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「うわ…っ!やだって…もう、やめろってば!!」

涙混じりのぼくの情けない声と事務所の扉が開いたのはほぼ同時のことだった。
その扉を開けた人物……御剣と目が合うと、奴はその細い目をこれ以上ないくらい大きく見開く。その視線が自分の肌蹴られた胸元に注がれているのに気付き、ぼくは慌てて両手で露出していた自分の肌を隠した。

「何見てるんだよ御剣!今取り込んでるんだけど」

御剣はぶつけられたぼくの言葉に答えることなく、目を見開いてぼくの姿を凝視する。
よく見ると唇がわなわなと震えている。異常に気付いたぼくが足を一歩だけ進めその顔を覗き込もうとしたその時、ものすごい勢いで両肩を掴まれた。
容赦ない力で爪にシャツが食い込み、ぼくは抗議しようと相手を睨みつける。
しかし、ぼくに詰め寄る御剣のあまりの様子に言葉を失ってしまった。
御剣はぼくの肩を強く掴んだまま声を張り上げる。

「ななななにをしているのだ成歩堂!私以外の人間とそのような事を」
「馬鹿じゃないのか、何言ってるんだよ!」

いきなり飛び出してきた台詞に思わず負けじと声を張り上げた時。
騒ぎを聞きつけたのか真宵ちゃんがひょこりと顔を出した。続いて見えるのは春美ちゃんの姿。

「あ、御剣検事こんにちはー」

真宵ちゃんの言葉と共に春美ちゃんがぺこりと頭を下げる。ぼくは掴まれたままだった自分の肩を解放するため、御剣の額を思い切り叩く。
ぴしゃりと小気味よい音が響いて御剣の身体がぼくから離れる。
ほっとしたのもつかの間。

「もう、なるほどくん!なんで逃げるの!」

御剣に向けていた笑顔を瞬時に強張らせ、真宵ちゃんがぼくに向かって怒る。ぼくはそれにまるで子供のように唇を尖らせた。

「嫌だよ、シワになるじゃないか」
「そんなのクリーニングに出せばいいじゃない」

睨み合うぼくたちを春美ちゃんが低い位置から、御剣がぼくとほとんど同じ位置から見守る。しばらくして御剣が唖然とした様子で口を開いた。

「君たちは一体、何をしているのだ……?」

ぼくをきつく睨む表情を一転させ、真宵ちゃんは御剣に向かってにっこりと微笑んだ。

「はみちゃんにネクタイの結び方を教えてるんですよ」
「ネクタイ……?」

真宵ちゃんのあっけらかんとした言葉を御剣は首を捻りつつ繰り返した。そしてぼくの顔と、ぶらりと情けなく首にぶら下がる赤いネクタイを見る。そうしてやっと御剣はほっと表情を緩めた。

「何一人で勘違いしてるんだよ」

ぼくはあきれた視線を御剣に注ぎつつ、ため息混じりに呟く。
間違っても小柄とは言えないぼくを押し倒そうとするなんて、御剣以外にいるわけないじゃないか。
そう言おうとしてぼくは寸前で口を閉じる。子供のいる前で言うことじゃないだろう。

「ホラ、なるほどくん!はみちゃんにもう一回見せてあげるんだから」

御剣に気を取られていたぼくのネクタイを引っ掴み、真宵ちゃんはぼくと向き合った。
これ以上抵抗しても疲れるだけだろう。観念したぼくはげんなりとした表情を作りつつ、正面に位置する真宵ちゃんに言う。

「首締めるなよ」
「大丈夫大丈夫。いい?はみちゃん、よく見といてね!」
「ハイ、真宵さま!」

春美ちゃんが大きく頷くのを確認すると、真宵ちゃんはぼくの赤いネクタイを指に絡ませる。

「ずっと前にお姉ちゃんに教わったんだ」

そう言いつつ真宵ちゃんは慣れた手つきでネクタイを結び始めた。
長い、赤い布がするすると動いていく道筋を春美ちゃんと御剣が並んで見守る。真宵ちゃんは迷いのない仕草で結びながら得意げに胸を張った。

「こう見えてもあたし、着付けだってできるんですからね!」
「ほう」
「自分で着るものだもん。毎日着せてもらってたら大変だよ」

感心の声を漏らした御剣に真宵ちゃんは笑いながら言う。

「ハイ、できあがり!」

数秒間でただの紐だったネクタイはきちんと整い、ぼくの襟元を堂々と飾っていた。真宵ちゃんはそれを見て満足げに頷いた。

「なるほどくん、ちゃんとしてると腕利きの弁護士に見えるよ」
「見えるんじゃなくて実際そうなんだよ」

調子を合わせて笑い合ってると春美ちゃんがぼくを見上げていた。そして必死な表情で訴えてくる。
「あの!わたくしも、ねくたいを結んでみたいのですが……」
「よし、はみちゃんがんばれ!」

この二人は事務所の所長であるぼくを一体何だと思っているんだろう……
そう思いつつもぼくは指を掛けて結ばれたばかりのネクタイを解く。そして小さい春美ちゃんにも手が届くよう、ぼくはソファに座って視線を彼女と合わせた。
たかがネクタイを結ぶだけなのに春美ちゃんの手は緊張で見るからに固くなっていた。解すためににこりと笑いかけると春美ちゃんはぱぁっと表情を輝かせた。
そして隣で見守る真宵ちゃんと視線を合わせて一回頷くと、意を決したようにぼくのネクタイを掴む。

「では、結ばせていただきます!」

そう意気込んだ姿が可愛らしくてぼくは思わず顔をほころばせた。
姉も兄も妹も弟もいないぼくだけど、きっと妹がいたらこんな感じなんだろう。いやでも妹にしては歳が離れすぎているかもしれない。姪とか……もしかしたら、娘とか?
いやいやいやぼくはまだ二十六歳だぞ娘なんて早すぎる、と自分自身につっ込んでいる内にネクタイは綺麗な結び目を作り出していた。

「できました!」
「すごい、はみちゃん!」

真宵ちゃんはまるで自分のことの様に手を叩いて喜ぶ。
よくできました、と呟いてぼくは腰を上げた。

「ありがとう、春美ちゃん」

髪の上に自分の手のひらを乗せてぽんぽんと弾ませると春美ちゃんは照れくさそうに、けれどもとても嬉しそうににこにこと笑った。真宵ちゃんは両手を胸の前で合わせてぼくを見る。

「次はなるほどくんだね」
「ぼくはネクタイ結べるぞ」
「違う違う、なるほどくんはこの装束の着方を覚えるんだよ!」
「ええっ!やだよ、そんなの着たくないよ」
「そんなのとは失礼です!」

三人でじゃれ合うこと数分。
気付けば一人蚊帳の外、といった様子の御剣が憮然とした表情でぼくたちを見つめていた。
取り繕ったようにへらりと笑ったぼくをじろりと睨む。

「そういえば御剣検事はネクタイ結べるの?」

真宵ちゃんはそんな御剣の不機嫌オーラを物ともせず、首を傾げて御剣を覗き込んだ。ム、と短く唸ると御剣は短い眉をひそめる。
端正な顔立ちに凄みをきかせるととても恐ろしい。御剣がはるか昔、鬼検事と呼ばれていたのはその振る舞いを指していたのだろうけどこの恐ろしい顔も関係しているのではないか。

「……それくらい出来る」

御剣の返答にぼくはあーあと思った。くらい、なんて言ったら出来なかった時の言い訳が苦しくなるだけなのに。真宵ちゃんは御剣の返答に込められた葛藤なんて全く気にせずにこりと笑った。

「じゃあじゃあ、やってみてください」
「ぬぉぉぉ!!」

御剣は法廷に立つ時みたいに目を見開いて仰け反った。それを見てぼくはもう一度思う。あーあ、と。
だからあんな強がりは言わなければいいのに。でもきっと、御剣のプライドが許さないのだろう。出来ませんと素直に認めることなんて。春美ちゃんみたいな小さな子が先に実演しているこの状況で。

「さぁさぁなるほどくん」

真宵ちゃんが強引にぼくのネクタイを崩し、背中を押してくる。千尋さんといい、この姉妹は時々細い腕に驚くべき力を持っている。春美ちゃんの平手打ちもなかなかのものだし、つくづく倉院の里という場所には脅威を感じる。
と、今はそんなことよりも。
真正面から向き合った御剣は恐ろしい視線でぼくを……というよりはネクタイを睨み付ける。

「ム……では、いくぞ」

生真面目すぎて笑えない挨拶にぼくは、はいはい、どうにでもと両手を挙げてみせる。
でもぼくは即座にその態度を悔やむこととなった。

「苦しい苦しい御剣、絞まってる!!」
「ム」

御剣の指とネクタイはものの数秒で絡まり、何故かぼくの首を締め付けるという恐ろしい事態に陥っていた。力の込められている両腕を叩いて何とか呪縛を解いた。俄かに不足した酸素を思い切り吸い上げて御剣を睨みつけた。御剣は両手を宙に浮かべたまま呆然としている。自分の仕出かしたことがよくわかっていないらしい。
ああもう。何だってコイツはこんなにも───

「不器用なのかねぇ」

自分の心の声を見事に代弁され、驚くのが少し遅れてしまった。
先に異常に気が付いたのは真宵ちゃんだった。

「ヤッパリさん!どうしたんですか!?」

真宵ちゃんの高い声にわざとらしく片目をつぶり自分をアピールする姿は、どこからどう見ても小学生の時からの悪友である矢張政志だった。矢張はぼくと御剣の姿を見比べるとよっと軽く手を上げた。

「何故貴様がここにいるのだ!」
「矢張お前、仕事中に来るなって言ってるだろ!?」

何ともひどい言葉を双方から投げ付けられても矢張は全く動じなかった。挨拶代わりに真宵ちゃんと春美ちゃんの容姿をさらりと誉め、気付けばどっかりとソファに腰を下している。

「ここのホーリツ事務所は相談にも乗ってくれねぇのかよぉ。冷てぇじゃねぇか!」

あまり大声で人聞きの悪いことを言わないでほしい。とりあえず、矢張の向かい側に腰を下ろし目だけで促す。相談というからには仕事を持ってきてくれたのかもしれない。そんな淡い期待を抱きつつ。

「聞いてくれよぉ。メグミの奴、オレを置いてフランスに行っちまったんだよぉ」

涙まじりの矢張の発言は、やっぱり予想通りだった。激しくがっくりと肩を落とすぼくの代わりに真宵ちゃんと春美ちゃんが二人がかりで慰めにかかる。
かなり年下の、恋愛なんて丸でわかってない二人に慰められただけで簡単に浮上した矢張は、ぼくと御剣を見る。

「御剣も相談か?冥ちゃんにでも訴えられたのかよ」
「失礼な。貴様でもあるまいし」

見た目も口調も全く共通点のない二人がよく会話が出来るなぁと、いつも感心してしまう。それに自分を加えて、とても長い付き合いになってるのだ。学級裁判というあまりにも幼く子供じみた学校での出来事がこのような運命をもたらしたのだ。今ではそれに感謝しなくもない。

「ヤッパリさんはネクタイ結べますか?御剣検事はね、全然ダメなんです。もう、笑っちゃうくらい!」

真宵ちゃんの全く気遣いのない発言に御剣はぐぉぉぉと叫んでまた仰け反った。矢張は親指を立てて拳を作り、こちらに突き出してきた。

「オレだってネクタイぐらい結べるっつーの」

そう言って立ち上がり、ぼくの首にぶら下がる紐の状態のネクタイを手に取る。最初は半信半疑で見ていたものの、矢張の言葉通りにネクタイはすぐにきれいな結び目を作る。コイツ、手先だけは器用なんだった。時計を作ったり絵を描いたり、時々常人離れした創作をすることがある。
矢張の指の動き、ネクタイの運び。それらを睨み付ける勢いで見守っていた御剣はほとんど顔色がなかった。このメンバーの中で出来ないのは自分だけという事実に相当ショックを受けたらしい。
わぁーすごい!と少女二人に誉められて矢張は薄い胸を張る。

「じゃあ次は御剣検事のフリルね!」

高いテンションのまま真宵ちゃんがそんなことを言い出したものだから、ぼくは慌ててそれを制した。







真宵ちゃんたちと矢張が帰った後も御剣は落ち込んでいた。
いつもは真ん中あたりに腰掛けるソファの、片隅の方によって俯く。プライドの回復にはまだまだ時間がかかるような様子にぼくは思わず溜息をついてしまった。
それを聞きつけた御剣が俯かせていた顔を一瞬で正常な位置に戻す。正面に座っていたぼくを殺気に満ちた瞳が捕らえた。

「何だ。言いたいことがあるのならば言いたまえ。笑いたければ笑うがいい。さあ、笑えよ!」

据わった目でそう怒鳴られてもぼくは素直に笑うことなんか出来なかった。いつかの留置所とまるきり一緒じゃないか。笑ったら怒り狂うか泣き出すくせに。
かといってぼくは、御剣をそのまま放っておくことも出来なかった。笑えるくらい不器用でめんどくさい男だとしても、ぼくにとっては大事な人間だ。それをわざわざ傷付けるほどぼくは悪趣味でもない。
でも、慰める術は見つからなかった。もう一度ネクタイ結びのチャンスを与えてやっても、また失敗してしまえば御剣の落ち込みは手に負えないレベルになるだろう。また失踪とかされても困る。
ほんの思いつきでネクタイ結び大会を提案した真宵ちゃんを少し恨んだ。今頃は春美ちゃんと一緒にみそラーメンを食べていることだろう。こんな状況になっていることも知らずに。
困惑して、ふと泳がせた視線の先に。
無言で佇むチャーリーくんを見つけた。千尋さんが残した数々のものの中のひとつであるそれは、特に何かをするわけでもなくただそこに存在していた。見つめる内に、師匠の教えが頭の中に蘇る。

「御剣」

短く呼び掛けただけなのに、御剣は鋭く睨み返してくる。はいはい、とそれを受け流して立ち上がり、御剣の座るソファの空いている場所に腰を掛ける。肩と肩がぶつかる程度の近い距離に怒っていた御剣の目が少しだけたじろいだ。
ぼくは御剣の目が自分に向けられていることを確認して、上体を傾けた。御剣の顔が近付いてくる。そのまま、不機嫌そうに結ばれていた唇にキスをする。
わずかに開いた隙を見つけ、舌を差し込む。性急にではなくゆっくりと。相手を窺うような速度で。相手の持つ硬い歯が舌を掠るのを感じながら。
最後に上唇と下唇を合わせて、吐息までもを吸い上げるようにして御剣の唇から離れた。
鼻と鼻が触れ合いそうなくらいな距離で見つめ合う御剣の目は、怒りも溶けていて熱っぽくぼくを見る。

「どういうつもりだ」

それに被せて口付ける。舌先で相手を突くとすぐに絡んでくる。目を閉じてそれを受けた。
御剣の手が自分の頬を滑り胸元に当てられる。手探りで、解けられるネクタイ。

「待った」

唇を離し、柔い声で止めると御剣は眉をひそめてこちらを覗きこんでいた。まるでおあずけをくらった犬のようだ。唇が緩む。緩めたまま呟いた。

「逆転の発想だよ」
「何だそれは」

突然の発言に御剣の眉がますます歪む。
眉間に生まれたヒビを解消するため、ぼくは自分の胸元を指差した。
そこには、御剣の手によって解かれたネクタイがぶら下がっている。

「ネクタイを結べなくても問題ないだろ?それに、みんなが出来るのは結ぶことだけだ」

御剣の顔が混乱していく。
ぼくはそれがどうしても愛しくなって自らその頬に口付けた。

「こうやって、ぼくのネクタイを外せるのは御剣だけだからさ」

耳元で囁いてやる。
顔を再び離すと驚きすぎて渋い顔になった御剣がいた。その表情が間抜けで思わず笑ってしまう。ぼくの笑いを受け、御剣は体裁を整えるためか咳払いを一度落とす。

「では」

低い短い声と共に。首筋に御剣の手のひらを感じた。
そこを押されて近付いたぼくの、襟のボタンを片手で外してそっと唇を当てた。じんわりとした体温がそこから伝わってくる。と思ったらべろりと舐められた。
くすぐったさと寒気にぼくは思わず声を上げてしまった。
押し返した御剣の目がすっかり笑ってぼくを覗き込む。

「こうするのも?」
「御剣だけ、だよ」

額同士を合わせて笑う。そして、顔を上げてもう一度キスを交わした。

ぼくの胸を焦がすのも。
ぼくの心を奪うのも。
御剣だけ、君だけ。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




モバイルサイト、801hitのもんたさまのリクエストで、
ミツナルマヨのドタバタというリクでしたが、
ちょっと変則でミツナルマヨハミヤハで(笑)
ある意味総受け!
そして思いついたきっかけはタイトルでもわかるように「ドコモダケ」です。
もんたさま、素敵リクエストをありがとうございました〜

 

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