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耳が割れんばかりの笑い声に思わず眉をしかめる。目の前にある泡ばかりのビールに口をつけた。
世は忘年会シーズンだ。学生、サラリーマン、それぞれのグループが楽しげに盛り上がる中、ひとつだけ盛り下がるテーブルがひとつ。座っているのは二人。ぼくと、御剣。二人向かい合って、でもお互いに無言で。
どこよりも淋しい忘年会がとある居酒屋の一角で開催されていた。

ことの始まりは悪友である矢張からのメールだった。旧知の三人で忘年会がてら飲まないかと言う誘い。
正直に言えば気が乗らなかった。原因はふたつ。発起人である矢張と、もう一人の参加者である御剣。それぞれに異なる理由があってぼくは最初は断るつもりだったのだ。
まず矢張。コイツの話は絶対面白くない。それは聞かずともわかっていることだ。
何故かというと、矢張はいつも同じ話しかしない。言わずもがな女性関係の話だ。登場人物は毎回異なってはいるけれど結局はフラれた、という同じ結論に達する話。そこに到達するまでのぐだぐだに付き合わされるだけでこっちはかなり疲労してしまう。
あとは、御剣。……コイツに関しては理由は色々あるんだけど。色々ありすぎて考えるのがめんどくさい。
断るつもりで電話をしたのだけれど、何故か日付と場所と時間を強引に指定され。予約をしたと言われればこちらとしても行かざるを得ない。
渋々店に赴いたぼくを待っていたのは昔の同級生二人ではなく、一人だけだった。 慌てて矢張に電話をすると、彼女との約束が急に入ったから来れないということだった。
そうして、ぼくと御剣は二人きりで忘年会を行うことになったわけだけど──

さっきから酒が全然進んでいない。御剣は神妙な面持ちでほっけの開きを見つめている。食べるでも飲むでもない。そんな様子の相手にぼくはいいから飲めよ、と心の中で呟いた。
飲めば、次の酒を進められるのに。飲めば、酔って、この気まずさから解放されるのに。

「成歩堂」

相手の言葉を欲していたのに、実際に呼び掛けられてぼくははっと息を飲んだ。
御剣は表情を変えないままぼくの手元のグラスを指差し、何か頼めと言ってきた。うん、と頷いてメニューを取る。
もしかして相手もぼくと同じことを考えていたのかもしれない。そう思いつつメニューの隙間から御剣を伺った。
目が合う。御剣は慌てた様子で視線をぼくの後方に移した。何か言おうとしていたのだろうか。でも、御剣は何も言わない。
一体何でこんな風になっているのか。
ぼくは一週間前の出来事を頭の中で反芻させた。






御剣がぼくの事務所に訪れたのは真宵ちゃんが帰ってから一時間後のことだった。
夜食の即席ラーメンを食べようとして小さなキッチンに立っていたぼくを、御剣は何故か悲壮な表情で見つめていた。お湯を入れて、ソファに腰を掛けた。時計を見て時間を記憶する。その間に御剣の用件を聞こうとぼくは正面に座る御剣に向き合った。

「何だよ、用って」

軽い口調で促し、御剣の目を見た瞬間。いつも以上に真剣な目にぼくは顔に浮かんでいた笑いを引っ込める。
御剣はぼくを見つめ続けている。法廷で常に真実と法の正義を追い求める瞳。その真摯さ故に冷たさまでも感じる三白眼。それが今までとは違う光を放ってぼくを捕らえている。異様な雰囲気に飲まれて、ぼくは思わずそれを見返す。
でも、すぐに話し出すかと思ったら御剣は何故か口を開かなかった。刻一刻と過ぎていく時間。
そろそろラーメンが出来上がりそうだ。御剣は口を開く気配がない。ぼくはとりあえずラーメンに箸をつけようとした。その時。
御剣が、言う。

「私は、君のことが好きなのだ」
「え」

ぼくは、驚いて箸を落とす。

「ろうか?」
「なに?」

二人の声が重なった。

「ム?」
「は?」

もう一度、二人の声が重なった。思わず瞬きをした。お互いに驚いたようで、御剣も目をぱちぱちとさせている。ぼくは今御剣が発した言葉をひとつずつ思い返してみた。
『好きなのだ』と御剣は言った。その後、『ろうか』。そのふたつを繋げてみると。

『私は、君のことが好きなのだろうか?』

答えが出た途端、思わずぼくは声を張り上げていた。

「そんなの知らないよ!」






気まずさに耐え切れなくなったのだろうか。御剣は見つめるだけだったほっけについに手を出し始めた。黙々と、几帳面に身を割って箸で口に運ぶさまを見て思う。
真面目を絵にしたような男だ。そんな男が恋をして、しかもその相手が同性で弁護士だとしたら。恋心を認めるだけで思い悩むのだろう。
ぼくだって、悩んで動揺しているのだから。
御剣の疑問がきっかけでぼくにもある疑問が生まれた。ぼくは、御剣をどう思っているのだろうか。
真宵ちゃんだって千尋さんだって、あの矢張のことだって。好きなのか嫌いなのかと聞かれれば好きだと思う。嫌いな訳がない。
でも、御剣のことを好きだと思うとなぜだか急に恥ずかしくなる。他の誰かを好きと思うよりも恥ずかしくて、くすぐったくて、それが少し腹ただしくて。
そこでぼくは気が付いたのだ。自分の心にいつの間にか入り込んで根を張っていた、恋心というものに。

『私は、君のことが好きなのだろうか?』

御剣がこの質問をしてきたということは、御剣もまたぼくに対して何らかの感情を抱えているのだろう。
そうでなければこんなことを言い出すはずがない。
……ということは、ぼくと御剣はお互いに好意を持っているということになる。

しかし、 この疑問が投げ込まれたことでぼくたちの関係は非常に気まずいものになってしまった。
これさえなければ、ぼくたちはそのままの、今まで通りの関係で保たれていたのに。
でも、一度口にしてしまったら嫌でも前に進まなければならないじゃないか。聞かなかった事になんてできない。
かといって、この恋心を捨てることなんてもっとできない。
言うだけ言って引っ掻き回して、それでもう何も言わないなんて。自分で藪を突いたのなら最後まで責任取れよ。そう思う。そりゃ男同士だから、初めの一歩を踏み出す勇気がないのもわかる。わかるけれど。
御剣はちらりとこちらを見る。ぼくと目が合うとすぐに逸らしてしまった。相変わらず口は何か言いたげに動くものの、ただ食べ物を飲み込むだけに使われていた。
そんな煮え切らない仕草にイラついた。ただの視線にいちいち高鳴る自分の心臓にも。
何より、この気まずさが心地悪くないなんて。どうかしている。






「……あれは、何なのだ」

ほっけを完食した御剣が突然尋ねてきた。睨み付ける様な視線を追ってみると、ある集団にそれは注がれているようだった。ぼくがそちらの方向に首を捻った途端、きゃあという歓声が沸きあがった。 男女二人が立ち上がり顔を寄せ合っている。
自分たちのテーブルに目を戻し、ぼくは合点した。スナック菓子の盛り合わせの皿にグラスが乗せられていた。その中に数本のポッキーがある。
学生のグループがポッキーを端と端から食べていくというゲームをしているようだった。

「ゲームだよ。ポッキーを端と端から食べてって、先に折った方が負け」

御剣にそう説明すると目を吊り上げる。

「そんなことをすれば唇が触れてしまうではないか!」
「そうだね」

宥めるのもめんどくさくなって生返事を返す。やっぱり、真面目な男なのだコイツは。ゲームという名目で口付けを交わすことが信じられないのだろう。
顔を近づけた男女は遠目から見たらもうキスをしているようにしか見えなかった。若いなぁと思う。別にこんなところでしなくても、家に帰っていくらでもしたらいいのに。

「そんなもの、ゲームとは呼べないだろう」
「さぁね。キスするための言い訳なんだろ」
「するために言い訳が必要なのか?」
「したくてもできない場合もあるんだよ」

よかった、やっと会話が転がり始めた。くだらない話題とはいえ会話は会話だ。
手を伸ばして一本口に咥える。チョコレートとビスケットの甘い味。さくさくと食べ進めていくと、御剣も一本手に取り口に含んだ。他に食べるものを無くしてしまったからだろう。
それを見てぼくは改めて感じた。御剣は沈黙を恐れている。食べる、飲むといった目的もなくぼくと二人きりで向かい合うことを怖がっている。

「何を見ているのだ」
「別に。あっちのテーブルは楽しそうだなぁと思って」

ぼくの探るような視線に御剣は更に眉を吊り上げた。それは、会話が行き詰ったからというよりは自分の中に潜む感情を隠すためにも見えた。
適当に答えると、御剣は例をみない勢いで一本完食した。そしてまたぼくに食ってかかる。 最高に意地悪そうな笑いを浮かべて。

「ならば、君も私とあのゲームでもするか?」

何でお前とポッキーゲームなんてしなきゃいけないんだよ。
自分でも異議の挟みようのない最もツッコミだと思う。でもそんなことを言ったら最後、御剣の怒りは手のつけようのないものに発展するように思えた。そうなったらめんどくさい。だから代わりにポッキーを口に含んだ。
男二人で言い争いながらポッキーを食べるってなかなかシュールな風景だ。
新たに一本口に咥えた時。御剣と真正面から目が合った。御剣はぱっと目を逸らす。常に澄ましている男が動揺する珍しい光景に、ぼくはある悪戯を思いついた。

「御剣」

呼んで、視線が自分に落ち着いたことを確認してぼくは微笑んだ。右手には一本のポッキー。

「ぼくたちも、しようか」
「なっ」

予想通り御剣は大げさにショックを受けた。ゲームだって、と軽く笑って説得する。ゲームと言われれば頑なに拒む理由もないという判断を下したのか、御剣はムスッとした表情で仕方なく頷いた。

「先に折った方が負けだよ?」
「う、うム」

念を押して、一本唇に挟んで御剣を促す。御剣は小さな黒目を忙しなく動かし周囲をうかがった。心配しなくてもここの席はちょうど大きな柱の影にあってあまり目立たない。
ぼくは目を使って御剣を急かした。口に咥えているから声を発することができないのだ。

「いくぞ」

こんなくだらないゲームなのに、生真面目に始まりを宣言する御剣が可笑しくて笑いそうになった。
そんなぼくの頬に御剣の手が添えられた。少しだけ腰を上げた御剣の緊張した顔が───ぼくに近付き始める。

耳に流れ込んでくるのは居酒屋の喧騒。
ビスケットの削られていく軽い音が、脳に直接響く。
チョコレートの甘い味が口内に広がって。
頬に触れているのは御剣の体温。迫ってくる御剣の顔が、唇が、一度も止まらずに、迫って、迫って……

「!」

目の、本当に間近で起きた小さな衝撃に御剣は両目を閉じた。
ぼくは残ったポッキーを全部口に含んであははと笑う。

「降参降参。ぼくの負け」
「……」

途中で折れたポッキーを咥えたまま絶句している御剣の顔が可笑しくて、ぼくは大笑いした。
唇が当たるとでも思っていのだろうか?へらへらと笑いながら目を合わせるとものすごい目で睨まれてしまった。
機嫌を損ねたようで、御剣は貝のようにまた口を閉じてしまった。親の仇とでもいうように、残ったポッキーを食べ始めた。沈黙が再び訪れる。
御剣はぼくから目を逸らして口を黙々と動かす。その様子は自分自身に腹を立てているようにも見えた。 期待と動揺を持った自分を恥じているような。

『したくてもできない場合もあるんだよ』

そう言ったのはぼくだ。でも、その言葉が御剣の心を代弁してると思うのはぼくの勝手な思い込みなのだろうか?

それを確かめる方法が、ひとつだけある。

ぼくはそれを実行に移すことを決めた。御剣はそんな策略には全く気が付かないで、相変わらず格好に似合わないポッキーをかじっている。
にやにやと笑いが止まらない。自分は意地が悪いのかもしれない。でも、この状態のまま煮え切らないのならば。
男同士しかもこんな思考の持ち主が相手だ。めんどくさいことになるのは目に見えてる。仕事でも勘弁してほしいのにわざわざそんな状況に陥ることもない。

──
それならば、そんな状況に陥る前に。

沈黙の時間が過ぎていくにつれ一本、二本とポッキーは減っていった。残ったのは最後の一本。
視線で促すと御剣は不本意そうな顔で手を伸ばした。ポッキーが宙を進み、御剣の口に当てられた。ぽり、と御剣には似合わない間抜けな音を立ててポッキーを食べ始める。それが三分の一進んだところで、ぼくは行動を開始した。周囲の目がこちらに向いていないことを確認して。
御剣の右手を取った。ぎょっとして目を瞠った御剣の後頭部に腕を回して刹那。ポッキーをくわえる御剣の唇目掛けて上半身を屈ませる。
目的は唇かポッキーか。相手はもちろん、自分すらわからない。
勢いも手伝って、お互いの唇は見事に接触する。キスと呼ぶには不完全だけれど、この煮え切らない間柄を持つぼくたちにとってはキス以外の何物でもない。
唇に触れただろう感触に御剣は目を見開いた。覗き込んでいるぼくの視線に御剣の小さな瞳は軽くパニックを起こす。
ぼくはわざと眉を寄せて神妙な顔を作る。もう一度体を進ませれば間違いなく唇が当たるような至近距離で囁いた。

キスしちゃった、御剣どうしよう?


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


拍手送信ゾロ目ゲット!(なんじゃそりゃ)、さるのすけさまのリクエストで、
なるほどくんがみたんを翻弄しちゃうミツナルです。
お得意の酒飲み話でお届けしました。ヘタレミツは書いてて楽しいいとおしい!
素敵リクエストをありがとうございました〜


 

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