくまで笑い話としてで、
あの事件に関わるような事は一度も話した事がなかった。
それは私が、その話題を頑なに拒絶していたからであって──
「ぼくが思っていたよりも、君は過去に苦しんでいる様だから」
真っ直ぐな瞳のまま、彼は呟いた。その少年の頃と全く変わらない瞳で、私を見つめる。
「ぼくは馬鹿で単純だからね。犯人がわかりさえすれば…君の無罪を証明すれば前みたいに
戻れると思ってたんだ」
私は彼とともに王都楼の自宅に踏み込んだ時のことを思い出した。
あの時、私は暖炉を見て少年時代を思い出してしまった。
それを拒絶した私の様子に、彼は心底驚いていたようだった。
助けてくれた成歩堂には申し訳ないとは思うが、そう簡単に過去が消えるわけではない。
「ぼくが灰根さんの無実を証明していれば、君が悪夢にうなされることもなかった」
「それはそうだが…」
そうすればDL6事件は解決し、狩魔検事は逮捕され、私は父の遺志をついで弁護士となったのだろう。
悪夢にうなされることも、子供の頃の記憶を忌まわしいものとして封じ込めることもなく。
深い目をして黙り込む成歩堂の耳に手を伸ばした。
そして手を頬に添え、引き寄せる。 軽い口付けを交わし、私はできうる限り優しく微笑んだ。
「子供の私に君を口説かせるつもりか?」
「なんだよそれ」
私の言葉と表情に、目を丸くする。そして、くしゃっと顔を崩して彼は笑った。
それを見て思う。
過去を怨まない日をなかったといえば嘘になる。
罪を憎み、有罪を勝ち取る事しか考えてなかったあの頃。
留置所に入れられ、無実の自分が有罪にされる恐怖を今更ながら悟ったあの夜。
そして、師匠である人が自分を憎み、それ故に私を育てたことを知ったあの瞬間。
それは全て、あの事件の裁判が間違った判決で幕を閉じたからこそ。
確かに成歩堂があの裁判に立っていれば、このような悲劇は生まれなかったのかもしれない。
───だが、しかし。
様々な事件を経て、私は今こうして検事として立つ事ができた。
地震に怯えてしまうことも、それを支えてくれる手の心強さを知ることができた。
罪に問われた時、ただ自分を信じてくれた人の存在に気付くことができた。
こうして君に触れるたび、肌の温かさを感じることが出来る。
他人の肌に寄り添い、安らかに眠る心地よさを教わった。
すべてが愛しいと思える。すべてが今の私に繋がる。
そう思わせてくれたのは、他でもない。成歩堂、君のおかげだ。
もう終わってしまった過去を消すことはできない。
痛みの伴う思い出の数々は、愛しい君からの数え切れないキスで覆いつくしてくれればいい。
「御剣」
成歩堂は泣きそうな顔で私の名前を呼んだ。そして腕を回して、私の身体をきつく抱いた。
「もしも、君が子供だったら…困るな。非常に困る」
私の独り言に、成歩堂は顔を上げ不思議そうな表情をした。
「成歩堂。刑法第224条」
「……未成年者略取及び誘拐?」
「うム。未成年者を略取し、又は誘拐した者は、3ヶ月以上5年以下の懲役に処する」
「……って、おい!子供のぼくに何する気なんだよ、御剣!」
成歩堂は拳を作り、軽く私の胸を殴った。ふたり声を合わせて笑う。
「子供のぼくは弁護できないからね」
「有罪決定だな」
笑いの余韻の残った唇で、私はキスをせがんだ。
最初は触れ合うだけだった口付けは、次第に深く激しくなっていく。
成歩堂、私を温めてくれ。
不安な夢を見た後は君がその身体を使って、温めて眠らせてくれ。
「御剣…これじゃあ余計、目が覚めない?」
唇を離し、成歩堂は濡れた唇でぽつりと呟く。
「そうだな…では、この後ゆっくり眠れるよう汗をかかせてくれ」
「ハイハイ」
私のわがままに成歩堂は笑う。
自分の身体を起こして彼の上に運ぶと、両手で顔を包み込み額に唇を 触れさせた。
くすぐったさに笑みをこぼした成歩堂が、今度は逆に私の顔を引き寄せとても丁寧なキスをしてくれた。
何ともいえない幸福感を感じ、私はゆっくりと目を閉じた。
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