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御剣。
覚えてるか?
君が読んでいた本を、ぼくが奪ったこと。



・.


「乗らないの?」

エレベーターの前で、立ち尽くしていた男に声を掛ける。
するとそいつは身体をびくりと震わせて、ぼくを振り返った。

「成歩堂……」

振り向いた顔は、とても強張っていてぼくは思わず目を丸くする。
そんなぼくを見て、彼の眉間の しわは益々深くなった。

「御剣…?……怖いんだけど」

汗をかきながら、正直に告げる。でも御剣は何も言わない。
ふい、とぼくから視線を逸らして俯く。

(……ぼくって、嫌われてる…?)

9歳の時に別れてしまった親友は、何もかもが変わってしまっていた。
冷たい視線、固い口調。いつもぼくを憎むような目で、睨む。
そして、卑劣な手で被告を有罪に陥れる検事として法廷に立っていた。

「…今から裁判?ぼくはもう、帰るとこなんだけど」
「………」

返事はない。
何通も送った手紙も無視されて、こうやって目の前に立っていてもやっぱり 無視されて。
ぼくと御剣の目が合うのは、裁判の時だけ。
弁護人席に立っていれば、御剣はぼくを見るし、ぼくの言うことも聞く。

(弁護士になったことは正解だったかな……)

自分でも単純な方法だと思ったけど、案外この男も思考は単純なのかもしれない。

「………いい加減にしないと、法廷で告白するぞ」

ぼそりと呟くと、御剣がぼくを横目で睨んだ。

「あ、聞こえた?」
「何のことだ」
「なんでもないよ」

へらりと口を緩めて笑うと、御剣は眉間のしわをさらに深くする。
奴にとってぼくは、何をしても何を言っても不快感を与える役割しかしないらしい。

(うーん)

口元から笑みを消して、考え込む。エレベーターはまだ来ない。
ぼくは話しかけることをあきらめ、奴の隣に並んだ。その時、ふと思い出した。
……そういえば、あの頃もこんなことがあったっけ。

小学4年の夏、学級裁判。その後、助けてもらった恩を感じたぼくは御剣に付きまとった。
御剣、御剣、と何度も名前を呼ぶぼくを、まだ小さかった彼も無視してくれたっけ。
どうも人見知りの激しい彼は、いきなりくっついてきたぼくをどう扱っていいのかわからなかったようだ。
それから数日後、結局仲良くなったのだけれど…

「あ」

突然、声を上げたぼくに御剣はびくりと肩を揺らした。
何をそんなに怯えているのか、御剣は固い表情でぼくを見つめ返す。

「なんでもない……けど、ごめんね御剣」

唐突に謝られ、御剣の表情はますます固くなった。そして逸らされる視線。
ぼくはその横顔を 見つめながら、心の中で問いかける。

……なぁ、御剣。覚えてるか?

15年前の、教室で。ぼくが名前を呼んでも、君はなかなか答えてくれなかった。
手元の本に視線を落とし、ぼくを全く見ようともしないで。
悔しく思ったぼくがとった行動は……君のその手から読んでいた本を、奪いとった。
ぼくを見てほしくて。ぼく以外のものに向かっている視線を、ぼくに向けさせたかったんだ。

(あの頃からぼくは、御剣に執着してたんだなぁ…)

思い出から目覚めるために、数回瞬きをした。すると御剣の目が、ぼくを捕らえていた。
ぼくはびっくりして、また瞬きをした。それでも御剣の視線は、ぼくに注がれたままだった。

「御剣?」
「……君は何がしたい?私を負かしたいのか?」

険しい表情で御剣はぼくに問いかけた。奴から質問されたことと、その質問内容に驚きつつも
首を振る。

「そんなつもりじゃないよ」
「そのバッジをつけて、私の目の前に立って。……憎んでほしいのか?」

ぼくは言葉を失ってしまった。そのかわりに首を振る。
逸らした目に、エレベーターの階数を示すランプが映った。
それはひとつひとつ、確実に近付いてくる。ぼくたちのいる場所へ。
気がつくと御剣もそれを見つめていた。ぼくが御剣に視線を移していたことに気がつくと、青白い顔でぼくを睨む。
どうして、御剣はそんな目でぼくを見る?
誰が誰を憎む?御剣が?ぼくを?弁護士を?
……前に言われた、冷たい言葉が蘇る。

(二度と、私の目の前に現れるな)

「君は目障りだ」

冷たい言葉を吐き出し、御剣はその場を離れようとした。エレベーターはまだ来ない。

「何でだよ!」

ぼくはもどかしくなって、声を張り上げた。手を伸ばして、御剣の肩を掴む。
乱暴にこちらを向かせようとした。

「御剣!」

その時、脳裏に浮かんだのは9歳の御剣怜侍。
何を言っても響かない横顔、振り向かないその視線。15年前と同じだ。
───ぼくの中で何かが弾けた。
ぼくは御剣の腕を取った。あの時は本だった。でも、今はわからない。
何が御剣の視線を独占している?一体、何が彼を支配している?

「な…」

御剣の声が、途中で途切れた。 ぼくは何も考えられなかった。
気がついたら唇を、御剣の唇にぶつけていた。
顔を離すと、御剣が目を見開いてぼくを見ていた。ぼくも同じような表情をしていたんだと思う。
逸らされていた視線を、ぼくに向かせたかった。それだけだった。
御剣の視線は今、ぼくに向かっている。

「ぼくは君が…」

言いかけたぼくの口を、御剣の手が塞いだ。ぼくは首を振って、それでも言おうともがく。
ぐい、と思い切り押さえつけられて、ぼくはバランスを崩した。
身体の後ろで、扉の開く気配。

「御剣、ぼくは」

気がついたら、エレベーターの中に押し込められていた。
険しい表情のまま、御剣はぼくを追ってきた。狭い箱の中には誰もいない。
御剣は最上階へのボタンを押す。そして。

「!…な、…」

ぼくに向き直ると同時に、再び触れ合う唇。身体が壁に押さえつけられた。
空間が移動する、奇妙な感覚。二人の身体が上に昇り始める。

「…あッ」

思わず声が漏れた。御剣がぼくの肩にもたれている。その手には、ぼく自身が握られて。
予想外の行動に、ぼくはただ声を上げることしか出来なかった。
布の上からでも、その敏感な場所は奴の指に反応してしまう。

「…っ、や…」

御剣の手のひらが、ぼくを刺激した。首を振る。血が集まっていく感覚。
押し返す腕は身体で封じ込められてしまう。息を吐く。次の瞬間、唇を塞がれる。
目をつぶりそれに応じた。そしてぼくも手を伸ばして、御剣のそれに触れた。
固くなった感覚。でも、唇に触れてるのは柔らかい感覚。

───気が変になってしまいそうだ。

「み、…御剣ッ!」

狭い箱の中で、ぼくたちは我を忘れて抱き合った。






ぐん、と何とも言えない音を立ててその箱は停止した。
重厚な扉が真ん中からぱっくりと割れて、外の世界の光を薄暗い空間に呼び込む。
密着している御剣の肩越しに現れた世界に、ぼくはほっとしたような
悲しいような奇妙な感覚を感じた。
ぼくがその光に目を細めた途端、思い切り胸を叩かれ、身体の力が抜けていたぼくは
その場に座り込んでしまう。御剣は乱暴な仕草で自分の濡れた唇を拭った。
ぼくを一度、きつく睨むと踵を返し外の世界に戻ろうとする。

「…っ、…御剣ッ!」

長く激しい口付けにより上がってしまった息を押さえて、ぼくは奴の名前を呼んだ。
御剣は振り返りもしない。
悔しくなってぼくは、思い切り拳で床を叩いた。俯いて歯を食いしばる。
───
何で。

「もう一度言う……」

ぼくは驚いて顔を上げた。御剣はやっぱり、ぼくに背中を向けたままだった。
そのまま、静かに告げる。

「二度と、私の目の前に現れるな」

その言葉がぼくの耳に届いた瞬間、エレベーターの扉が音もなく動き出した。
ゆっくりと、ぼくから外の世界を狭めていく。

「御剣」

辛うじて声が出た。 ぼくの声に御剣がやっと振り返った。目が、合った。
でもその次の瞬間。
扉が両側から迫ってきて、御剣の姿を隠していく。消していく。見えなくなっていく。

「御剣」

何を言えばよかったんだろう?わからずにぼくは、再度奴の名前を呼んだ。
答えは返ってこなかった。

そして扉は全てを覆いつくし、御剣の姿は完全にぼくの視界から消えた。

 

 


●   
・.

 

















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何を今更、の1-3〜4の間のお話。
裏テーマは触りっこでした。
最初の方、ナルミツっぽいなぁ。

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