top> ぼくと彼女と恋人と

 


______________________________________________________________________________

 

「へ?」

ぼくは飲もうとしたグラスを唇に当てたまま、動けなくなってしまった。
馬鹿みたいに瞬きを繰り返すぼくを、御剣は無表情で見つめた。



奴と再会して、嫌われて、それでもしつこく追いすがって。
ぼくが御剣に渡したものは、無罪判決。御剣はそれを手にして、やっと笑ってくれたのだ。
かくしてぼくたちの友情は復活した。
───そして、今夜。
話があると、珍しく彼の方から呼び出したのだ。
上機嫌で酒を頼んだぼくに、御剣はにこりともしないである衝撃的な事実を告げた。
……彼女ができたのだ、と。



「ああ…そっか。そうなんだ」

数秒後、ふたりの間に流れていた沈黙を破ったのはぼくの方だった。グラスを置き、祝福の言葉をかける。
その最後にくっついてきたため息を誤魔化すため、ぼくは口をにっと歪めた。

「おめでとう。それはよかったな」
「……うム」

御剣はちっとも嬉しそうな顔をしないで、ただ頷いただけだった。
ぼくは通りかかった店員に声を掛け、新しい酒を注文した。
まだほとんど手をつけていないぼくの目の前のグラスとぼくの顔を見比べて、御剣は眉をひそめた。

「もちろんこれも飲むよ。いいじゃないか、めでたいんだし」

へらへら笑いながらグラスを手に取ると、一気に喉に流し込む。
別にアルコールには弱い方でもないけど、強い方でもない。
でもこうやってペースを速めて飲み込んでいけば、確実に酔える。
早く早く、酔ってしまいたかった。

(ん…?)

どうしてぼくは酔いたがっているんだろう。ふと気付く。
御剣に彼女ができた。
その事がどうしてぼくを落ち込ませるのか?

こっそりと目の前に座る男を窺う。御剣は目を伏せ、手酌で酒を飲んでいた。

「御剣……」
「ム?」
何も考えていなかったのに、名前を呼んでしまった。やっぱり無表情のまま御剣は顔を上げた。
目が正面から合ってしまい、ぼくはとっさに目を逸らす。でも逸らした瞬間に、我に返る。

(…何やってるんだ、ぼくは)

視線をゆっくりと元に戻す。御剣の目はすでにぼくから外されていて、ぼくはほっと胸をなでおろす。

「で、どんな子なんだ?」

ぼくの声は、思ったよりも全然酔ってない。慌てたぼくは御剣の答えを待つ間、もうひとつの
グラスを掴み半分くらいまで飲み干す。

「普通の子だな」

御剣は照れくさいのか、そう言って黙ってしまった。

「普通ってなんだよ。顔が?背が?性格が?」

こうなったら自分から突っ込んでいくしかない。
自虐的な気分になったぼくは、次々と質問をぶつけた。御剣は困惑した様子で考え込んだ。
そして一言呟く。

「…まぁ、色々とな」
「答えになってないよ」

小学生の時に別れたぼくたちは、当然ながらお互いの彼女なんて見たことがない。
矢張の彼女なら、今までにもう何人か紹介されたけど…
この赤いスーツとフリルが似合うという、とんでもない男の彼女なんて想像も付かない。

「デートとかどこに行くの?ホテル最上階の高級レストラン?」
「何だ、それは」
「御剣のイメージだよ。それとも、六本木のバー?」

程よくアルコールが回ってきたらしい。困った様子の御剣がおかしくて、ぼくはけらけらと笑った。
酔っ払いの絡みと判断したのだろうか、御剣はため息をついて酒を口に運び始めた。

「…ねぇ、キスとかするの?」

がたっ!と大きな音を立てて御剣は持っていた銚子をテーブルに置いた。

「そうか、するのか」
「……………」
「御剣ってすごく上手そうじゃない?なんつーか、とろける高級ワインみたいな…」
「………………何だそれは」

とろける高級ワインなんて実際飲んだことないけど、御剣のそのスーツの色がなんとなくそれを連想させた。
ふさわしい言葉を探そうと、あれこれ頭の中で考えてみる。ぼんやりと、御剣の顔を見つめながら。
───御剣の唇、御剣の舌。それに彼女は触れるんだろうか。

「彼女がうらやましいよ……」

零れ落ちたぼくの呟きに、御剣の眉がピクリと反応する。
ぼくはというと、自分で自分の言葉に驚いていた。うらやましい…?誰が、何が。
口付けを受ける彼女が?上手なキスをする相手を持つ彼女が?
それとも、御剣とキスできる彼女が──

「………?」

視界がかげり、ぼくは視線をテーブルから持ち上げた。
いつの間にか距離を詰めていた御剣が、 すぐそこにいた。
ぼくたちが向かい合い座る居酒屋の席は、決して広いとは言えなかった。
身長の高いぼくたちなら、わざわざ立ち上がらなくとも腰を浮かすだけで相手の頬に触れることができる。

「してみるか」

え、と聞き返そうと思ったけどやめた。だって奴の言葉は、問い掛けでも確認でもなく
自分の行動の前置きをしただけのものだったからだ。

「!」

ぼくはとっさに目をつむる。 瞬間、唇に触れる冷たい感触。

「………み、御剣っ!」

おそるおそる目を開け、ぼくは叫んだ。ニヤニヤと笑う御剣がゆっくりと離れていった。

「どうだ、メニューとのキスは」
「ふざけるなよ」

鼻先に突きつけられたのは、側にあったメニュー。それを横に片付けながら御剣は再度酒を飲み始めた。

「………ほんとに君って意地悪だよね」

頬を膨らませつつ、ぼくは手のひらを使って自分の顔を扇いだ。
こんなに顔が赤くなるのは 酒のせいか、それとも……
いやいや、やっぱり酒が原因なんだろう。

(あせったじゃないか……)

御剣がぼくにキスをするわけない。なに本気にしてるんだ、ぼくは。

「そんなんじゃ御剣の彼女がかわいそうだよ」

ろれつの回らなくなってきたのを自分で感じつつ、ぼくは御剣に言う。

「せっかく御剣に彼女ができたのに…」

思わず、拗ねるような言い方になってしまった。
わからなくなってきた。どうしてぼくは拗ねているんだろう。どうしてぼくは、こんなにも 酔っているんだろう。
どうしてぼくは、こんなになるまで酔いたいと思ったんだろう。 どうして、ぼくは。

(御剣の彼女に嫉妬してしまうんだろう…)

ぼくはついに、何も言えなくなってしまった。すごく落ち込んでしまって、がくりと俯く。
もっと酔うためにテーブルに視線をめぐらせて酒を探すが、あるのは空になったグラスだけ。
飲む酒も尽きてしまったぼくの耳に、御剣の静かな声が届いた。

「……いつ、私に彼女ができた?」

その言葉に顔を上げる。御剣は無表情でぼくを見返す。
何も返せないぼくに、御剣はもう一度 同じ言葉を口にした。

「一体いつ、私に彼女ができた?」
「は……?」
「私に彼女ができたなんて、いつ言ったのだ?」
「え…だって御剣、言ったじゃないか。一番最初に」
「ああ…」

目を見開いて指を差すぼくを見据え、御剣は優雅に腕を組む。

「矢張にな」
「!」

目が合うと、ニヤリと笑って御剣はそう言った。

「きき君に、か、彼女が…」
「だから、そんなことは私は一言も言っていない」

(わざとだ!絶対、わざとだ!!)

テーブルに額を押し付けてぼくは唸った。
そうだ、コイツはこういう奴なんだ。意地悪で、頭がよくて、悪巧みが得意で。
ぼくは鈍い頭を使って、いま自分の置かれている状況を理解しようとした。
ぼくと御剣は友達で。
でもぼくは御剣に彼女ができたと聞いて、とてもショックで。
それが勘違いだとわかって、なぜだかすごく安心して。それと同時に。
───目の前のこの男が、とても好きだと思って。

「成歩堂。なぜ君は笑っているのだ?」
「え?」

言われて初めて、ぼくは自分が笑っていることに気がついた。
気が緩んで、顔も緩んでしまったみたいだ。目を細め、御剣は言う。

「なぜ君は、私の彼女が羨ましいと思うのだ?」
「なぜって…」

ぼくは言いよどみ、視線を逸らそうとした。でも、できなかった。
ぼくを問い詰める御剣の目は笑っている。聞かずとも、ぼくの答えはわかってるはず。
わかっているのにあえてぼくに言わそうとするのが、この御剣という男。

「……わかるような、わからないような…」
「言いたまえ。私が判断してやろう」

悠然と腕を組み、御剣は笑った。
ぼくはアルコールのせいで血行のよくなった全身にだらだらと汗をかきながら、ため息をついた。

(……もう逃げられないってことか)

数年間、必死になって追いかけてた獲物は、果たしてぼくの手に負えるものなのだろうか?
それはまだわからない。何しろ相手は天才と呼ばれた男なのだから。
追っていたはずのぼくが、いつのまにか罠に嵌められた気分だ。

「君の恋人になる人間は、すごく苦労すると思うよ…」
「そうか?……実際に苦労するかどうか、君自身が試してみるか?」

ため息混じりにそう呟くと、御剣はまたニヤリと笑う。

(……敵わないよ、御剣には)

罠とわかって自分から嵌まるのも、いいのかもしれない。

ぼくは深く息を吐く。
狭い居酒屋の片隅でぼくは手を伸ばし、誰にも気付かれないようにテーブルの
向こうの彼の手を握った。
好きだよ、とものすごく小声で呟きながら。


●   
・.

 

















______________________________________________________________________________
16000hit、あきざくらさまのリクエストで『ミツ←ナルな感じで告白』でした!
すいません、また酒飲みの話です。
手のひらの上でもてあそばれるなるほどくん、というシチュが大好きなので。
また、自分からは絶対言わないミタンも大好きなので。
ラブラブはしてるかどうか微妙ですが…あきざくらさま、素敵なリク、ありがとうございました!
________________________________________________________________________________________________________________________________________________________________________________________________________________________________
top> ぼくと彼女と恋人と